地獄の入口
私は、あるエレベーターに乗った。なぜ乗ったのかはわからなかったが、どこかに行かないといけないと思った。10階でチンと音がし、エレベーターが停止した。女性が乗ってきた。
その女性は30代か40代くらいで、小太りだった。白いTシャツを着ていた。
女性は持っていたナイフで腹を切り出した。私はぎょっとしたが、制止することもできず、ただ立ちすくんでいた。
ナイフからは血が滴っていた。
そして、エレベーターの壁に、血で文字を書き始めた。
「男に注意」
エレベーターは36階で止まった。
その階で、女性は何事もなかったかのように、降りて行った。
私もその階で降りるべきだったとなぜ気づかなかったのか。
次に扉が開いたとき、男が来るかもしれないと思い、心拍数が跳ね上がった。エレベーターが昇っていく音がしていたが、私は動けなかった。階数ボタンを押すこともかなわなかった。
エレベーターは100階を超えた。私はそこで、ふと予感した。
ここは地獄の入り口なのだと。
エレベーターランプが点灯し、120階で止まった。
そこには黒々とした視界が広がっていた。
そして、男が乗り込んできた。
男は、黒い服を着ていて、少し天然パーマの入った特徴的な髪形をしていた。
その男もまたナイフを片手に持っていた。右手にナイフをかざし、淡々と腕を切った。
「僕の血を飲んでくれたら、生きて帰れますよ。」
ゆっくりと僕の方を向いて、はっきりそう言った。
私はその言葉で察した。
生きるのも、死ぬのも地獄だ。
逡巡した。私はここで死んで地獄へ行くのか。この男の血を飲んで、生き延びるのか。
でも、まだ死にたくない。地獄を目にしたくない。それはたしかだ。
ごくりとつばを飲み込み、私は、彼の腕に手を伸ばした。
そこで、目が覚めたことに気づいた。私はベッドの上に横たわっていた。
当然ながら、エレベーターも、壁に描かれた血も、その男も、何もかもなかった。