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雲の声  作者: 坂本梧朗
3/3

その3

 O氏は雲の中にいた。周囲をたくさんの雲が行き交っている。O氏はそれらの雲に話しかけていた。

 君らはなんて不思議なんだ。こうして浮かんで流れているだけなんだね。

 通り過ぎる雲を掴もうとすると、煙のようにするりとこぶしの両側へ脱けてしまう。何の感触も無い。見渡すほどのすごいボリュームなのに感触がないとは変な感じだ。渦を巻いている尻尾が目の前を通過する。渦の動きは見ていてじれったくなるほどに緩慢だ。しかしそこからは経を唱すようなナンゼンマンネン、ナンオクネンという声が聞こえた。O氏は手を伸ばして渦に触れようとした。だが空中に手を突き出したのとおなじことだった。渦はO氏の手に何の感触も与えず、しかもその手を通り抜けて巻き続ける。

 O氏は雲の頭の方に目をやった。すると鯨のような雲の目がO氏を振り返って頬笑んでいた。その目にO氏は尋ねた。

 どうしたら君らのように気楽に生きていけるのだ。誰とも争わず、誰も恐れず、憎まず、ゆったりと心静かに。

 雲はよろしい、と言うように目をしばたたいた。そしておもむろに口を開いた。しかし声は聞こえない。一語一語区切って話しているのがゆっくり開閉する口によってわかるだけだ。やがて話し終えると、雲はまた微笑を見せ、悠々と流れ去って行った。O氏はそれを見送りながら、不思議な充足感を覚えていた。


 どれくらい眠ったのだろう。目覚めると日は完全に落ち、空には星がいくつか光っていた。O氏はぼんやりと夜空を眺めた。幸福な気持だった。久しぶりに味わうくつろぎだった。O氏は雲に感謝したかった。雲は何て言ったのだろう。O氏は夢を思い返しながら考えた。しかしわからなかった。それでもO氏は幸福だった。何を言ったのかはわからないが、とにかく自分は雲から話を聞いたのだ。雲の言葉は自分の胸の中に確かに入ったのだ。O氏は胸に手を置いた。人や人生を愛せそうな気がした。

 腕時計を見ると八時を過ぎていた。O氏は起きあがった。アパートに戻るとまた煩悶に囚われそうな嫌な気がした。しかし胸の中の雲の言葉のことを思うと元気が出た。いつか雲の言ったことがわかるかも知れない。胸の中にある雲の言葉がはっきりした表現をとるかも知れない。O氏はそう思って、車のエンジンをかけた。


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