34:情緒が不安定な宝石竜
翌朝、朝食を食べ終えたフロルは、アイルたちと昨晩のことについて話していた。
その場にいるのはフロルとアイル、トー、宝石竜とネーヴェだ。
五人共、最初は落ち着いて話をしていたのだが――。
「私のかわいいフロルが怪我私のかわいいフロルが怪我私のかわいいフロルが」
話が始まると、昨晩は酔っぱらって寝ていて、今日になって事件を知った宝石竜の様子がおかしくなっていた。
虚ろな目で、絶望感たっぷりの顔に両手を当てて、壊れた魔導ラジオのように先ほどからずっと同じ単語をぶつぶつと呟いている。
「怖いわよ、ノンブレスやめなさいよ、このボンクラ! 周りも怖がっているでしょ! あたしだって怖いわ!」
ネーヴェは半眼になって、彼の背中を手でばしんと叩く。
しかし、擬態化していても頑丈な体を持つ竜には、その程度の衝撃なんて何のことはない。宝石竜は滝のような涙を流しながらフロルに抱きつく。
「うぇぇぇぇん、フロルぅぅぅ、私が近くにいたのにごめんよぉぉぉぉ~~~~!」
とんでもない号泣である。ぎゅうぎゅうと、少々痛いくらいに抱きしめられて、フロルは引き攣った笑顔を浮かべる。
「だ、大丈夫ですよ、宝石竜様……」
「フロルがドン引きするなんてよっぽどだよ」
「よっぽどですね」
アイルとトーの冷静な指摘に、フロルはガーンと軽くショックを受けた。そういう感じで見られていたらしい。
「これがいわゆる世知辛さ……!」
「あんたも大概なのよ」
ネーヴェにまでしっかりツッコミを入れられてしまった。
そんなやり取りをしていたら、アイルが「話を戻すぞ」と話題を変える。
「フロルは昨日の奴のことを知っているかい?」
「はい。アイルが話をしていた一人だけは。昨日の話に出たルーナの側近で、レイという名前の武官です。私も接点はほとんどありませんが、気が付くとこちらをじっと睨んでくるので、警戒されているなぁと思っておりました」
「それは怖いな」
「怖いんですよねぇ」
アイルの言葉にフロルはうんうんと頷く。
そんな風なので正直に言えばフロルは嫌われていると思っていた。
しかし昨晩の様子だと、もしかしたら『嫌い』までには辿り着いていないのかもしれない。
まぁ、どちらにせよ、じっと見られるのはなかなか怖いのだが。
「そのレイという男は、フロルさんを助けに来たと言っていたのですよね?」
「はい」
「俺もそう聞いたな。人竜国の王の意志とは違うとなると……」
「どうもルーナの指示らしいですよ」
「やっぱりそっちか。うーむ……」
アイルは腕を組み、考えるように目を細くした。
「それにしても行動が今一つよく分からないな……。そもそも他国の王城に押し入って、嫁を奪おうとするのは相当だよ。まぁ、向こうはその辺りの事情は知らないだろうけれど」
「ん? 嫁? どういうこと?」
するとその言葉を聞いて、今までおいおい泣いていた宝石竜が、涙をぴたりと止めて首を傾げた。
宝石竜は不思議そうな顔でフロルとアイルを交互に見ている。
……そう言えば説明をしていなかったかもしれない。
「私、名目上は今、アイルのお嫁さんなんですよ」
「――――」
とたんに宝石竜はぴしりと固まった。目をカッと見開いたかと思ったら、先ほどよりも勢いよくフロルとアイルを交互に見て、やがてわなわなと震え始める。
「あ、あ、アイル……! わ、わ、私は、あなたのことをそれなりに信用していたのに、よよよ嫁って! わたしのかわいい我が子同然のフロルを嫁って……!」
目を白黒させながら宝石竜が早口で捲し立てる。動揺のあまり呂律も若干回っていない。
宝石竜はフロルから手を離すと立ち上がり、まるでゾンビにでもなったかのようにふらふらと、おぼつかない足取りでアイルの方へ向かって行く。
アイルがぎょっと目を剥き、両手を前に突き出して必死で首を横に振る。
「待って待って待って! 説明するから、ちゃんと話を聞いて!」
「説明だって……? 私のかわいい子を、言葉巧みに言いくるめて嫁にしておいて、一体どんな説明を聞かせてくれると言うのかな……?」
「この守護竜、メリエラに近いものを感じるなっ⁉」
アイルは軽く仰け反りながら顔を引き攣らせた。
