28:白色の宝石鱗
宝石竜がここにいる理由をネーヴェに質問したところ、事情を説明したらついて行くと言って聞かなかったらしい。
宝石竜にとって、加護を与えた子供たちは等しくかわいい存在である。何かあったと知れば、居ても立ってもいられなくなるそうだ。
その話をしてくれた時のネーヴェは「昔から本当にここだけは変わらないのよね」と言っていた。けれどそう言った時の声に呆れや不快感はなかったので、そこは好意的に思っているらしいということが分かって、フロルはほっこりした気持ちになった。
「国を空けて大丈夫だったのですか?」
「数日くらいなら大丈夫。それにジェスとネルケにも頼まれたからね」
「お父様とお母様が?」
「うん。ネルケはネーヴェから事情を聞いて落ち着いたけど、ジェスはだいぶ怒っていたな~。フーちゃんにこんな真似をしたのはどいつだーって!」
ジェスこと父の真似をして見せてくれた宝石竜に、フロルは「あらまぁ」と目を丸くした。怒っているだろうなとは思っていたけれど、フロルが考えているよりも父は自分のことを想ってくれていたようだ。
ちょっとだけ嬉しくてフロルは思わずにへらとしまりのない笑顔になってしまう。それを見て宝石竜も微笑ましそうに目を細めた。
「ジェスは妻にも子にも平等だし子煩悩だけど王だからね。法を犯した者には容赦しない。……まぁ、すっごく泣いていて、すぐにでも連れ戻しに行きたいって駄々をこねていたんだけど、ネルケに窘められていたよ」
「そんな感じなんだ、あの人……」
アイルがほんの少し衝撃を受けていた。彼らの前ではキリッとした表情を保っていたのだろうとフロルは推測する。外向けの顔は舐められないために大事だと、以前に聞いたことがあるがそれだろう。
「素の状態は喜怒哀楽が賑やかな人なので。飛び出さなかっただけ及第点ですね」
「娘からの採点が厳しい」
「んふふ。娘だから厳しく行きますよ~」
フロルがお道化た調子でそう言うと、アイルは小さく噴き出した。ツボにはまったのか、くすくす笑っている。それを見て宝石竜もくすりと笑った。
「仲が良くて何よりだ。まぁ、それでね。氷竜が近況を伝えてくれたおかげで、あちら側の捜査が落ち着くまで、もう少しお世話になっていて欲しいんだって」
「もう少しか~」
「おや、ご不満?」
「ある意味ではそうですねぇ」
フロルはこくりと頷くと、アイルの方へ顔を向ける。
「アイル、アイル」
「どうしたの?」
「アイルの嫁役が終わったら、どこかで家を借りられますかね?」
「それは可能だけど、どうして?」
「私、こっちに住みたいなぁと考えておりまして」
そう言うとアイルだけではなく、宝石竜やネーヴェまで目を丸くした。
まぁ、それはそうだろう。人間関係を除外すれば、何不自由なく暮らせる環境を捨てて、文化や生活様式が違う魔王国に住みたいと言えば、そういう反応になるのは当然だ。
けれどフロルには理由があった。
「これから先、自分の足で立って歩いて行くなら、私は私のまま生きていける場所がいいです」
フロルは胸に手を当てて、堂々と答える。
だって、フロルは知ってしまったのだ。そういう生き方の心地良さを。
アイルとトーはフロルに、やりたいことをやっていいと言ってくれた。フロル自身すら躊躇っていた言葉を言ってくれたのだ。
(ここでそう生きられるなら、私はそうやって生きてみたい)
フロルはそう思いながらアイルの返事を待つ。
もちろんダメと言われたらどうしようと不安にもなった。それが少し表情にも出ていると、そんな心配など杞憂だと言わんばかりに、アイルはにこりと優しい笑みを浮かべる。
「いいさ。ずっといなよ」
「やったー! 後でダメって言っても、もう遅いですよ。フロルは意地でもしがみつきますからね」
「言わないよ。ずっとここにいるといい」
アイルの言葉どこまでも優しかった。
その声はやや興奮気味だったフロルの胸にじんわりと広がる。フロルは目をぱちぱちと瞬いて、それからふにゃりと微笑んで「やったぁ」と両手で、ゆっくりとガッツポーズを作った。
それを見て宝石竜は少しだけ寂しそうに微笑む。
「これはジェスが泣いちゃうなぁ」
「いいじゃない。子供は育って、巣立つものよ」
「そうだね。私たちはそれを、ずっと見てきた」
宝石竜はほんの一瞬目を閉じて、噛みしめるようにそう言うと、少しだけ屈んでフロルと視線を合わせた。六色の色に輝く宝石竜の美しい瞳がフロルに向けられる。
「ねぇフロル。ここ、楽しい?」
「はい!」
「そっか。ふふ。……昔、君がダンスを見せてくれた時と、同じ笑顔をしているよ。嬉しいな」
そう言って、宝石竜は懐かしそうに目を細めた。
えっ、とフロルは目を丸くする。そうだろうか、そんな顔をしていただろうか。自分ではよく分からなくて、フロルは顔を確かめようと両手を頬に当てる。やっぱりよく分からない。
「へぇ、フロル、ダンスが踊れるの?」
首を傾げていると、アイルが興味を持ったらしく、そう訊かれた。フロルはハッとして顔を向けると「ちょっとだけ」と答えた。マジックダンスのことだ。
