2.未確認空中現象研究会(Unidentified Aerial Phenomena Society)
「先生。明日、私の父に挨拶に来てもらえます?」
ここ数日の疲れでぼんやりとなっていた脳細胞の片隅に岸本咲季の言葉が聞こえた。ちょうど自宅兼オフィスのソファーでほとんど崩れかけていた小島海斗こと私に、その言葉は単なる音としてしか届かなかった。
「いいよ」
「じゃあ、明日の朝、連絡しますから、小綺麗にして来てくださいね」
「ん?ちょっと待った!今、なんて言った?」
そう言ったと同時に玄関の扉が閉まる音がした。
咲季が私のオフィス兼自宅に現れたのは、4月のはじめ頃のことだった。
私はUFO研究者だ。何冊か著書も出している。
だが、今どきUFOなど流行らない。場合によっては天然記念物扱いさえされるのが実情だ。宇宙人と会っちゃいました系の話を盛ってしまえば、まだ需要はあるのだろうが、それは私のポリシーに反する。私は実証性を重んじるホンモノの研究者なのだ。
もちろん、UFOでは生活できないので、別の顔も持っている。都心の比較的知られた企業に勤めるサラリーマンとしての顔だ。
そして、未確認空中現象研究会という100名足らずのUFO研究の民間組織を主宰し、その代表者でもある。Unidentified Aerial Phenomena Society、略してUAPSと呼んでいる。
UAPSは季節に一度機関誌を発行し、ホームページも開設している。ただし、ホームページの方はUFOだけでは閲覧数も増えないので、信念を曲げ、一般的に怪奇現象と言われるような話まで網羅している。
私には、3年ほど前まで妻がいた。その頃は、吉祥寺を住まいとしていたのだが、私がUFO研究にかける費用、つまりは洋書や稀覯本を含む書籍代、取材に出かける旅行代、UAPSの月例会開催費などに、うんざりしたらしく、自分とUFO研究とどちらが大切なのかと迫られた挙げ句、出て行かれてしまった。私には、優劣をつけるものではなく並列なものだとの認識だったのだが、元妻にはそうではなかったらしい。
そうして、人並な傷心を抱え、今は吉祥寺から遠のいた国立のマンションで暮らしている。そのリビングをUAPSのオフィスとして使っているのだ。
国立は落ち着いた学生街だ。駅前から南には大通りがあり、大きな街路樹に挟まれている。クリスマスシーズンには街路樹に電飾が施され、巨大なクリスマスツリーが並ぶことになる。若い恋人たちにはたまらない光景だろう。私は、その下を一人で歩いて帰る。
そういう寂しさもあり、しばらくは吉祥寺の喧騒が恋しくてたまらなかった。だが、最近は、この静かな環境が気に入っている。
そんな4月のある日、UAPSの情報収集用のメールアドレスに1通のメールが届いた。それが咲季からの初めての連絡だった。
そこには、UAPSのホームページに載せられた現象と関連するような出来事があり、相談させてほしいと書かれていた。だが、どんな出来事かは書かれていなかった。
私は、まずは出来事の概要だけでも教えてほしいと返信したが、直接会わないと理解できるように話すのが難しいとの返事であった。
そこで、ではあなたのお住まいの近くまで行きますよ、と返信したところ、逆に咲季の方から、そちらのオフィスにお邪魔してもよいか?との返事が来た。
経験上、こういうケースはあまりよろしくない。この世界、まあUFOだったり怪奇現象愛好家の世界のことだが……、にはかなり変わり者が多い。変わり者が常に徘徊している世界と言い換えても良いくらいだ。
そんな正体不明の人物を自宅兼オフィスに招き入れるのには、当然のことながら勇気が必要だ。だが、メール本文は常に丁寧な文章で綴られていて、最後には必ず、住所と岸本咲季というフルネームを打ち込む生真面目さから、しっかりとした人物のようにも思われた。
