2:ということがありまして
フロルは宝石竜が守護する人竜国の姫君だ。
姫君と言っても大した権力はない。何せ好色な王の十五人目の妻の子で、上から数えて三十五番目の姫君なのだ。
「権力? 何それ美味しいの?」
くらいの立場である。
それに加えフロルは、この世に生を受けた瞬間から疎まれていた。
その理由は身体のあちこちに生えた宝石のような鱗だ。
宝石鱗と呼ばれるこれは、王族の血筋にのみ見られる特徴で、宝石竜の加護をその身に宿していることを意味する。
宝石鱗には不思議な力があって、魔法に対する抵抗を高めたり、魔法を使う際の補助となったり、重宝されている。
そして鱗持ちの王族は、宝石鱗を定期的に国へ納めることを義務付けられていた。
しかしフロルの宝石鱗は少々特殊だった。
何故ならば、オニキスと呼ばれる黒色の宝石鱗だったからだ。
黒色の宝石鱗は不吉な色なんて噂があり、実際にフロルの鱗に触れた人間は軒並み体調を崩している。
そのせいでフロルはクズ石姫なんて陰口を叩かれて、周囲から疎まれて生活していた。
愛情を持って接してくれたのは父王と母だけだ。
それ以外の人間――他の王妃やその子供たちからの風当たりは強かった。
人前に出れば叱咤され、嘲笑われ。部屋の外に出られることなんて、父か母が一緒にいる時以外ほとんどない。
そうして最後には両親がいないタイミングを狙われて、
「価値がないならせめて生贄として役に立て」
と箱に詰め込まれたのである。
その理由は海を挟んだ隣国――魔族や獣人などの多種族が暮らす魔王国から「宝石鱗」を融通して欲しいというお願いをされたからだ。
そして以前から魔王国の住人たちは、宝石鱗持ちを喰らうという話があった。
だから人竜国の王族の一部は、その要求を『生贄を欲している』と考えたのだ。
そこで白羽の矢を強引に突き刺されたのがフロルである。
連中は父王と母がいない隙を狙ってフロルを箱に詰めた。
そして会談のためにやって来ていた魔王国の者たちが、帰国する直前に「贈答品です!」と渡したのである。
「かわいそう……」
「マジかよ……」
「俺、贈答品は桃だと思っていたのに……」
「そんなこと言うんじゃないわよ。食べられるかもって怖がっちゃうでしょ。あんた、ただでさえ顔が怖いんだから」
フロルの話を聞いて、甲板のあちこちからそんな声が聞こえる。
「それではあなたは……気丈に振舞ってらっしゃったのですね……」
先ほどのリザードマンなんて涙ぐんでいたりする。
(やっぱり良い人です……!)
再びフロルはきゅんとした。
しかしそれは誤解だ。だってフロルは別に、気丈に振る舞っていたわけではない。
慌てたフロルは胸に手を当て、首をぶんぶんと横に振る。
「いえいえ、今の私は素の私です」
「素」
「素です。ありのままの私です」
胸を張るフロルに彼らは目を丸くした。
なかなか理不尽な境遇ではあるが、フロルはそれらを粛々と受け入れて、ひっそりと涙するような大人しい人間ではなかった。お金と知識を蓄えて、作戦を練って反撃しようと思っていたくらいだ。
生贄になれと箱に詰め込まれた時、フロルはぶちギレていた。大人しくしていればつけあがりやがってと、それはもう荒れに荒れていたのだ。
箱をバコンバコンを蹴って外へ出ようとしていたが、あまりに暴れたものだから重石を載せられて脱出が不可能になっただけで、出られるものならとっくに抜け出していた。
「そして生贄! この仕打ち! こんちくしょう! という感じです」
「大人しそうな見た目してるのに、なかなかのお口の悪さだな~」
「そういうのをギャップ萌えと言うらしいですよ。萌えというものが何なのかよく分かりませんが、そんなに悪くない言葉みたいです。萌えました?」
「萌えないな~」
「萌えないか~」