「かじった態度ですねぇ。それにもうずいぶん昔のことですし」
フロルはほんのり苦く笑う。するとアイルが少し驚いた顔をした。
「フロル――」
「それよりもアイル、ゼッテルさんが言っていたアレが分かるかもしれませんよ」
「アレ?」
「ほら、魔人種の血を引く人竜国の王族のお話です」
人差し指をピンと立ててフロルは話題を変える。
「ん? ああ、確かに薄~くだけど、血を引いている子はいるよ? その子がどうしたの?」
「実は……」
フロルとアイルは宝石竜に事情を説明する。
相槌を打ちながら話を聞く宝石竜だったが、だんだんと顔色が変わる。分かっていることを全部話終えたころには、ショックを受けすぎて、しゃがんで膝を抱えていた。
「うっうっ、私のかわいい子たちが……そんなこと……」
しかも涙までぽろぽろと零している。これには呑気なフロルも大慌てになった。
いつも優しい微笑で自分たちを見守ってくれている宝石竜が、とても悲しそうに泣いているのだ。自分の言葉が彼を泣かせてしまったと、フロルはややパニックになりつつ、宝石竜の背中を手でぽんぽんとさする。
「ほ、宝石竜様、泣かないで」
「うっうっ、私のフロル、優しい……」
「放っておいていいのよ、フロル。自分が守る国で、しかも身近で起きていた悪だくみに気付かないボンクラなんか、勝手にショックを受けさせておけばいいの」
ネーヴェが呆れ気味に言った。同じ守護竜だから思うところがあるのか、ネーヴェが宝石竜へ向ける眼差しは冷たい。
ネーヴェからじとっと睨まれた宝石竜は、ヒッ、と悲鳴を上げてフロルに抱き着いた。
「だってぇ、私のかわいい子たちを疑うなんてしたくないもん……」
「フロル、これがボンクラの台詞よ。よく覚えておきなさい?」
「なるほど……」
最初に宝石竜がボンクラだと聞いた時は、フロルも衝撃を受けたが、何となくネーヴェの言わんとしている意味は分かった気がする。
神妙な顔でフロルが頷いていると、宝石竜の顔が一瞬「まずい!」というものになった。それから彼はキリッと真面目な表情を作る。
「そ、それはともかく、魔人種の血を引く子についてだけどね。その子の名前はルーナと言って、私が白色の宝石鱗を与えた子だ」
「魔人種? ルーナってそうだったんですね」
初めて知ったとフロルは目を丸くした。
魔人種は耳が尖っていること以外は人間種と容姿はほとんど変わらないので気付かなかった。言われてみれば、彼女の耳は自分のそれよりも少し尖っていたような気もする。
ルーナはフロルより二つ年上の王族だ。黄金色の髪に、銀色の瞳をした美しい少女で、白髪とルチルクオーツ色の瞳をしたフロルとは、ちょうど正反対の色をしていると言われたことがある。
そんなルーナはフロルに対して、嫌がらせをしてくることはなかった。
ただいつも遠くから、側近と一緒にじっとこちらを見つめてくるだけだ。とは言え、監視されているように感じられて、フロルはちょっと苦手ではあったが。
「白色か……。念のため確認させていただきますが、同じ色の宝石鱗持ちは他にはいるんですか?」
するとアイルが指を当てて、少し考えた後でそう訊いた。宝石竜は首を横に振る。
「ルーナだけだね。白と黒は同時に一人ずつにしか与えられないんだ。ルーナのお母さんが、人間と仲良くやって行けますようにって祈っていたから、白色の宝石鱗をあげたんだよ」
「なるほど……」
アイルの目が細くなった。
「アイル、アイル。何か気になることが?」
「ああ。実は歓迎会の時に、白色の宝石鱗をくれた子がいるんだ」
「あら、情熱的じゃない。あたしたち竜種だったら、宝石鱗を直接プレゼントするのは求婚の意味があるのよ」
「えっ!」
ネーヴェんのとんでもない言葉を聞いて、フロルはぎょっと目を剥いた。
そしてあわあわと焦りながら、黒色の宝石鱗の生えた自分の腕と、アイルを交互に見る。
「アイルとトーと黒竜様に直接宝石鱗を渡した私は、つまり皆に結婚してくださいと言っていたということですか⁉ なるほど、フロルはしかと理解しました。責任を取ります! 結婚しましょう!」
「待って待って待って」
「アイル、魔王国は一夫多妻ならびに一妻多夫はありのところですか?」
「すごい勢いで思考が駆け抜けていくな、この子! ありかなしかで言えばなしだよ!」
フロルの勢いにさすがのアイルも頭を抱えた。
思わずといった様子で宝石竜が噴き出す。
「んふ、ふふ……! 大丈夫だよ、フロル~。フロルは竜種じゃないでしょ?」
「万が一ということがあります。ですので不誠実な態度は避けたいのです。お母様がお父様の長所として挙げた部分と同じになってしまうところだけちょっぴり不服!」
「そういう慎重なところかわいいな~うちの子~」
「今のでそういう感想になるのは何なの? お父さんの扱いがだいぶかわいそうよ?」
でれでれと相好を崩す宝石竜に、ネーヴェは額に手を当ててため息を吐いた。