そのうえ、記された住所は吉祥寺だった。どうしても、懐かしさのフィルターを通して人物を見てしまう。
私の言う変わり者は、メールの文章も破綻していることが多い。一例を示すと、富士山の上空で巨大な龍神がオリオン座の悪の異星人勢力と戦っているなどといったものだ。
なぜ、龍神が物理的存在である異星人と戦うことになってしまったのか。どのような方法で戦っているのか。そもそも戦いになるのか。オリオン座を構成する星たちは、かたまりではなく、それぞれが何万光年も離れた位置にあるのに、どうして一括りにオリオン座の悪意ある異星人の勢力などと言えるのか。こういった不自然さや矛盾に気づいていないのだ。
そして、このような点を指摘すると、最後には私も悪の勢力に加担していると非難されることになる。
その上、署名やアドレス表示名も大げさな名前の場合が多い。もちろん、本名であるはずがない。大宇宙神太郎などといった表示名を見たりすると、即削除だ。
そういった分かりやすい例はともかくとして、いかに信頼できそうでも、初対面の人物をオフィス兼自宅に招くのは、抵抗がある。国立駅の改札で待ち合わせにしましょうと返事をすると、それでも、咲季は直接来たいのだという。
しぶしぶ、私は咲季の申し出を承諾することにした。散乱したゴミを片付け、それなりに人を迎え入れる準備ができた頃、エントランスインターフォンのチャイムが鳴った。
防犯カメラで見てみると、予想した以上に若い。落ち着いたメールの文章や咲季という名前のイメージから、同年代かあるいは年上を想像していたのだ。
「本日、お約束していた岸本咲季です」
若い女性がそう言った。ちょっと若すぎないか。そんな女性が、一人暮らしのバツイチの冴えない男の自宅兼オフィス、いやオフィス兼自宅に上がり込むなど不用心すぎないか。
「失礼ですが、メールをいただいたご本人で間違いないでしょうか?」
「はい。そうです」
仕方なく私はマンション1階エントランスのドアを開け、エレベーターで4階の1号室へ来るよう指示をした。
彼女を玄関で迎えた瞬間、というよりも実物を見た瞬間、再び驚いた。美しいのだ。陶器のようなキメの細かな白い顔。日本人らしくない灰色の瞳。前髪を作っていない茶色のロングヘア……これは染めているのだろう。高身長とまではいかないが、170cm近いモデルのような体型。そんな容姿の若い女性が水色のカーディガンに合わせ、やはり青系統のロングなスカート……ワンピースなのだろう、を清潔感あふれる様子で着こなしている。
おそらくノートパソコンを入れているらしい淡いピンクのショルダーバックを、両手で持っている。
そういった外見の良さにこちらは驚いているというのに、咲季の方はちっとも驚いている様子はない。オフィスが自宅なんだぞ。驚かないか?
とりあえず、中に通してソファに座ってもらうことにした。
かくいう私も、スーツを着込んでいる。
やはりUFO研究者は、まともな社会生活を送っているという安心感と、どこか浮き世離れしている雰囲気。この相反する印象を相手に与えなければならない。それが私の持論だ。とにかく最初が大事なのだ。そういった意味で、フロックコートなみに丈の長い4つボタンジャケットを着ている。
これは、月例会などでも評判がよく、欧州の昔の紳士風、というか褒め言葉ではないのかもしれないがドラキュラ伯爵によく似ていると好評だった着こなしだ。
もう一つ大事なことは、研究者としての基本を厳守すること。報告者と対面した場合は、常に疑いながら、しかし細部まで漏らさず、多方向から徹底的に、かつ真面目に話を聞くことだ。良質な研究資料を得るためには、必ず守るべき姿勢である。
「冷たいものと、温かいもの。コーヒーとお茶、どれがいいですか?」
「では、冷たいコーヒーでお願いします」