苦笑いを浮かべられてしまった。
ギャップ萌えというのも難しいものである。
「というわけで生き延びたいので殺さないでください」
「うちは生贄なんていらないから殺したりはしないよ」
少年の言葉にフロルは目をぱちぱちと瞬いた。
何だか聞いていた話と違うなぁと思いながら、フロルは首を傾げる。
「いらないです? 人間種をお召し上がりになるとかないです?」
「人間種を食べてもまずいでしょ。宝石鱗をって言うのは……ん? お嬢さん、ちょっとその腕を見せてくれないかい?」
すると何かに気が付いた少年が、フロルの腕を指さした。
(あ、宝石鱗、見えちゃってますね)
右腕の袖から黒色の宝石鱗が見えている。手を元気に動かしたせいで、袖が少し上がってしまったようだ。
「どうぞ~」
特に拒否する必要もないので、フロルはしっかりと見えるように袖をまくって、右腕を差し出した。
黒色の宝石鱗が太陽の光を浴びてキラリと輝く。
「これはまた見事な黒色だなぁ。夜空みたいに綺麗だ。ここまでの深い色は珍しいぜ」
「えっ、そうです? んっふっふ。他にもね、背中とか肩とか、腰とか太ももとかに、ちょこちょこ生えていますけれど見ます?」
珍しく宝石鱗を褒められたので、フロルは気分が良くなった。
だからご機嫌にそんな提案をしたら、
「見ません。恥じらいと慎みを持ちなさい」
本気のトーンで注意されてしまった。
あらまぁとフロルが思っていると、少年は腫れ物でも扱うように、そっと宝石鱗に触れる。
「……ああ、なるほど。確かにこのレベルだと、人間種には呪いみたいな効果になるな」
「人間種には?」
「宝石竜の加護持ちの鱗は魔力の塊なんだ。色によって魔力の濃さや属性に変化があるんだけど、黒だと濃すぎて人間種には合わないんだよ。だけどそれ以外にとってはご馳走だぜ、これ。食べると一時的に魔力も上げてくれるからね」
「へー」
それはまた初耳だと思いながら、フロルは自分の鱗を見る。
そんな風に良く解釈されたのは生まれて初めてだ。
何だか嬉しくなってフロルは鱗をぺりっと一枚剥がす。そして手のひらに乗せて、少年の方へ差し出した。
「ご馳走ということは、お召し上がりになります?」
「…………。お嬢さん、思い切りが良すぎない? くれるならありがたくいただくけど」
少年はそう言って鱗を受け取ると、ひょいと口の中に放りこんだ。
そしてぽりぽりとかみ砕いてごくんと飲み込む。
本当に食べられるんだ……とフロルはしみじみ思った。
「お、いいな、甘くて美味い。俺好みだ」
「宝石鱗って味がするんです?」
「それこそ俺たちにはな。鱗ごとに味は違うけど、お嬢さんのはチョコレートに似ているな。ごっそさん」
手を合わせて言う少年。
そんな彼の言葉にフロルは「なるほど」と呟いて自分の鱗をもう一度見た。
(これは使えるかもしれない……!)
自分の鱗はずっと不用品のように言われていたが、どうやらここではそうではないらしい。少年の反応を見ても不味いものではないようだ。
ならばこれを交渉材料にすれば、魔王国受け入れてもらえる可能性がある。
そう考えたフロルは、
「この鱗を定期的に納品しますので、しばらく魔王国に置いてもらえないか魔王様に交渉させていただきたく!」
と頼んだ。
すると少年が楽しそうにニヤリと笑って、
「おう、いいぞ」
と、あっさり承諾してくれた。
すぐさま拒否されなかったことにフロルは安堵する。
「良かった。それでは魔王様はどちらに……」
「ああ、俺」
「ん?」
「だから、俺が魔王」
「えっ」
フロルは目を見開いた。
それから周囲の魔族へ目を向けると、彼らもしっかりと頷いて返してくれる。
「……魔王様?」
「ああ。魔王アイルだ、よろしくな」
恐る恐る訊けば、少年はそう言って右手を差し出してきたのだった。