44:行ってきます
翌朝、フロルが目を覚ますと、空には爽やかな青空が広がっていた。
久しぶりに自分のベッドで眠ったからか、夢も見ないくらいぐっすりで体の調子が良い。何だかんだで、長年過ごした部屋は落ち着くのだなとフロルはしみじみ思う。
そんなことを考えながら着替えを済ませたフロルは、朝食のために昨日利用したサロンへと向かった。
人竜国にいる間はいつもは自分の部屋で食べていたのだが、今日はアイルたちと一緒なので場所が違うのである。
ちなみにルーナに吹き飛ばされたサロンのドアは、綺麗に元通りになっていた。
どうやって一日で直したかフロルは疑問に思っていると、トーがドアを眺めながら「なるほど、幻影の魔法……」なんて呟いていた。どうやら応急処置をして、見た目だけ魔法で取り繕っているようだ。
(他の部屋はたぶん、空いていなかったんでしょうねぇ)
そう思いながら椅子に座って待っていると、ネルケと、何故かジェスがサロンへやって来た。
母とはいつも一緒に食事をしていたが、父は順番に妻と子のところを訪れている。だから今日ここへ来ることが意外でフロルが目を丸くしていると、
「フーちゃんとしばらく会えなくなるから、一緒に食べたいんだ」
父はそう言って笑っていた。
そんなわけで、フロルはアイルとトー、ジェスとネルケの五人で朝食を食べることになった。
朝食のメニューは目玉焼きにふわふわのパン、コーンポタージュにリンゴと、どれもフロルの好きなものだった。敢えてそうしてくれたのだろう。
両親が自分の好物を覚えてくれていて、フロルは嬉しい気持ちになってはにかみながら、ゆっくりと朝食を食べた。
♪
朝食を済ませた後、ジェスの提案で食後の香茶を楽しんで、フロルたちは人竜国を出発することとなった。
ジェスとネルケが用意してくれた荷物を入れたトランクを持って、宝石竜の暮らす神殿の前へ行くと、そこには擬態姿の宝石竜や、竜姿のネーヴェ以外にルーナとレイの姿もある。
どうやら見送りに来てくれたようだ。
「ルーナ、レイさんも、お元気で。次に会った時はお茶会しましょう」
「楽しみだわ! お仕事をしながら楽しみに待っているわ。あっ、そうだ、お手紙も書くから、お返事ちょうだいね!」
「もちろんですとも!」
フロルがにっこり笑って頷くと、ルーナは両手を頬にあてて幸せそうに微笑む。
ちなみにお仕事というのは、今回両国を騒がせた罪滅ぼしとしてのものだ。
ルーナが乗っ取った計画について、再度詳しく捜査し、主犯や関係者を捕まえる仕事を、ジェスから与えられたのである。
魔王国側でも計画に乗った者たちがいるため、アイル主導で捜査を続け、得られた情報をお互いに共有しようということになっている。
ルーナの言った手紙はその辺りも関係している。
ただ彼女からすれば、フロルと文通したいという気持ちの方が強いようだが。
「レイさんも風邪など引かずに頑張ってくださいね」
「……っ! 推しに、心配してもらった……っ! はいっ! 死んでも引きません!」
「死の比重が」
レイにも挨拶をすれば、相変わらずの調子で返事があった。もはや他人の前で取り繕う気はないようだ。
感極まって打ち震えるレイを、フロルは何とも言えない気持ちで、アイルとトーは残念なものを見る目で見ていた。
そうしているとジェスとネルケがフロルの前までやって来た。ジェスは若干うるうるした目をしていて、ネルケは優しい笑顔を浮かべている。
「また帰って来てね! 必ずだよ、フーちゃん!」
「フロル、くれぐれも体には気を付けるのよ?」
「はい。お父様、お母様も、お元気でいてくださいね」
