30:夜に舞う
状況確認とお互いの情報のすり合わせを終えた後、宝石竜とネーヴェは、せっかく魔王国へ来たのだからと、一泊して帰ることとなった。
今は黒竜の様子を見に行っている。卵から孵った黒竜を見るのは今日が初めてとのことで、宝石竜は少しソワソワしていた。
(宝石竜様、楽しそうでしたねぇ)
そんなことを思い出しながら、フロルはアイルとお茶をしたバルコニーから夜空を見上げていた。
色の違う星々が、夜空のキャンバスの上で輝いている。
よく見れば星には薄っすらと色がついている。まるで宝石鱗のようだと思いながら、フロルは手すりに腕を乗せ寄りかかった。
(星空はどこで見ても綺麗ですねぇ……)
それを見ていたら、何となくそんなことを思った。
人竜国の、自分の部屋から見えた夜空も、魔王国で見ている夜空と同じで綺麗だ。
けれども、それを見る自分の気持ちはだいぶ違っている。晴れ晴れというか、爽やかというか、そんな感じだ。
その理由はアイルの言葉だ。
(帰った方が良いって言われなくて、良かった……)
宝石竜たちと話をしていた時、嫁役の仕事が終わった後のことをアイルに相談して受け入れてもらえたことに、ホッとしたからだ。
フロルは人竜国のことは好きだ。自分の親族は好きじゃないけれど、宝石竜が見守る人竜国のことは掛け値なしで好きなのだ。
(でも、生きて行きたいと思ったのは魔王国だったから)
フロルがフロルとして生きていられる場所。それを許してくれる場所だから、フロルは魔王国で生きてみたいと思ったのだ。
宝石鱗を買い取ってもらえれば、しばらくは何とかなるだろうし、その間に自分にできることを見つけよう。
今後のことを考えながらフロルは右腕を持ち上げた。袖を捲ると、黒色の宝石鱗が月明かりに照らされて、キラキラと輝いている。
宝石鱗を見ていたら、宝石竜から言われた言葉が頭に浮かんだ。
『昔、君がダンスを見せてくれた時と、同じ笑顔をしているよ』
彼はそう言ってくれた。幼い頃に覚えたてのダンスを宝石竜に見せたことがあったのだ。短い曲を一曲踊り終えると、宝石竜は自分のことのようにはしゃぎ喜んでくれた。
(踊りたいな。踊れるかな、今も)
フロルは立ち上がって軽く体を動かしてみた。
円を描くように、その場でステップを踏む。歌を口遊み、メロディーに乗せてくるりと回る。
ダンスを止めてずいぶん時間が経つが、意外と体は覚えているようだ。
何だか楽しくなって夢中で踊っていると、しばらくしてピアノの音が聞こえてきた。
わ、と驚いて音が聞こえた方を見ると、そこにはアイルの姿があって、空中に光の鍵盤を浮かべて弾いていた。いつの間に来ていたのだろう、まったく気が付かなかった。
光の鍵盤は魔法で出したものなのだろう。彼の指先が鍵盤に沈むたびに、キラキラした光の粒子が音と共に浮かび上がる。
まるでマジックダンスみたいだ。フロルは笑って、アイルの音楽に合わせて踊る。
手を真っ直ぐに伸ばせば、袖から見える宝石鱗が、アイルの鍵盤の光を反射して煌めいた。
(――楽しい!)
何て楽しいんだろう。
そう思った時、不意に、フロルの足がもつれた。
「あわっ!」
フロルはどさっとその場に転ぶ。アイルはそれを見て、鍵盤を消して駆け寄って来てくれた。
「大丈夫?」
「平気ですとも、フロルはこれでも頑丈ですからね! いやぁ、久しぶりに踊ったので、足がもつれました」
「そっか。綺麗なダンスだったよ」
そう言いながらアイルは手を差し伸べてくれた。フロルはその手を取って立ち上がる。
「んっふふふ。ありがとうございます。小さい頃に、王城にやって来た旅の一座の踊り子さんから教えてもらったんですよ」
「へぇ、それは良い」
「でしょう!」
フロルはにこっと笑う。
「お母様もお父様も褒めてくれて、それで練習していたら――まぁ、色々とね、言われましてね。それでやめちゃったんですけれど……」
そこまで話して、フロルははたと止まった。
急に表情まで固まったものだから、アイルも不思議に思ったのか、首を傾げた。
フロルは僅かに視線を彷徨わせ、目を伏せて、
「…………自分でやめたんですよ、私」
と続けた。
色々と言われるのが嫌で、絡まれるのが面倒で。それで好きだったダンスまで嫌いになるのが嫌で、フロルはダンスを止めた。
「なのに、今になってちょっと後悔している私もいます。選択したのは私なのに」
あの時、やめるなんて選択をしなかったら、どうなっていただろう。
もしもを考えても仕方ないのに、フロルはそんなことを思ってしまった。
「後悔するくらい好きだったんだろ。気付けて良かったじゃないか」
するとアイルがそんなことを言った。
その言葉にフロルは少し驚いて、アイルの顔を見る。彼はニッと笑って腕を組んだ。
「フロルはまだ十六年しか生きていないんだから、今からまた始めればいいさ。いくらでも始められる時間がある。それが若者の特権だ」
そしてそう続けた。
その言葉にフロルは目の前がパッと開けた気がした。
星空を背に立つアイルの姿が、なぜかキラキラと輝いて見える。
――綺麗。
心の中でそう呟いて、気が付いた時にはフロルは、自分の腕の宝石鱗をぺりっと一枚剥がしていた。
そしてそれをアイルに差し出す。
「あげます」
「急にどうした」
「何となくアイルにあげたくなりました。今日は特別です」
「そう?」
アイルは不思議そうだったが、宝石鱗をそっと受け取ってくれた。
彼の手の中でフロルの宝石鱗がキラキラと煌めく。
それを見てフロルは不思議な感覚を覚えた。嬉しいとか、そわそわするとか、悪い気持ちではないけれど、何だかとても不思議な感覚だ。
何だろう、これ?
フロルは首を傾げる。
「どうした?」
「ちょうど不思議な気持ちになりまして。何でしょうね、これ?」
「俺に聞かれてもなぁ」
「ですよねぇ」
うーん、とフロルは唸る。よく分からないが――悪い気持ちにならないならいいかとフロルは思うことにした。もしかしたら久しぶりに宝石竜としっかり話ができたから、その興奮が影響しているのかもしれない。
こういう時は寝てしまうに限る。
フロルはよし、と頷くと「そろそろ寝ます!」とアイルに宣言した。
アイルは目をぱちりと瞬いたが「おう、その方がいいな」と頷く。
「それではアイル、おやすみなさい!」
「ああ、おやすみなさい」
そわそわした気持ちを抑えつつフロルがおやすみの挨拶をすると、アイルは穏やかに微笑んで返してくれた。




