表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼の谷  作者: ginsui
5/8

4

 流行病はやりやまいにそなえて、療養所は〈谷〉の一番西外れにある。

 薬草の臭いが染みついた部屋の片隅に卓我は横たわっていた。

「大聖」

 可名が入ると、杜は頭を下げた。

「どんな様子だ」

「ずっと眠っています」

 なるほど。卓我は目を閉じたままぴくりともしない。胸のわずかな上下がなければ、呼吸しているのかもあやしくなりそうだ。

 可名は卓我の枕元に座り、その顔をのぞき込むようにした。

 〈念〉をこらしているのが感じられた。

 草は杜とともに、息を潜めて可名を見守った。

 可名の身体が、がくりと前のめりに倒れた。

「大聖!」

  草と杜は、あわてて可名をささえた。可名は肩で大きく息をし、自力で身を起こした。

「すまん。大丈夫だ」

「どうなさいました?」

「夢なりとも覗けたらと思ったのだが。なにもつかめなかった。精神の奥があまりに深すぎる。そのまま引きずり込まれてしまいそうだった」

 可名は、両手で顔をこすった。

「考えられん。これは普通の人間ではない」

 可名は、自分の動揺を抑えるように押し殺した声で言った。

「いったい、何者だ」

 大聖でさえ解らないことを、自分たちが答えられるわけもない。

 草と杜は、卓我を見つめた。青白く、全く動かない人形のような顔を。

「卓我は」

 杜が言った。

「〈念〉を持っていました。はじめから」

 可名は眉をひそめた。

「この子供が、鬼にとって特別な何かであることは確からしい」

「鬼はまたやって来るのでしょうか」

「おそらくな」

 

 破壊された見習部屋の壁は応急の修理がほどこされた。

〈谷〉の日課はいつも通り繰り返され、再び夜を迎えた。

  行者全員で結界を強めた。五人の聖は卓我のいる療養所に集まった。

 卓我に目覚める気配はなかった。

 聖たち全員で〈念〉を合わせ、卓我の内を覗こうと試みたが、結果は可名の時と同じだった。 誰もたどり着けない、底なしの謎。

 草も療養所にいるよう命ぜられた。

 聖たちは、卓我のまわりに座った。卓我に背を向け、結界を張った。

 居心地悪いながらも、草はその中に加わった。

 大聖だけが枕辺で卓我を見守っている。

 〈谷〉全体が息をひそめて鬼の到来に備えていた。少しの風音だけでも張り詰める〈念〉が感じられた。

 どのくらい時間がたったのか。

 月は、もう高く昇っているはずだ。

 草はそっと首をめぐらして卓我を見やった。

 ほんの少し卓我が動いたような気がした。 草は思わず卓我に向き直った。

 卓我は身じろぎし、ゆっくりと目をあけた。

 と同時に、 部屋中が凄まじく振動した。

 巨大な斧が突然振り下ろされたかのようだった。一瞬のうちに屋根が裂け、壁が崩れた。

 黒い塊がなだれこんできた。 全く気配もないままに、鬼は近づいていたのだ。

 〈谷〉の結界は難なく破られていた。

 だが、聖たちの結界はまだ保たれていた。彼らが囲む狭い空間は、強力な場の力が働いていた。押し寄せる鬼はそれ以上近づけず、見えない壁を隙間なく覆うのみだった。

 ようやく消えずにすんだ灯火ひとつが、皆の顔を照らし出していた。周りの闇はますます密度を増し、空気すら通さないのではないかと思われた。聖たちが力つきたその時は、鬼にのみこまれてしまうだけだろう。

「草」

  大聖が言った。

「あの光を。我々も力を貸す」

  草はうなずき、〈念〉を引き出した。 聖たちの〈念〉が加わるのが感じられた。それを、自分の中に極限までため込んでいく。

  聖たちの〈念〉が移ったので、結界が弱まった。闇は、鼻先まで迫っていた。

  草は、一気に力を放った。

  光がほとばしった。

 一瞬意識が飛んだが、すぐに自分の身体を支えた。

 あたりを見まわす。

 鬼は消えていた。 大破した部屋の中で聖たちがうずくまり、目を覆っていた。

 唯一素早い動きをしたのは卓我だ。 目覚めた卓我は立ち上がった。

 草が声をかける暇もなかった。鬼が破った壁の間から、裸足のまま外に駆けだしたのだ。

「卓我!」

 草は聖たちを残して卓我を追いかけた。

  卓我が行った方に道らしい道はない。

 月明かりに照らされた薄ぼんやりとした夜の中、卓我の白い影は背の高い木々の間に見え隠れした。

 熊笹の茂みに何度も足を取られそうになりながら、草は卓我の姿を見失うまいと必死だった。

 と、 卓我がふいに立ち止まった。

 前方に水音。深い沢が行く手をはばんでいたのだ。

 草はほっとして卓我に駆け寄り、彼の肩をつかもうとした。

 その時、空気が震えた。

 木の上で眠っていた鳥たちが、けたたましい鳴き声とともに舞い上がった。

 息を呑む間もなく、凄まじい波動が起こった。

 草は地面に叩きつけられた。

  生暖かいものが、びしゃりと顔にかかった。一緒に、いくつかの弾力のある塊が身体にぶつかる。

  血の臭いが立ちこめた。

 草は、やっとのことで身を起こし、卓我のいた方を見た。

 卓我の姿はなかった。 草のすぐ側に落ちていたのは、血まみれ手首だ。

 何かの力が卓我を襲ったのだ。卓我の身体は、ばらばらになって地に散らばっている。

 鬼?

 草は声にならない声を上げ、両腕に顔を埋めた。

 冷たい風が吹いてきた。

 ひどく寒い。

 草はすすりあげながら、なんとか立ち上がった。

 いつの間にか月は隠れ、あたりは真の闇となっていた。

 卓我の身体だったものが、どこにあるのかも解らない。

 血の臭いも消えていた。

 踏みしめる地面の感じが、さっきとは違うことに気がついた。

 足下の乾いた音。

 地面を枯れ葉が覆っていた。

 闇と一緒に、冷気も草を押し包んだ。

 鼻先に冷たいものが触れ、草は震える手でそれをぬぐった。

 雪が降ってきたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