31:守護竜たちの夜
魔王城に住む者の多くが寝静まった頃。
氷竜ネーヴェは宝石竜と共に、魔王城の客室でワインを飲んでいた。
深い赤色のワインだ。注いだグラスからはふわりと良い香りが漂って鼻腔をくすぐる。ネーヴェも長く生きているが、その中でも五本の指に入るくらい美味しいワインだった。
どうやらアイルたちは、ネーヴェと宝石竜のために、かなり上等なワインを用意してくれたらしい。竜種は意外とお酒にうるさい種族だったりするのだが、大満足である。
「ん~、最高! このワイン、買って帰ろうかしら」
ネーヴェは鼻歌でも歌いそうなくらいご機嫌にワインを飲んでいる。
――しかし。
「…………はぁ」
向かいのソファからは、じめじめとしたため息が聞こえてきた。
座っているのは宝石竜だ。彼はワインがなみなみと注がれたグラスを両手で持って、しょんぼりと肩をすくめている。また、宝石竜の体の周りには、悲しみの感情を示す青色の魔力のオーラが零れ出ていた。
フロルたちと話を終えた後から、宝石竜はずっとこの調子だ。
黒竜の前ではさすがにいつも通りを装っていたが、客室へ入ったとたんにこれである。
(まったく、このボンクラは面倒くさいわね)
ネーヴェは深々とため息を吐いた。
「なーに落ち込んでいるのよ。人竜国が嫌いかもって言われて、そんなに悲しかったの?」
「うっ……そ、それもそうだけど……。フロルが生贄にされかけたことも、人竜国で悪いことを企んでいる子がいることに気付けなかったことも、全部に落ち込んでる……」
ワインをちびちびと飲みながら宝石竜はそう零す。よく見れば、彼の顔は赤くなっている。どうやら酔っぱらっているようだ。
酔うような量を飲んでいたかしら、とネーヴェはワインの瓶を見る。しかし、そこにはまだ半分くらい中身が残っていた。
竜種は酒が好きだし、強い方だが、恐らくメンタル的なものが関係して、酔いが早くなっているのだろう。
宝石竜はいつもご機嫌に酔っぱらう時の方が多い。笑い上戸と言えるかもしれない。にこにこ笑いながら酔うので、一緒に飲んでいて楽しい相手ではあるのだが、ひとたび今のようにこうなるととても面倒なのだ。下手をすれば今夜だけではなく、しばらく引き摺るかもしれない。
(人竜国も大変そうだし、ちょっと手助けしてあげようかしらね)
このまま国へ帰せば、落ち込んだ宝石竜のケアで、人竜国の国民たちが大変だろうから。
ネーヴェは仕方ないわね、と思いながら口を開く。
「人竜国内での悪だくみに気付けなかったのは、単純にあんたがボンクラだから仕方がないわ。どれだけ落ち込んでも起きてしまっているんだから、そこは割り切って対処するしかないでしょう。あたしだってそうしているわ」
ネーヴェが例に挙げたのは根源結晶の件だ。
あれに手を出されるのは本当に予想外だったが、それを未然に防げなかったことはネーヴェの失態である。
反省しているし、後悔だってしている。けれど落ち込んでいたって事態は好転しないので、ネーヴェはこうして外へ出たのである。
そして自分と同じことを宝石竜ができないはずはない。
ネーヴェは彼のことをボンクラだと称しているが、責任感も行動力もある守護竜であることはよく知っているのだ。伊達に長く腐れ縁が続いているわけじゃない。
そう言うと宝石竜は少しだけ顔を上げて、苦さの交ざった微笑みを作る。
「氷竜は……すごいね」
「すごいねじゃなくて、あんたもやるのよ。今までだってそうしてきたでしょう?」
「……うん、分かってる。それは、ちゃんとやる」
こくり、と宝石竜は頷いた。
先ほどよりも声がしっかりと力を持っている。ネーヴェは軽く頷くと、ワインをひと口飲む。
それから少し考えて、触れようか迷った話題を口にする。
「だけど、一つだけ不思議なのよ。それだけ人竜国と国民が大好きなあんたが、どうしてフロルのことをフォローしてあげなかったの? しかもあの子は、あんたが加護を与えた子じゃないの」
ネーヴェが耳にした話では、フロルは周囲から疎まれて生きていた。その原因については、恐らく「悪だくみ」が関係しているのだろう。
悪だくみ自体に宝石竜が気付かなかったのは、まぁ仕方がない。しかし、フロルへの不当な扱いについては、察することくらいはできたはずだ。
だからネーヴェには疑問なのだ。この宝石竜の性格ならば、そんな扱いをされていた子を放置するなんてありえない。
「……私が守ると、あの子への風当たりが余計に強くなるんだ」
すると宝石竜はぽつりとそう言った。
「守ろうとしたことはあるんだ。だけどね、私の目が届かないところで、酷い言葉をあの子は受けていた」
「典型的な行動ね」
「うん。私の愛する子たちが、そういうことをするのはすごく悲しい。――それが顔に出ていたのだと思う」
宝石竜は苦しげに目を細める。ワインを持つ手にぐっと力がこめられた。
「あの子はそれが分かったから、私には大丈夫だと笑って、もう何もないよと嘘を吐いて、私から距離を取るようになってしまった。好きなものも、やりたいことも、全部諦めるようになってしまった」
「…………」
微かに震える声で、やるせない感情と共に宝石竜はそう吐露する。
ネーヴェはフロルの心情を察して胸が痛くなった。
変わっているし、突拍子のないことを言い出すところもあるが、あの子は優しい子だ。その優しさに加え彼女のいた環境が、相手の顔を見て心の内を察する力を与えてしまった。
「そんなあの子が……」
宝石竜の目からぽろっと涙が零れる。
ネーヴェはぎょっと目を剥いた。
「…………うっ、うう~……!」
「ちょっ、何で泣いてんの⁉」
「だって、だってさぁ……! そんなあの子が、諦めるんじゃなくて、自分の希望を口にしたんだよ……! わた、私、嬉しくて……! あの時、泣くの我慢してたんだからぁ……!」
「落ちこんだり喜んだり忙しいわね⁉」
あまりにも情緒が不安定過ぎてネーヴェは頭を抱えた。
まぁ、これも酔っぱらっているせいなのだろう。
ネーヴェなりに励まそうと思っていたが、この様子だと大丈夫そうだ。
まったく、本当に面倒くさい同族である。ネーヴェは肩をすくめてワインを飲んだ。
「良かったぁ……良かったぁ……」
宝石竜はぐすぐすと泣いている。いつの間にやらグラスのワインを飲み干して、ボトルをぎゅっと抱きしめていた。
(こうなったらとことん付き合ってあげようかしらね、久しぶりだし)
ネーヴェは苦笑しつつ、足を組みなおしてソファに背を預けた。
「ま、いいわ。こんな機会滅多にないもの。あんたの愚痴、聞いてあげるわよ。代わりにあたしのも聞きなさいよ?」
「……! うん!」
とたんに宝石竜の顔がパァッと明るくなった。
守護竜は守るべき子たちの前で弱音は吐けない。それが出来るのは同族の前だけだ。
宝石竜は嬉しそうに笑って、持っていたボトルの口をネーヴェに向ける。ネーヴェはフッと笑って、自分のグラスのワインを飲み干し、差し出したのだった。