言われてみれば確かにそうかもしれない。そう思ったフロルだったが、そうなると自分とも似た部分があることになると気が付いて、
「これはもしや、アイデンティティーの危機……?」
なんて真面目な顔で呟いていたが、こういうところである。
ちなみにそれが聞こえたらしいトーからは、もの言いたげな視線を向けられてしまったが。
さて、フロルがそんなことを考えている間に、宝石竜はどんどんヒートアップしていく。焦るアイルと、それを見かねたネーヴェが宝石竜に、自分たちの事情を丁寧に丁寧に、それはもう丁寧に説明すると何とか理解してくれて、しばらくしてやっと宝石竜は落ち着きを取り戻した。
「なるほど、そういうことかぁ。取り乱しちゃって出してごめんね」
「いえ、分かっていただけたなら何よりです……」
明るく笑う宝石竜に、アイルはげっそりとした顔で、視線を逸らしてそう返していた。疲れが声と言葉に出ていて、先ほどよりもほんの少しだけよそよそしい。
しかし宝石竜はまったく気にしておらず、フロルの隣に座ってにこにこしていた。
「囮もどうかと思うけれど、フロルが納得してのことだし。本当にお嫁さんに行ったんじゃないなら良かった~」
「良かったじゃないわよ。直しなさいよ、その癖。いつまで経っても、加護を与えた子が嫁や婿へ行く時のそれ、全然変わらないじゃない」
呆れ切った顔で言うネーヴェに、フロルは目を丸くする。
「ずっとこういう感じなんです?」
「そーよ。本当に面倒くさいったらないわ。それで何度愚痴に突き合わされたことか」
両手を軽く開いて、ネーヴェは深く長くため息を吐く。宝石竜は悪びれない笑顔で「だって私のかわいい子たちなんだもの」なんて言っている。
大事に思われているのは嬉しいが、それはそれとして、ちょっと面倒なタイプの竜なんだなとフロルは思った。
「と、とにかく話を戻しますが……どう対処しましょうか。あの口振りだとまた来そうですし」
「そうですねぇ。ルーナの命令は必ず遂行するタイプだと思いますので、そうなると思いますよ」
フロルは以前、レイがあまりにも見てくるので、理由を含めてどんな人物なのか知りたくて、それとなく父に質問したことがある。
すると父からは、
「仕事が出来る優秀な人物だけど……まぁ、うん、優秀だよ? 仕事は迅速丁寧にやってくれるし、本当に出来ないことを出来るって無責任に言わないし、雑に手を出してめちゃくちゃにしないし。……まぁ、うん、仕事はね、優秀だよ? はぁ、ルーナの側近にするんじゃなかった……」
との答えが返ってきた。
少しばかり奥歯に物が挟まったような言い方だったので、気になってはいたのだが、父が『優秀だ』と言うのだから、きっとそうなのだろう。
(また来ると分かっているなら、迎え撃った方が良いですよねぇ)
そう思ってフロルは右手を天高く真っ直ぐに挙げる。
「というわけで、どうやって捕まえます? 私、どこで囮をすれば良いですか? 囮のフロル、行けます!」
そして元気にそう言った。アイルたちは顔を見合わせ、ふは、と笑う。
「話が早い。だけど、大丈夫か? 怖くないか?」
「そうです。昨日の今日なのですから」
彼らはフロルの提案を却下しなかったし、心配もしてくれた。優しい人たちだ。だからフロルもにこっと笑って胸に手を当てる。
「アイルたちが守ってくれるので大丈夫です!」
「そうか、信頼してもらえて何よりだ。もちろん、そのつもりだよ」
「同じような目には絶対に合わせませんから、安心してくださいね」
「あんたたちも大概過保護よね」
三人のやり取りを聞いていたネーヴェは苦笑する。
それから彼は顔をぐるりと宝石竜の方へ向けた。そして挑発するようにニヤリと笑って「で? あんたはただ騒いだだけ?」と問いかける。
「何か良いアイデアないの? あんたが守る国の人間種でしょ」
「そうだね、その通りだ。私だって迷惑を掛けたままではいられないよ」
宝石竜は頷くと、すらりとした指をピンと立てて、少しだけ頭を斜めに傾けて、
「レイが来ているなら良い方法があるよ。あの子、行動理由が分かりやすいからさ」
と、ちょっとだけ悪戯っぽく言ったのだった。