「缶になっちゃいますけど、コップも出しましょうか?」
「缶のままでいいですよ。お気遣いなさらず」
声も口調も穏やかで心地よい。変わり者ではなさそうだが、どうだろうか。
「驚いたでしょう?オフィスと言いながら自宅も兼ねてまして」
「いいえ、想像どおりでした」
「想像どおり?」
「ご本職を別に持っていることは、先生のご著作や会のホームページで存じ上げていましたから、専用のオフィスは構えていないのだろうなと」
「なかなか、鋭い洞察力をお持ちですね」
出版社の編集者以外から、先生と呼ばれることはまず無い。これは、自尊心をくすぐられて、かなり心地よい。しかも、著作まで読んでくれているらしい。
「で、ご相談とは?」
プシュっと音がして、咲季が缶コーヒーを開け、口をつけた。ここで一拍置くのか。
「何か、変な感じがあるんです」
あれ?抽象的な話から始まった。これは、「ハズレ」かな。変わり者の方だったか。早めに帰っていただこう。
私には、人を外見から中身までじっくり観察する癖がある。この世界にいると、相手の素性よりも人間そのものを評価する必要があるからだ。変わり者の中には一見まともそうでも、虚言癖や妄想癖のある人間もいる。相手の話の信憑性を見極めるには、外見に騙されず、理路整然と話ができる人物なのか、話している内容に不自然な飛躍や矛盾がないか、それが評価の判断要素となる。
UFOは実験室に持ち込めるようなものではない。したがってUFO研究は、相手の話の信憑性を図る研究と言い換えることもできる。
「変な感じとは?具体的にはどのような?」
「はい。最近自分が自分ではないような、なにか失われた記憶があるんじゃ無いかっていう感覚が突然湧き上がってきたんです」
なるほど、これは私の守備範囲かもしれない。UFOに誘拐されたと主張する人は、まずこういった失われた記憶の可能性に気づき、UFO研究者を訪れるケースが多い。主にアメリカでのケースだが。
「話が複雑なので、順序立ててお話しますね」
咲季はそう言うと、バッグからノートパソコンを出し、1枚の画像を指し示した。
「最初に気づいた違和感は、これなんです」
私は、咲季のノートパソコンの画像を注視した。高いところから写された畑の画像だ。畑には何も実っていない。ただ、柔らかそうな土が波打つように並んでいるだけだ。これからなにかの苗を植えるのか、すでに種を植えたのか、それはわからないがそんな状態の畑だ。
その中心に点々と小さな穴か足跡のようなものが直線的につけられている。
「ん?これは?」
「1ヶ月ほど前の写真です。先生のホームページに悪魔の蹄跡というページがありましたよね?」
「有名なのは、1855年の英国、デヴォンでの話ですね。障害物も乗り越えて一直線に正体不明の蹄の跡が雪の上に残されていたという話です。あなたの画像は確かにデヴォンの出来事を連想させるものがあります」
「この足跡を調べようとして、先生のホームページに辿り着いたんです」
「へえ、よく辿り着けましたね。しかし、これは、例えばですけど、猫の足跡かもしれませんよ。猫は前足の足跡とほぼ同じ位置に後ろ足を着地させる歩き方をします。ダイレクト・レジスタリングという歩き方です。なので、このように二足歩行のような真っ直ぐな足跡になることもありえます」
「もう一枚、近づいて撮ったものも見てください。猫の足跡に見えますか?」
近接撮影された足跡は、完全な長方形のくぼみに見えた。
「確かに猫の足跡というには整った形をしているようにも見えますが。あなたがどうしてこの足跡を見て不思議に思ったのか、なぜ写真に撮ろうとまで考えたのか、もう少し状況を教えてもらえませんか」
「はい。遠目の写真の方は自宅、吉祥寺のマンション、3階西側の角部屋なんですが、そこから撮ったものです。近づいている方は、降りていって畑の手前で撮ったものです。さすがに畑の中にまでは入れませんでした」
