26:それはそれ、これはこれ
ゼッテルとルルから事情聴取を終えた後、トーは魔王城の魔導具開発局へと足を運んでいた。ルルが利用したマジックオーダーの件だ。彼女がマジックオーダーの修理をここへ頼んだ結果あのような事態に発展したので、それについて詳しい話を聞く必要があるため訪れたのである。
魔導具開発局は魔王城の三階の最奥にある。開発局内の情報や魔導具が外へ流出するのを防ぐために、できるだけ外部の人間が近づき難い場所を選んだ結果、その配置となった。
ただその分、利便性は悪い。どこへ行くにもそこそこの距離があるので移動が大変なのだ。まぁ、所属している者たちは引き籠りの気質が強く、外部との接触をあまり好まない性格の者が多いため、本人たちは不便に思っていないようだったが。
そんな魔導具開発局の主な仕事は、魔導具の研究や開発、改良。それから不審な魔導具の検査や解析も行っており、治安維持局から要請があれば犯罪捜査に協力することもある。つまり、簡単に言えば魔導具絡みは何でもござれという部署である。
そこの局長を務めているのは、ミラという名前のドラゴニュート種の女性だった。
(個人的には、若干気が重いのですがね……)
心の中でそっとため息を吐く。実はトーはミラのことが苦手だった。
魔導具研究において、彼女以上に優秀な人物は魔王国にはいない。
だからこうして魔王国に留まって、様々な成果を挙げてくれることにトーは感謝しているが、それはそれとして彼女は人格面に難があった。
ゼッテルの方が分かりやすい分だけマシかもしれない。
憂鬱な気持ちを引き摺りつつ、魔導具開発局に近付くと、油や機械、それから薬草の香りが混ざり合った、何とも複雑な匂い漂い始めた。決して心地良い香りとは言えないのが悲しいところだが、これらは魔導具の研究をする過程で発生するものらしい。
熱心に仕事をしている証でもあるのだが、時折その匂いが耐えられないくらい強烈な時もあり、近くの部署からたまに苦情が出ることもある。
それらを受けてトーも、換気や消臭用の魔導具の使用を局長のミラへ頼んでいるのだが「匂いも大事な要素なのだよ」と返されて、一向に改善する気配はなかった。
そんなことを考えている内に魔導具開発局へと到着した。魔王城内では幾つかしかない両開きのドアを開けて中へ入ると、室内は相変わらず乱雑な状態だった。魔導具や機材、材料の入った箱が所狭しと置かれている。
(ううっ、片付けたい……)
きちっと整理整頓されていた方が好きなトーは、ここへ来るたびにいつもそう思う。だが、前にそれを提案して、何なら自分がやりますからと伝えたが、この状態がベストなのだと所属している者たち全員から断られたため、未だ実行できずにいる。
事実かどうか念のためテストしてみたが、本当にどこに何があるかちゃんと把握できていたものだから、それ以降トーは整理整頓について何も言えずにいる。
「失礼します。ミラはいらっしゃいますか?」
「あ、いらっしゃい、トー! いますよ、ちょっと待っていてくださいね。おーい、局長~! お客さんですよ~!」
室内へ入って声をかけると、虎の獣人種の女性がにこっと笑ってミラを呼んでくれた。
すると奥の衝立の向こうからミラが顔を出した。艶やかな赤髪と赤い尻尾が揺れる。ややたれた金色の瞳がトーを映したと思ったら、ミラはにいっと楽しそうに口の端を上げた。
「おやおやおや、ここへくるのが意外と早かったじゃないか、トー♡」
「うわぁ……」
やけに甘ったるい声で呼びかけられ、トーは露骨に顔を顰めた。基本的に人当たりの良いトーだが、ミラに対してだけはどうしても不快感が素直に出てしまう。これまでに色々とからかわれ続けたせいかもしれない。
「……きみにそういう反応をされると、地味にダメージがくるね」
「いつもしていますよ」
「そうだったね、あっはっはっ!」
しょんぼりとしてみせた後で軽快に笑い出すミラを見て、トーはため息を吐いた。昔から彼女はこんな調子で、トーはいつも振り回されていた。
――しかし、今回はそうされるわけにはいかない。
「意外と仰いましたね。私があなたを訪ねた理由を理解していると判断してもよろしいでしょうか?」
トーはミラの目を真っ直ぐに見つめてそう問いかけた。
普段の彼女ならば、誤魔化そうとすればいくらでも煙に巻くような言い方をしていただろう。
しかし今回ミラはそうしなかった。
「そうだね。ふふ……」
「説明していただけますね」
「そう怖い顔をするのではないよ。せっかくの男前が台無しだよ、トー」
「ミラ」
茶化すような雰囲気に、トーが語気を強めて言うと、ミラはやれやれと肩をすくめた。それから彼女は少しだけ真面目な顔になる。