「うう、ぐすっ……。……アイル殿、どうか、どうかフロルをよろしくお願いいたします」
「もちろんです。お二人も魔王国へ遊びに来てください。歓迎しますよ」
何だか本当に嫁に行くようなやりとりである。二人のやり取りを眺めていると、ふと、フロルは頭に優しい感触を覚えた。顔を上げるとネルケがフロルの頭をそっと撫でてくれているのが見える。フロルはくすぐったい気持ちになって「んふふ」と笑った。
「遊びにかぁ、いいねぇ。その時は私がいつでも乗せて行ってあげるよ。私もフロルや黒竜に会いたいからね」
すると宝石竜がそんな提案をした。とたんにジェスの顔がパッと輝く。
それを見てネーヴェは、しようがないわね、というように目を細めて、
「ほら、あんたたち。名残惜しいだろうけれど、そろそろ乗りなさい。帰るわよ」
ちっとも別れの挨拶の終わらないフロルたちにそう言った。
フロルたちは「はーい」と返事をしてネーヴェの背に乗る。ほんのりと青く輝く巨躯は、その見た目からひんやりしているのだろうなと想像していたが、意外なことに温かい。
ネーヴェと初めて出会った時、彼は暑さで倒れていたので、寒い方が得意な竜であるとフロルは認識している。だから温かくて不思議なのだが――もしかしたら魔法か何かで、フロルたちのために冷たさを消してくれているのかもしれない。本当に優しい竜だ。
そんなネーヴェは、全員が背中に乗るのを確認してから、ばさりと翼を広げた。
「それでは皆様、宝石竜様、行ってきます!」
「行ってらっしゃい! 元気で!」
最後の挨拶を交わすと、ネーヴェは翼を大きく羽ばたかせ、空へと飛び上がる。宝石竜たちの姿はぐんぐん小さくなっていく。
それこそ名残惜しい気持ちになって、フロルがネーヴェの背中から身を乗り出して下を覗こうとすると、
「フロル、落ちる落ちる」
アイルの尻尾がフロルの体にしゅるりと巻き付いた。すると、少しだけ感じていた不安定さがなくなって、フロルは目を丸くする。
「アイルの尻尾って思ったよりしっかりしているんですね。物の持ち運びとかできます?」
「軽い物ならね」
「なるほど、尻尾のアイル」
「初めてされたよ、その表現」
「脚のフロルと尻尾のアイル、語呂が良くないですか?」
「良い……のですかね?」
何とも言えない顔のアイルとトーに「良いのです!」とフロルは元気に言って、もう一度だけ下を見た。そしてジェスたちへ手を振る。
フロルもジェスたちも、お互いの姿が見えなくなるまでずっと、別れを惜しんで手を振り続けたのだった。
♪
「あらまぁ。フロルちゃんったら、知っているのかしら? というより、もしかしたら、あちらも無意識かも……?」
フロルたちを見送っていたルーナは、手を振りながらそう呟いた。
すると隣にいたレイが、耳ざとく『フロル』の言葉を聞きつけて、こちらへ顔を向ける。
「フロル様がどうしたのですか?」
「レイは知ってる? 魔人種の血が混ざっていると、気に入ったものに執着するのよ」
「ルーナ様を見ていればよく分かりますが……それが何か?」
ルーナは不思議そうなレイを見て、自分の側近は意外と鈍いところもあるのだなと思い、くすりと微笑んだ。
まぁ、この男はフロルが幸せなら何でも良いというタイプである。もしもルーナの想像通りだったとしても、普通に祝福するだろう。
「いいえ、何でもないわ。会いに行く楽しみが増えたってこと」
「その時は私もお供します。死んでも行きます」
「死んだら行けないでしょ」
いつもと同じやり取りをしながら、ルーナは氷竜が飛んで行った先を見つめる。
爽やかな青空の中、青く淡い輝きがまるで軌跡を描くように、遠ざかって行ったのだった。
<了>