吉祥寺にも、少し駅から離れるとこういった畑がまだ残されているところがある。不自然さはない。私は咲季に話の続きを促した。
「前の晩の深夜というか、写真を撮った日の早朝にふと目が覚めたんです。たぶん午前2時とかそんな時間です。のどが渇いたので、お茶を飲もうと台所に行ったんです。そうしたら、台所の小窓の向こうに回転灯のような青いライトをつけたなにかがいて、そのうち右から左へ通り過ぎたんです。くもりガラスなので、どんなものかはわかりませんでしたけど、大きなものではありませんでした」
「窓のすぐ外でしたか?」
「そのように思いました。3階なので窓の位置にそんな光が普通にあるとは思えません。台所の向こう側は写真のように畑になっていますし」
「窓を開けて確かめてみましたか?」
「小窓の手前には食器が置いてあって、開けづらいこともありまして、すぐには確かめられませんでした。でも、ベランダに出れば同じ方向が見えますので、ベランダから確かめたんです。何もありませんでした」
「その時に記憶の欠落や、時間が思った以上に過ぎてしまった感覚などはありましたか?」
「いえ、無いと思います。ですが、最初に気付いた時、その青い光はその場所で止まっているようだったんです。なにか監視されていたようなそんな気分にはなりました」
なかなか、面白くなってきた。ただ、光の本体を直接目撃していないところに難があるか。とりあえず、咲季の話を最後まで聞くことを優先して、私は黙っておくことにした。
「それで、朝になって目が覚めたときに、夜のあの光はなんだったのかなと思って、ふと畑を見ると、こんな足跡のようなものが直線的についているのを見つけたんです。新しいものに感じましたし、何か人工的なものにも見えました。そのうえ、夜の出来事もあったので、すぐに関連性を疑いました。念の為、両親にも夜中に光を見たかって聞いたのですが、ぐっすりと眠っていたようで。これが、この画像を撮影した経緯となります」
なかなかどうして、理路整然と話をする。できるだけ細かく正確に答えようとする姿勢も好ましい。UFO研究者にとっては、理想的な証言者だ。私は先程の印象を「アタリ」へと切り替えることにした。
しかし、青い光と足跡の関係が、あくまで推測の域を出ていないことが残念だ。ダイレクト・レジスタリングの可能性を完全には捨て去れない。
「でも、あなたが失われた記憶があるんじゃないかと疑ったのは、この足跡のせいじゃないんでしょう?」
「はい。これは、最初のきっかけというか違和感ですね。この写真を見てもらえますか?」
そう言うと、今度はクリアファイルをバックから取り出して、テーブルの上においた。中には、白黒のA5サイズ程度の紙焼き写真が入っていた。
「幼稚園の集合写真ですか。ずいぶん古そうなものですね」
お寺が運営する幼稚園なのだろう。本堂前のきざはしに数列幼児が腰掛け、一番後ろに先生が膝立ちで並んでいる構図だ。本堂の桟唐戸は閉じられている。
「これが、私の幼稚園の時の写真だと両親は言うんです。ありえます?」
「え?岸本さん、あなたおいくつなんですか?」
「18です。この春に大学に入りました。今度の12月で19になります」
若いとは思っていたが、ついこの間まで高校生だったということか。
「これ、フィルム式のカメラで撮影されていますよね。しかも白黒ですか?それだとちょっと、いやかなり、この写真はレトロすぎませんか?そもそも私の幼稚園の集合写真だって、デジタルではなくても、カラーだったと思いますよ。たぶん」
「先生は、おいくつですか?」
「私ですか?年齢の話をします?今度の6月で35になります」
「では、16才違いですね」
そう言うと咲季はにっこりと笑った。