「いや、ね。てっきり魔王様がくると思っていたから、きみだったことが意外だったのだよ」
「魔王様はおかしな魔法をかけられたので、精密検査中です」
「んん~、そんなに変な魔法じゃないのに~」
そう言いながらミラはトーの方へ一歩近付く。それを見てトーは右の手のひらを彼女に向けて「動かないで」と制止した。とたんに開発局の中にざわめきが起きる。
「一歩でも動いたらあなたの腕を飛ばします」
「やだ、物騒~♡ いいねぇそういうギャップは好きだよ~」
「…………」
「……うん、ごめんね。そんな目で見ないでね。きみの視線と嫌悪感が、私のハートに結構な勢いでぐさぐさ刺さっているから」
トーが態度を崩さないでいると、さすがにこれ以上ふざけるのは無理だと考えたのか、ミラは両手を軽く広げて「降参だよ、降参」と言った。
それからミラは小さく息を吐く。
「――大丈夫だよ、根源結晶の件は私じゃない」
「そうですね。ゼッテルの証言からもあなたの名前は出ていない。それにあなたは好奇心でも、そういうことはするタイプじゃない」
「そうだろう?」
「だから何故あのような真似をしたのか理解が出来ないのです」
手のひらを向けたままトーは言う。
ミラはゼッテルとは大して仲が良いわけではない。プライドの高いゼッテルを、ミラがからかって遊んでいる姿を見かけることはあるが、それに憤慨したゼッテルが極力彼女と関わらないようにしているのだ。ただ、どうやら遠縁であるらしいとは聞いたことがあった。
「単純な話さ。あの陰険眼鏡を大罪人にしたくなかっただけ」
「……?」
「ゼッテルが人竜国側の奴に唆されて、こそこそ連絡を取っていたのは知っていたよ。開発局の魔導具を使うんだもん、詰めが甘いよね~♡」
「…………」
「だから知っていたけれど、根源結晶の件は止められなかった。ならばせめて、もっと酷い状況となる前に止めてやりたくてね」
馬鹿にするような物言いは感じられたが、最後の方は本当にゼッテルを心配しているような声色だった。トーは「何故?」とさらに問いかける。ミラは少しだけ目を細くして腕を組んだ。
「あいつは馬鹿だが、魔王国を愛しているからね。利用されているのを分かっていて見ぬふりをするのは、身内としてはちょっとね。だからそれ前に、何かしらの派手なことが起これば目につくかな~って♡」
「……それでフロルさんを狙ったのですね」
「一番無力で狙いやすかったからね。それにゼッテルのかわいらしい初恋を応援してあげるのも面白……いやいや、悪くないと思ったんだよ」
うっかり口を滑らせかけて、ミラは慌てて言い直していたが、誤魔化しきれないほどに、ほとんど言ってしまっていた。
トーは呆れて半眼になる。どういう状況でも、何とか遊んでやろうとするその気概だけは悪い意味で見事なものだとトーは思った。
「魔王様が引っかかったのは想定外だったのだよ。しかし、まぁ、結果オーライさ」
「……本当に危険はありませんでしたか? 人体に影響を及ぼす魔法は、薬以上に使い勝手が悪い。一歩間違えば簡単に命の危険が及びます。あなたは私怨でフロルさんを狙ったのではありませんか? ――人竜国が大嫌いなミラ」
少しだけ間を開けて言えば、ミラの表情が一瞬固まった。彼女はほんの少しだけ視線を彷徨わせた後で、苦笑いを浮かべた。
「……そうだね。その通りだ。だけど、それはあの子を狙う理由にはならないよ。人竜国の人間である前に、あの子は一人の子供だ。私は子供が苦しむところなんて、死んでも見たくないからね」
ミラは軽く首を横に振る。
(……これは本音でしょうね)
トーは少しだけ目を伏せて、彼女に向けていた手を下ろした。
それを見てミラは、フッといつも通りの笑みに戻って、組んでいた手を解く。
「さて! 聞きたい話はこれで全部かな? それでは私は仕事に戻……」
ミラが踵を返しかけた時、トーは彼女に近付いて、その腕にガシャンと手錠をかけた。とたんにミラは目を丸くする。
トーはにっこりと笑ってみせた。
「あれ?」
「魔王様とおまけ二人に、未認可の危険な魔法を使用した罪で逮捕します」
「え? あれ? これで話は終わりだってなるパターンだよね?」
「いいえ?」
トーは笑みを深めて首を横に振った。その目は普段の穏やかで優しげな様子とは打って変わって据わっている。表情は笑顔なのに、何故か震えがきそうなくらいの圧を放っていた。ひい、とミラが青褪める。
「魔王様だけでなく、黒竜様も危険だったのです。誰が無罪放免にすると思いますか? それはそれ、これはこれです。さあ行きましょう、取り調べ担当者が待っていますよ!」
「め、めめめ、目が怖いよ、トー! 待って! 待ってって! ご、ごめんなさぁぁぁぁい!」




