悪魔の下請け
とあるアパートの一室。男はネットで見つけた『悪魔召喚の儀式』なるものを試していた。もちろん、本気で信じていたわけではない。ただの暇つぶしで、現実からのささやかな逃避行だった。
しかし、並べた蝋燭の火がふっと一斉に消えた瞬間、部屋の空気が変わった。おや? と思った次の瞬間、もうもうと煙が立ち込め、その中から角を生やした悪魔が姿を現した。
悪魔は、魂と引き換えにどんな願いでも三つ叶えてくれるという。それを聞いた男は目を輝かせ、まず大金を願った。
悪魔が指を鳴らすと、男の目の前に札束が現れた。しかし……
「……何だ、これは?」
「お望みの大金ですよ。どうぞ、お受け取りを」
「いや、一、二、三……十万しかないじゃないか!」
男は拾い上げた札束を再び床に叩きつけた。
「何をおっしゃいますか。十万円でも立派な大金でしょう?」
「いや、確かにそうだが、違うだろ! せめて百万、いや、一千万でも一億でもポンと出してくれればいいだろうが!」
「んー、私はちゃんと……あ、ちなみに、一度願いが叶った時点で契約は成立となり、返品は不可となっております。あと二つ、何を願いますか?」
「なんてこった……まあいい。どうせろくな人生じゃない。次は美女を頼む。おれの言うことをなんでも聞く、従順な美女だぞ」
「かしこまりました」
悪魔は頷き、再び指を鳴らした。次の瞬間、男の目の前に現れたのは――。
「……これは何だ?」
「貝ですね……メスの」
「なんでお前も戸惑ってるんだよ……」
男は引きつった顔で、床に置かれた貝を見下ろした。パカッと開いた殻の中から、しっとりとした白い身がのぞいている。水滴が部屋の照明を受けて煌めいていた。
「どういうことだ? はめたつもりか? 『人間の女とは言わなかったよな』って」
「いや、んー、それがですねえ……私はご要望通り依頼したんですけど……」
「ふざけ……ん? 依頼? 誰に?」
「下請けの悪魔にです」
「下請け!?」殻
「ええ、どうも三次請け、四次請けと行くうちに、このようなことに……」
悪魔は顎に手をやり、首を小さく傾げた。
「いやいや、待て。下請けってどういうことだ? ちゃんと説明しろ」
「はい……。あなたの魂の一部を代金に、下請けの悪魔に願いを依頼したんです。でも、その悪魔が魂の一部を代金にして、また下請けに依頼し、それがさらにその下請けに……と、最終的に残りカスみたいな魂で叶えられる願いは、この程度だった、というわけですね」
「なに勝手なことをしてるんだ! お前が直接願いを叶えればいいだろ! 二つともやり直せ!」
「悪魔の社会構造上、そういうわけにもいかないんですよ。上から睨まれてしまいます。最近は、悪魔に魂を売ってでものし上がろうとする気概を持った人間が減っていて、仕事がないんです……」
「悪魔の社会もそうなっているのか……」
「ええ、でも申し訳ないとは思っているんですよ。最後はサービスしますから、ね、ね。さあ、どうぞ」
「じゃあ、不老不死にでもしてくれよ」
「あー、そういった寿命や魂に関わる願いは原則受け付けていないんですが……特別にいいでしょう!」
悪魔は再び指を鳴らした。そして、天井を仰ぐと、にっこり微笑んだ。男もつられて表情を緩める。
「どうだ? うまくいったのか?」
「ええ、あなたの寿命を一年延ばしましたよ」
「一年!? 不老不死を願って、たった一年!?」
「まあ、先ほど説明したとおり、末端の下請けが処理するとなると、こういうことになっちゃうんですよね」
「納得できるか! お前が報酬をケチってるんじゃないのか?」
「いえいえ、とんでもない。私自身は正当な手数料しかいただいておりませんよ。それに、もし下に多く回しても、下請けのどこかが多めに持っていくしょうねえ。では、三つ叶えましたので、私はこれで。また五年後に魂を引き取りに参りますので」
「五年!? 寿命を延ばしてそれだけかよ! あ、おい!」
悪魔は煙のように消えた。残された男は、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
しかし、五年後――男の死後、魂を回収した悪魔は驚いた。
手にした魂はあまりに軽く、色が薄かったのだ。
狭く古びた部屋で暮らし、低賃金の職場で使い潰され、唯一の娯楽は単調なスマホゲーム。現代社会という名の奴隷システムが、男の魂までをも、ゆっくりと確実にすり潰していたのである。