何の話だ、これは。美しい人の笑顔はやはり美しいとは思ったが、さっきまでの真剣な雰囲気はどこに行ったのだろう。
「疲れましたか?」
「いえ、大丈夫です。もうちょっとこの写真には続きがあります。ここを見てください」
咲季の指差す位置は、本堂の閉じられた桟唐戸の最も左端だ。格子状にガラスがはめられていて、その一部分を指さしている。そこには人の顔があった。年配の女性の顔だ。
私は、UFO研究が専門だが、ホームページでは怪奇現象全般をも網羅していることもあって、この手の写真は見慣れている。特に怖いという感想はない。
「これは、心霊写真ですか?」
「本堂の中に人がいたのかもしれません。ただ、透明ガラスの割には顔しか見えないのが不思議ですけど」
「そこに人がいたのだとすると、記念の集合写真が台無しですね。で、あなたはどの子ですか?」
「これです」
咲季は2列目の女の子を指さした。
「いや、これは違うでしょう?全く面影がないですし、あなたはもっと日本人離れした顔立ちをしていますよ。失礼ですが整形されたわけではないですよね?」
「整形はしていません。でも両親はこれが私だと言うんです」
「何度も聞いてみましたか?」
「何度聞いても同じです」
「今日のあなたは、カラーコンタクトを入れてますか?」
「いいえ」
「この集合写真はどこから見つけ出したのですか?」
「私のアルバムです。幼稚園時代の写真はこれだけです。他にはガールスカウトのようなユニホームを着た小学校低学年頃の写真がありました」
「ガールスカウト?私の少年時代にはボーイスカウトと並んで活発でしたが、今でもまだあるんですね」
「幼すぎたせいか覚えていないんです。でも、顔からして私で間違いありません」
「それ以降は?」
「紙にプリントはしていないようでした」
「まあ、デジタル時代ですからそんなものなんですかね……。いろいろと聞きたいことはありますが、横道にそれてしまいそうですので、端的に。この集合写真が失われた記憶を疑う要因になったのですか?」
「もう一つ、正確には2つあります」
そう言うと、咲季はまたノートパソコンに画像を表示させた。
「これは、3月に高校卒業記念に友人3人と三重に旅行に行ったときのものです。1人は撮影係ですので、私と友人二人が写っています」
「三重に?私は三重出身なんですよ。でも、またどうして卒業記念に三重に行ったんですか?」
「伊勢神宮が目的ですかね。あと、私の父の実家が三重にありまして、父の実家に泊まらせてもらったんです」
画像は、農道と言っても良いほど、民家も何も見えない畑の中の一本道のバス停前で撮られたものだった。停留所名は角度の関係で見えない。彼女の父親の実家のそばなのだろうか?観光地には見えない。そんな場所で、咲季とその友人二人がにこやかに立っている。その後ろに農作業の帰りと思しき、かなり年配の女性がやめればよいのに顔を出している。
「この人を、さっきの幼稚園の集合写真の『顔』と比べてみてください」
私は先程の紙焼き写真の『顔』とこの農作業帰りらしい老婆とを見比べてみた。今度はゾッとした。同じ顔なのだ。
「次の画像は伊勢神宮で撮影したものです。私達の後ろにいる観光客の中のひとりがカメラ目線で写っています。どう思います?」
同じ顔だ。
たまたま、同じ老婆が伊勢神宮にも来ていて、また、たまたま、写り込んでしまったのだろうか?この老婆は、他人の写真を台無しにする趣味でも持っているのか。
「ちょっと、パソコンの2枚の画像を、もらえますか?UAPSのメールアドレスに送ってください。それと、この幼稚園の集合写真を少しの間、貸してください。スキャナーで取り込みます。いいですか?」
「どうぞ」
私に写真を渡すと、咲季はパソコンを打ち始めた。言われたとおりにUAPSのメールアドレスに画像を送信しようとしているようだ。
