19:毛玉か蛇、もしくは
そうして魔法の練習を始めて一時間ほど経った頃。
何やら訓練場の外がざわざわとしていることに気が付いた。
「おや、何でしょう?」
「何でしょうね。ちょっと見てきますので、フロルさんはここで待っていてください」
トーはそう言うと訓練場の外へと向かって歩いて行った。
フロルはそれを見送ってから、ふう、と息を吐く。初めて魔法を使ったことで少し疲れたのだ。
(でも……充実しているなぁ)
自分でやりたいことを提案して、それを受け入れてもらえるのは嬉しいことなのだなぁとしみじみ思った。
本音を言えばフロルはずっと魔法を使ってみたかった。
せっかく魔力があるのだ。これが魔法という形に変化したらきっと楽しいだろうなと思っていたのだ。
けれども人竜国にいる頃は「絡まれたら面倒」という気持ちの方が大きくて出来なかった。フロルが頼めば父や母は、きっとそれを受け入れてくれたのに。
(でも全属性と相性が良いなんて分かったら、悔しがってもっと嫌味が増えたかもしれませんね)
それはそれでやっぱり面倒だ。別にフロルだって何を言われても平気というわけでもないのだから。
そんなことを考えていると、
「キュキューイ!」
「ん?」
どこからか、かわいらしい鳴き声が聞こえた。
声を探してフロルがきょろきょろと辺りを見回すと、竜の像の頭の上に小さな生き物がちょこんと座っている。
(ふわふわの黒い毛玉……?)
よく見ると細長い身体が丸まって毛玉のようになっている。
じっと見つめている内に、その毛玉と目が合った。
「ミキュ?」
「こんにちは?」
毛玉と同じタイミングで首を傾げるフロル。
(この子は一体……)
よく分からないが魔王城内にいるのだし、誰かしらの関係者なのだろう。
それにしても大変かわいらしい。見た目や雰囲気から推測すると幼子だろうか。
まぁ、魔王城内にいる者たちは、見た目と実年齢が結びつかないので、そうでもないかもしれないが。
フロルは毛玉を驚かさないようになるべくそーっと近付く。
「あなた、どこから来たんです? ここにいるとこんがりと美味しく焼けてしまうかもしれませんよ? 世の中には肉食の生き物と草食の生き物がいます。そして私はその二つを兼ね備えた雑食です。私以外にもそういう雑食は存在しますので、ぺろりといただかれてしまうかもしれません」
「キュー」
毛玉は特に怖がるでもなく、相槌をするように鳴いた。
何となく『お腹壊すよ』と言われている気がする。
「ですので保護者の方のところへお帰りになった方がいいですよ。どちらにいらっしゃいますか?」
「……キュイ」
フロルがそう訊くと毛玉はしょぼんと頭をもたげた。何だか元気がないし、どこか悲しそうだ。
おや、と思いながらフロルはそっと近づいた。
(……もしかして、保護者の方は地に還られたのですかね)
地に還るというのは亡くなったことを表す言葉だ。
この毛玉の反応から察するに親や保護者は亡くなっている、もしくはそれに近い状態なのだろう。
「あなた、お腹空いていません? 実は私、こういうものを持っていまして」
しょんぼりさせてしまったことに罪悪感を覚えて、フロルは袖を捲ると宝石鱗を一枚ぺりっと剥がす。
そして手のひらの上に乗せると毛玉に向かって差し出した。
アイル曰く、人間以外には宝石鱗はご馳走らしいし、この毛玉も食べることが出来るかもしれない。
そう思って見ていると、毛玉はひょいと頭を持ち上げて宝石鱗の方へ近付くと、すんすん、と匂いを嗅ぎ始めた。
それからパッと嬉しそうな顔になると、鱗に向かって手を伸ばした。
「手があった。あっ、足もある! ついでに翼も!」
丸まっていて見えなかったが、毛玉には手も足も翼も存在していたようだ。
これは蛇――いや、竜だろう。
毛玉改め竜はフロルの宝石鱗を掴むと、もぐもぐと食べ始めた。
「美味しいです?」
「キュイ!」
「んっふふふ、それは良かった」
フロルがにこにこしながら見ていると、
「フロルさん、お待たせしました」
外の様子を見に言っていたトーが戻って来た。
少々難しい顔をしている。これは何か困ったことが起きているのだろうなとフロルは思った。
「お帰りなさい、トー。どうでした?」
「ええ、ちょっと。我が国の守護竜の姿が急に見えなくなって、世話役が探し回っていたのです」
「魔王国の守護竜と言うと……黒竜様でしたよね」
確か本で読んだことがあるな……とフロルは記憶を辿る。
黒竜とは、優美な夜色の体を持つ宝石竜の姉竜で、性格は愛情深く大らかな性格らしい。良きもの与えることを得意とする宝石竜とは反対に、黒竜は悪きものを奪うことを得意としており、医療の竜とも呼ばれているそうだ。
(そうそう、そんな感じでしたね)
本の内容を思い出し、フロルは頷く。
「お体が大きいので、直ぐに見つかりそうですねぇ」
「いえ、今はそんなことは……ん?」
トーは何かを言いかけて、ふと、竜の像の方を見た。
視線の先にはフロルの宝石鱗をもぐもぐと食べている毛玉がいる。
フロルは「あ!」と両手を合わせた。
「そうだ、トー。この子、ついさっき出会ったんですが、ご存じですか? 迷子さんかもしれないんですよ」
「…………」
「トー?」
「こっ、こっ、こっ……」
「ニワトリの真似です?」
トーは急に挙動不審になる。
どうしたのだろうとフロルが思っていると、
「黒竜様、お食事なさってる――っ⁉」
毛玉を指さしてトーは絶叫したのだった。




