36:かわいいいもうと?
花壇の影から、まるで生えるように侵入者たちは姿を現した。
それに気が付いてフロルは足を止める。
夜色のフードを深く被っているため顔はよく見えないが、たぶんレイたちだろうとフロルは声を掛ける。
「レイさんですか?」
名前を呼ぶと先頭にいた人物の肩がびくりと跳ねた。そしてゆっくりとフードを外す。その顔はやはり昨晩会ったレイだった。
しかしレイは何故か不安そうな顔をしながら、フロルの表情をうかがうように、そっとこちらへ視線を這わせる。
「……フロル様」
「こんばんは、レイさん、皆さん」
「……っ」
とりあえず挨拶をすると、レイはバッと手で口を押えた。
「やっぱり、聞き間違いでは……っ! ああっ、私の名前を、フロル様がご存じでらっしゃる……っ!」
そして感極まったようにそう悶え始めた。すると彼の後ろにいる他の侵入者たちから「始まってしまった……」など、うんざりしたような声が聞こえてくる。
「あの、えっと……大丈夫です?」
「私の心配まで……っ、くっ、今日が命日になりそうですが、私は大丈夫です……!」
今度は手で左胸を押えてレイは苦しげにそう言ったが、大丈夫ではなさそうである。
(ですがとりあえず囮役は成功……!)
色々と気になる部分はあるが、レイをおびき寄せることが出来たので、フロルの仕事はこれでひと段落だ。何となくやり切った気持ちになりながら彼らの様子を見ていると、
「人竜国へ帰りましょう、フロル様。今ならばフロル様にとって人竜国での暮らしは、これまでよりも居心地が良くなっているはずです」
レイはそんなことを言いだした。一体何の話だろうかとフロルは首を傾げる。
「いえいえ、お気になさらず。私はこれからもこちらにおりますよ。住んでもいいよってアイルから……魔王国の王様から許可をいただいておりますし!」
フロルは手を胸に当ててにっこりと微笑む。レイは「ぐっ」と何かを堪えるような声を漏らした後で、首をゆるゆると横に振った。
「確かにこの国の方が住みやすいと思います。ですが、ルーナ様があなた様のために、王城の環境を整えているのです」
「ルーナが? えっと、何故です?」
「あなた様のことを、かわいい妹だと思っていらっしゃるからです」
「かわいいいもうと……」
思わずフロルは棒読みになった。
言われた言葉がいまいち理解出来なくて頭の中で反復する。言葉の意味は分かるけれど、それと状況が結びつかないのだ。
(……あっ! なるほど、これもレイさんの作戦かもしれないですね!)
合点がいってフロルは胸の前でポンと手を叩いた。甘い言葉で懐柔して、そのままフロルを攫ってしまおうという魂胆なのかもしれない。
なるほどと思いながらフロルもまた首を横に振る。
「んっふふ、お気遣いありがとうございます。ですが、さすがのフロルにも嘘というのは分かりますよ。魔王国側にも不利になるような状況はご遠慮します、ええ、とても!」
「フロル様……何て、何てお優しい……!」
「…………」
思ったのと違う反応があってフロルは狼狽えた。
何かを言うとすべて肯定的な表現が返ってきてしまう。今までにこんな相手にフロルは会ったことがない。
嫌味や悪意への対処方法はいくつも思いつくのに、レイのようなタイプは初めてだ。表情からも心情を上手く察することができない。
これが未知との遭遇なのかと、若干失礼なことをフロルが考えていると、
「動くな」
一瞬の風を感じた直後、アイルやトー、そして魔王城の者たちが一斉に現れ、レイたちの首などに武器を突きつけていた。
おお、とフロルは拍手をする。アイルたちがどのタイミングで動くかは聞いていたけれど、実際に目にすると迫力が違う。
「警備の穴を、わざわざ作っていただいたことは理解しています。これが罠だということも承知の上です」
しかしレイは動揺一つ見せない。彼の仲間たちは「だから嫌だったんだ……」「人の話聞かねぇもん……」などと嘆き出す。しかしレイはそんなことなどまったく気にしていないようだ。
「だからこそ、フロル様を助けたいと思う私の本気を見ていただきたく、こうして真正面から伺いました」
そう言いながらレイはアイルの方へ鋭い眼光を向ける。真正面から、という部分を強調している辺り、昨晩アイルに言われた「堂々と」との言葉を意識しているようだ。
(真正面とは……?)
使い方が違う気がしたが、とりあえずフロルは口を閉じておいた。トーからよく言われる「お口にチャック」は今だと思ったからだ。
「フロルがドン引きしているから、おかしなことを言うのはやめな」
「フロルさんがドン引きするなんて本当に相当のことですよ」
するとどういう解釈をしたのか、アイルとトーはそんなことを言った。
えっとフロルが二人を見る。アイルとトーは分かっていますよ、という顔をしていた。まったく伝わっていない。フロルはガーンと軽くショックを受ける。
「……うちの子、そういう感じなの?」
「あんたも大概よ」
すると宝石竜とネーヴェもこちらへとやって来た。
新たな人物の登場にレイの目もそちらへ向けられる。最初は怪訝そうにしていたレイだったが、宝石竜の姿を視界に捉えた瞬間、これでもかというくらい目を見開いた。
「……っ⁉ 宝石竜様⁉ な、何故、こちらに……」
「あ、私の擬態姿を知っている子なんだね。うん、私はね、フロルの様子を見に来たんだよ。ジェスからも頼まれたし、私も心配だったからね。それなのに、ねぇ、一体何をしようとしているのかな?」
慌てふためくレイに宝石竜は淡々と問い質す。普段の穏やかで柔和な雰囲気ではなく、少し冷たさの感じる声だ。
フロルが驚いて宝石竜の顔を見ると、六色の美しいその瞳が、ゾッとするほどに鋭くなっていた。
怒っている――のかもしれない。どうしたのだろうとフロルは少し心配になった。宝石竜のこんな様子をフロルは見たことがない。
固唾を飲んで見守っていると、少しして宝石竜の体から力が抜けて、彼はほんわりとした顔をネーヴェへ向ける。
「ねぇ氷竜、こんな感じで良かった?」
「確認しなきゃ完璧だったわよ。台無しよ」
どうやら場の空気に合わせて演技をしてくれていたようだ。ネーヴェはしようもないといった様子で嘆息する。
「あ……」
そうしているとレイも緊張の糸が途切れたのだろう。小さく声が漏れた。
フロルが彼の方へ顔を向けた、その時。
「うわああああああ! 宝石竜様あああああああ! 擬態のお姿を初めて見たああああああああ!」
――魔王城の中庭に絶叫が響き渡った。
その場にいたレイ以外全員の肩が跳ねる。
「な、何だ……?」
「うわああああああああ!」
「うるさっ⁉」
レイは滝のような涙を流しながら叫び続けている。だんだん収拾がつかなくなってきた。
フロルはどうしたものかと思いながら「あ、そうです!」と呟いて、レイの仲間の方へ近付く。
「あの、これはどういう状態ですか?」
「いえ、その、えっと……レイはファンなんですよ」
「ファン?」
「宝石竜様とフロル様の……」
レイの仲間たちは視線を逸らしながら、とても気まずそうにそう言った。
フロルは目を丸くして、
「……ファン?」
もう一度同じ言葉を呟いたのだった。