スキャナーはオフィスではなく、自宅部屋の方にあるので、私は一旦席をはずさせてもらうことにした。自宅部屋といってもオフィスとドアで仕切られているだけの、本や資料が詰め込まれ、小さな作業机とベッドが置いてあるだけの部屋だ。もう一部屋あるにはあるが、そこも本や資料置き場になっている。
まず、写真の全体をスキャナーで取り込んで、今度は『顔』の部分だけ拡大して取り込む。
さらに咲季だという子の顔も取り込んでおいた。
この子供が成長しても咲季になるとは到底思えないが、何か親子間、つまり血縁関係上のセンシティブな事情があるのかもしれない。いずれにしても、UFOとはつながりようがないし、他人の私には関係ない。『顔』だけに集中すべきだ。
そうして、ドアを開けるだけのオフィスに戻ると、咲季は立ち上がって飾られたUFO写真のパネルや、一応オフィスらしい雰囲気を出すために飾ってあるUFO関係の洋書を珍しそうに見ていた。
「こんなUFOもいるんですか?」
パネルの一つを指さして咲季が言う。
「どこか、懐かしい感じがします」
咲季が続けて言った。
「ああ、それは1952年にペルーで撮影されたもので、有名な写真です。どこかで目にしたことがあるのでしょう。爆煙を引きながら水平に飛んでいますが、同じような物体はその後、全く写真に撮られていないんですよ。そういう意味では、極めてユニークなものです。ホンモノだったら、という条件付きですが」
飾っておいて、条件付きもないものだが、爆煙の先端にはバナナ型をしたUFOの本体がある。絵ではないかという説もあるが、興味深い写真であることには変わりない。
「横に飛ぶロケットみたいですね」
咲季はそう言うと、今度は本棚を指さして「色んな国の本があるんですね。全部読めるんですか?」と痛いところを突いてきた。
「まあ、オフィスらしい雰囲気をつくるための飾りです。私は英語ならある程度自信がありますが、あとはフランス語、ドイツ語がちょっと、というくらいですかね」
「ドイツの本もあるんですね。見てもいいですか?」
「どうぞ」
咲季は、ドイツのUFO研究者が著した写真集を手にとって、ページを捲り始めた。咲季が迷わずドイツ語の本を手に取ったことにまず驚いた。しかも、その本が私のお気に入りの一冊でもあったので、少し解説をしてみることにした。
「その本は、写真の一枚一枚に丁寧な説明がつけられていて、おそらく参照した書籍や研究誌は膨大な量でしょう。真面目な研究者が書いた労作です。私もUFO写真の記事をホームページ用に掲載するときには、大いに参考にしています」
そして、気になっていたことをたずねた。
「ちなみに、あなたはドイツ語が分かるんですね?」
「小さい頃、ドイツ語を父親に教わったような記憶があるんです。なので、少しは読めますよ」
「記憶?不思議ですね。私も両親から英語以外に学ぶんだったら、ドイツ語だと小さい頃に言われて、教わっていた記憶があります」
「あら?そっくりですね」
そう言うと咲季はまたニッコリと笑った。多少、リラックスしてきたらしい。話が聞きやすくなる。いいことだ。
私は、ソファに座って話を続けた。
「先程の3種類の『顔』ですが、同じ大きさにして、目や耳、鼻の位置や形、顔全体に対する比率、顔の輪郭など、おでこの広さ、もろもろ比較してみました。結果がこれです」
立っていた咲季は急いで座り直すと、私のノートパソコンのスクリーンを注視していた。
「輪郭、比率、目、鼻、耳の位置関係、全部同じですね」
「そう。幼稚園の写真は、前面の景色がガラス面に反射していて、ちょっと不鮮明ですが、やや若そうにも見えますね。まあ、はっきりとは分かりません。ですが、顔の特徴を比較すると、同一人物である可能性が極めて高いです」
