35:諦めたこと
その日の夜。
月が煌々と照らし、夜風がそよそよと吹く中、フロルは魔王城の中庭にぽつんと一人で立っていた。
白色の石畳が敷かれた中庭には、中央の噴水を囲むように等間隔で花壇が四か所設置されている。上空から見れば花のような形になって見えるそこには、四季咲きの薔薇が甘い香りと共に咲いていた。
フロルがいるのはその噴水の近くだ。噴水の水しぶきと水面に月の明かりが反射して、キラキラと煌めいている。
それを眺めながらフロルは、
(これだけ分かりやすく囮ですよってしていますが、本当に来ますかねぇ)
なんてことを考えていた。
フロルがこんな時間にこんな場所で立っているのは、レイたちをおびき寄せる囮役のためだ。
「誰もいない場所に立って、フロルが何か面白いことをすれば、罠だと分かっていてもレイは近付いてくるよ。何なら名前を呼ぶだけでも良いと思う」
と、宝石竜が言ったからである。
その提案を聞いた時に、フロルたちは「本当に大丈夫……?」と思ったのだが、宝石竜があまりにも自信満々の様子だったので、やってみることにしたのだ。
もしも上手くいかなかったとしても次があるし、そうしている間に人竜国側での捜査が進んで、色々と判明することもあるだろうから、それで良し。
今回の作戦ではアイルたちに加え、宝石竜やネーヴェも近くで待機してくれているので、フロルも安心して囮役に徹することが出来ていた。
(それにしても、私の囮役っぷりもだんだん板についてきましたねぇ。……ハッ! 魔法を勉強して自衛手段を身に着ければ、これはもしや囮役ビジネスが……行ける……⁉)
そしてフロルはちょっと楽しくなってしまっていた。心の呟きが周囲に聞こえていたら、とても呆れた眼差しを向けられたことだろう。
フロルは「んふふ」と顔をほころばせつつ、それでは始めようと足を一歩前へ踏み出した。
「……では」
目を閉じて息を吸う。ひんやりとした夜の空気を体の中に取り込んで、フロルは目を開くと、腕をゆっくりと持ち上げて、同じ速度で踊り始めた。
「…………~~♪」
アイルが演奏してくれたあの曲を口遊みながら、フロルは軽やかにステップを踏む。円を描くように歩いたと思えば、リズミカルに飛び跳ねて空中でくるりと一回転。
服の袖が少しずれると、そこから黒色の宝石鱗が顔を覗かせた。月明かりに照らされたそれは、まるで星空のようにキラキラと輝いている。
(覚えた魔法は一つだけど、これもこれで魔法みたいです)
そんなことを思いながら、フロルは囮役という名目でダンスを踊り続けた。
♪
月明かりの下で踊るフロルを、宝石竜は少し離れた場所からじっと見つめていた。
フロルの表情はとても楽しげで晴れ晴れとしている。
(好きなことを何もかも諦めていたあの子が……)
宝石竜はじんわりと胸が温かくなった。フロルが幼い頃に、自分にダンスを披露してくれた時も、今みたいな笑顔だったなと宝石竜は思い出す。
(あの屈託のない笑顔に、陰りが見えたのはいつからだっただろう)
あんなに楽しそうにダンスをしていたのに、ある時からフロルはぴたりとやめてしまった。
だから宝石竜は疑問に思って、フロルが顔を見せてくれた時に直接聞いたことがある。
「フロル、ダンスもうしないの? 綺麗だったからまた見せてほしいなぁ」
「ん~……ごめんなさい、宝石竜様! フロル、飽きちゃった!」
すると彼女は笑ってそう答えた。
その時は宝石竜も「子供ってそういうものなのかな」と思ったけれど、後になってそれが自分のためを思ってのことだと知ってショックを受けた。
フロルが何かをするたびに、親族が色々と嫌なことを言って妨害しようとする。それを知った宝石竜は「やめようね」「ダメだからね」と彼女を庇った。
しかし、それは火に油を注ぐような行為だった。
宝石竜がから大事にされているのが気に入らないと、フロルへの嫌がらせが増したのだ。しかもバレないようにこっそりと、やり方が陰湿になった。
宝石竜からすれば、いかに隠れてやろうとしてもバレバレではあったが、そのせいでフロルを直接守ることが出来なくなってしまった。
歯がゆかったし、自分が加護を与えたかわいい子たちが、そんな愚かな行動をすることも悲しかった。
その感情が顔や雰囲気に出てしまっていたのだろう。フロルはぴたりとダンスをやめてしまった。
もとも相手の顔色や表情から、その心情を察することに長けていた子だ。宝石竜の気持ちに気が付いて、フロルは笑って自分の好きだったことを手放したのだ。
今思えば、フロルが一番最初に諦めたのはあれだった気がする。
「泣きすぎよ」
そんなことを思い出していたら、涙が自然と零れていたようだ。
隣にいたネーヴェが、こちらを見ずにハンカチをよこしてくる。
「ごめん……」
宝石竜はハンカチを受け取ると涙を拭った。
「魔王国の子たちは……私がフロルにしてあげられなかったことを、してくれたんだね……」
「はーん? あんた、何言ってんのよ。違うわよ。そうじゃないでしょ」
ネーヴェは流し目に宝石竜をちらりと見てそう言った。宝石竜は不思議に思って首を傾げる。
「違う?」
「そうよ。してあげたとか、してもらったとか、そうじゃないでしょ。あれは、あの子がちゃんと自分で選んで考えて、そうしているのよ」
「フロルが……自分で」
きょとんとした宝石竜に、ネーヴェは「あたしもそんなに深くは知らないけれど」と前置きをして言葉を継ぐ。
「あたしたちにとっては、たった十六年生きただけの子なんて赤子同然よ。でもね、あの子はあたしたちが思っているような雛鳥じゃないわ。生贄にさせられかけても嘆いたりせずに、何とか生き延びようと自分で考えて頑張れるくらいの子なのよ。知っているでしょう?」
そう言うとネーヴェは宝石竜の胸に指をつきつけた。軽い力だったのに、何だか妙に強い衝撃を受けた気持ちになって、宝石竜は僅かに仰け反る。
「アイルやトーは優しい性格の子たちだと思うけれど、口を開けてただ餌を待っているだけのような子の面倒を見るほど、甘くないと思うわよ。魔王国の王とその側近なんだから」
「…………」
ネーヴェの話に耳を傾けていると、宝石竜の頭に人竜国の王ジェスの顔が浮かんだ。ジェスも優しいが、人竜国の王らしく冷徹な一面も持っている。
だからアイルとトーも、そういう一面を持っていると言われれば、それは確かにその通りだ。
(フロルが自分で認めさせた……)
そう思ったら嬉しくて誇らしくて、そして寂しくて。宝石竜の目から止まっていた涙が再び流れ出す。
ネーヴェはぎょっと目を剥いた後で、肩を落としてため息を吐いた。
「あんたね、泣きすぎて干からびるわよ……」
「だ、だってぇ……」
そんなやり取りをしていると、フロルを中心に薄く張ってた魔力の膜に、僅かな干渉が起こった。
宝石竜とネーヴェはハッとして顔を向ける。そして注意深く観察していると、フロルから数歩離れた場所に侵入者が姿を現した。