こういったケースに遭遇するのは初めてだったので、私も説明しながら背筋がゾクゾクしていた。
「三重の2枚の写真は、非常に考えにくいですが、たまたま同じ老婆がそこにいたのかもしれません。記念写真を台無しにする悪趣味な老婆ですが」
「はい」
「しかし、幼稚園の集合写真は年代が違いすぎますよね。疑うわけではありませんが、ホンモノですか?」
「写真はホンモノです。ただ、私の幼稚園時代の写真だとは思っていませんけど」
「繰り返しになりますが、では、どうして、あなたのご両親はこれをあなたの幼稚園時代の写真だと言っているのだと思いますか?」
「わからないんです。ただ、よく考えると台所の窓を通して青い光を見た日より前の記憶が、なんとなく曖昧なんです。青い光が私を監視しているようだったと言いましたが、この老婆も私を監視しているように見えませんか?」
「まあ、幼稚園時代の写真は別にして、そういうふうにも見えますね」
「もう、怖くて自分の写真が見れないんです。スマホの写真は全部消去しました。この『顔』の人が後ろにいるかもしれないと思うと、とても怖くて」
「正直、私もゾッとしています。あなたが、私のオフィスで話をしたいと譲らなかった気持ちも分かってきました。こういった複雑怪奇な話を、外で他人に伝えきるのは難しいと考えたのですね」
「そうですね。もうひとつ、先生が本当に信頼できる人なのか、お住まいを拝見したかったということもあります」
私が咲季の人間を見定めようとしていたときに、逆に私も咲季から見定められていたということか。UFO研究者としての本気度や、資質を評価されていたということか。
「あ、大事なことを聞き忘れてました。あなたが、三重に行ったのと、青い回転するような光を見た日はどちらが先ですか?」
「青い光を見たのは、三重から帰ってきた日の夜です」
「え?では、三重の写真と青い光は、見た目上の現象としては全然違いますが、つながっている出来事とも考えられますね」
「そうでしょうか」
「改めて聞きますが、青い光を見た前後で、記憶の確かさの実感が異なるということですね?失われた記憶というのは、単純に数時間とか数日とかといったレベルではなく、青い光を見た日より前の記憶全てということですね?」
「そう思うんです。実は本当の記憶が別にあって、私が思っている過去の記憶は偽物なのかもしれないってことなんです」
「しかし、青い光を見た日よりも、三重に行った日のほうが先なんですよね。三重に行ったのは偽物の記憶ではなく事実として写真に残っていますよ」
「もう一つ、付け加えなければいけないことがあるんです」
「なんです?」
「三重に一緒に行った高校時代の友人って、誰だか分からないんです」
この美しい若い女性は、なんてことを言い出すんだ。この、じわじわと心を侵食されるような不気味さはなんだ?
瞬きもできないほど、凍りついている私に気づいていないのか、咲季は話を続ける。
「彼女たちは、高校の卒業アルバムには載っていません。彼女たちをどう呼んでいたかすら思い出せないんです」
写真という証明がありながら、現実に妄想が染み込んでくるような、何かが無許可で侵入してくるような、この薄気味の悪さはなんだ?
喩えると、カタツムリだと思っていたものが、カタツムリを食べているヒルだったというような、似て非なるものの怖さだ。
私は、咲季がどんな顔をしてこんな話をしているのか、改めて観察しようと彼女をじっくりと見てみることにした。
目をそらさない。真剣な表情だ。しかし、恐怖におののいている顔ではない。不安に押しつぶされそうな顔でもない。なぜだ?
彼女の話がすべて、彼女の信じる本当のことだとしたら、私ならどうなるだろうか?アイデンティティが崩壊しかねない状況において、こんなに落ち着いていられるだろうか?
健気に、落ち着いているふりをしているだけなのではないか?
「岸本さん。あなたの趣味はなんですか?」
「え?突然なんですか?」
「学生生活は楽しいですか?友人恋人そういった人間関係は充実していますか?言っておきますが、これはセクハラではないですよ」
私に会って不安を吐き出したあと、自殺するつもり、なんてことを考えていて、それを実行されたりすると大変困る。私は正義感の強い方ではないが、かと言って人情に薄い方でもない。
「う〜ん。買い物は好きです。学生生活はどうでしょう?講義を受けているだけですから。友人恋人関係はもともとありませんので、充実もなにもないですね」
「大学の最寄り駅はどこですか?」
「ここです」
「え?じゃあ、ちょうどいいですね」
「何がでしょうか?」
「私は本業を持っていますが、UFO研究が心の本業です。もし、よろしければ会の運営を手伝ってもらえませんか?そのかわり、あなたの失った記憶を全力で調査することをお約束します。そういった交換条件でどうでしょう?」
咲季は、私の発言の真意を考えている様子だった。
「私は、探偵では無くUFO研究者です。だから、調査と言ってもUFO研究者としてのアプローチ方法で行うことになりますが」
「……先生は、私が心を病みかけていると考えていますね?そうして、気を使ってくださっている?違いますか?」
「違いません。ただし、本業、あ、心のですが、を手伝ってほしいというのも本当です。機関誌の編集、発行、郵送、月例会の準備、資料整理、会費の残計算、すべて私一人で切り盛りしているんで、こう見えて結構大変なんです」
「承知しました」
そう言うと咲季はニッコリと笑った。さっきまでの硬さの残った笑い方とは違うように見えた。
「では、今日は帰ります。明日からよろしくお願いしますね。あと、先生がお帰りになる間、外で待っているのも時間の無駄ですよね?それなら、エントランスのパスコードと合鍵を預けていただけると、事務作業がスムーズに進むと思うんですけど……」
「え?ああ、そうですね」
あれ?私は咲季にはめられた?
最初からこれが狙いだったってことはないよな。
とは言え、咲季の主張が嘘だとは思えない。少なくとも彼女は信じていることを語っている様子だ。私も、提出された証拠を見て、彼女の主張の信憑性は高いと判断し始めている。
咲季自身も、この世界に居場所をなくしていく焦燥を、強く感じていたのかもしれない。 そんな中での私の提案は、彼女にとって渡りに船だったのかもしれない。
咲季を気の毒に思う気持ちや、少し私に似ている部分があることが、私の警戒心を緩めてたのだろう。
まあ、本当のところ、そんなことよりも何よりも、咲季の語ったUFOに関係がありそうでなさそうな一連の出来事に、興味を完全に奪われてしまったのだ。
青い回転灯のような光の目撃と翌朝の悪魔の蹄跡。このときに咲季は「違和感」という言葉を用いて、現実世界に何か異質なものが混入してきたと感じている。
幼稚園の集合写真によって、咲季は自分の過去が偽物かもしれないという疑念を生じさせ、複数の写真に写り込んだ同じ『顔』によって、偽物の過去が計画的に作られたものではないかと考え始めた。
三重旅行の友人たちが誰だかわからないことに気づき、偽物の過去を作っている記憶の改ざんという概念が咲季の中で確信に近づいた。
このように整理できるだろう。
UFOに関連しそうなことは、最初の青い光が窓の外を通り過ぎた、つまり飛んでいったという部分だけだが、一連の現象には連続性がある。ここが悩ましい部分だ。
まあ、いずれにしても青い光が記憶の改ざんの合図であったとするのなら、その前日までいたという三重に謎が隠されている可能性が高い。
三重には私も興味がある。出身地でもあるし、民俗学の有名な研究者もいる。民俗学の蒐集グループが発行した三重の怪異譚の中には、UFOとの関連が強く疑われる話がいくらでもある。いつかは、三重に行かなければと思っていたところだった。
「駅まで送って行きましょうか?歩きですけど」
大した距離でもないのに。
「じゃあ、お願いしていいですか」
どうも咲季が急に打ち解けた気がする。その変化に戸惑いはあるが、事務所の仕事を頼む以上、ある程度の打ち解けは必要だ。それに、相談された身として、彼女の精神的な負荷を少しでも軽くしたいという思いもある。他人行儀でいられるよりは、こうして距離を詰めてもらった方が、むしろ安心できる。
だから、こちらも少しだけ、打ち解けてみることにした。
「ちょっと待ってて、自宅の方の窓を閉めてくる」
オヤジ臭対策として、先程スキャナーを使用するときに少しだけ開けておいたのだ。年齢を重ねると、こういうことが気になってしまうものだ。
窓を閉めに行くと、小さな作業机の上に、桜の花びらが一枚乗っていた。どこかの公園に咲く桜が、最後の花びらを散らし、風がそれを運んで私のところまで届けてきたのだろう。




