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涙/氷雨

〈えのころの腹一杯で動きせぬ駄犬と面罵されても倖せ 平手みき〉



【ⅰ】


 村川佐武(むらかは・さぶ)は目黑「ギャレエヂM」のオーナーである。「ギャレエヂM」は、エンスージアストたちの聖地であつた。悦美のマツダ・サヴァンナRX-7、じろさんの三菱デボネア、安保さんの昭和63年式日産シルビア、木嶋さんの日産レパード、それぞれ、この「ギャレエヂ」で購入されたもの、なのだつた。

 佐武ちやんは、本職カーデザイナー。だが、暇潰しの為、これぞ、と云ふイチオシの中古車を販売する店、兼ねてから經営したいと、望んでゐた。その夢叶ひ、この「ギャレエヂ」を開いた譯である。


 フォルクスワーゲン・ニュービートル・カブリオレ。「たまに外車もいゝものよ。だけどこれ曰くあつて『非賣品』なの」説明を受けてゐるのは、じろさん。愛犬ジョーヌ(ラブラドールレトリーバー、♀)を連れてゐる。「曰くつて?」「このコ、天候を變へちやふ、畸癖があつて」「畸癖? さつぱり話が見えん」「まあちと轉がしてみて」


 じろさん、麗らかに晴れた春の陽射しの下、天蓋を開けて、ニュービートルを試運轉してみた。助手席には、ジョーヌ。と、ばらばらばら、程なくして、雹が降つてきた。「おいおい、雹=氷雨つて、夏の季語だろ?」仕方なしに天蓋を閉め、直ぐに「ギャレエヂ」まで帰つてきた。



【ⅱ】


「佐武ちやん、これ、事故車?」「何かの怨念つて事? このコは事故車ぢやないわ」「ふーむ。何だらうね、いつもこの調子?」「あたしがボーイフレンドとちよい乘りにいゝかと、ウチに回されてくる中古車の中から、セレクトしたんだけど...雹がねえ、降つたんぢや興醒めだわ」


 じろさん、その話をテオに聞かせた。テオ「ナンバープレートから、割り出してみませうか」じ「それお願ひするよ」


 直ぐに、答へは出た。テ「だうやら、事故車と迄は云へなくても、曰く付きのクルマですよ、そのビートル」じ「?」テ「助手席に乘せてゐた犬が、何かの彈みなんでせうか、走行中に外に飛び出てしまひ、後續のクルマに礫ねられる、と云ふ、何とも痛ましい-」じ「その怨念、か。だうやら仕事(ヤマ)の臭ひがしてきたね」


 こゝで、カンテラが惰眠より目醒めた。「南無Flame out!!」の呪文と共に、外殻を飛び出、實體化する。「テオ、その飼ひ主の現狀は?」「心の病ひに苦しんでゐるさうです。何せ過失はなかつたとは云へ、愛犬を死なせてしまつた譯ですから」じ「或ひは、雹さへ降らなければ、あの儘ジョーヌも危なかつた、かも知れんなあ」カ「テオ、その犬の靈、祓つて、成佛させたら、元の飼ひ主、カネ出すかねえ?」じ「俺が当たつてみるよ」カ「宜しくお願ひ」



【ⅲ】


 ニュービートルの元の持ち主、假にSさんとして置く。は、沈痛な面持ちで、最近は外にも出ず、タロウ(犬の名)のペット用佛壇に手を合はせる日々だ、と云ふ。じろさん、ペットロスとは、慘いものだなあ、と思ふ。ジョーヌももう老犬だ、長らく澄江(じろさんの奥方)と三人? で暮らしてきたが、それもいつかは終はりが來る。覺悟せねばなあ、とも。

 そんな中で、仕事の話はしづらいものだ。だが、仕事は仕事。話を持ち掛けると、案外に、Sさんは嬉しさうに、「タロウの為なら、おカネは惜しみません」と云ふ。嗚呼、因業な商賣よ...。



【ⅳ】


 川越街道。新道は国道254號線。こゝを、助手席に犬を乘せて、天蓋を開けたニュービートルを、狭山インターまで走らせる。それで、タロウの事故が起きた時と、条件は同じだ。

 ジョーヌよ、お前迄狂はされる事、ないよなあ。じろさんはさう願ひつゝ、左ハンドルを握つた。後部シートには、大刀を持つたカンテラ。助手席の背もたれに足を乘つけて、思ひつきり寛いだ風情。(このヒトは...時々何考へてるか分からなくなるな)じろさん思ひつゝ、「お祓ひ行」はスタートした。



 ⁂  ⁂  ⁂  ⁂

 

〈菜の花を見る迄死ねぬ老いて華 涙次〉



【ⅴ】


 池袋方面から国道に入つた。と、雹が...ばら、ばら、ばら。構はずクルマを進める。天蓋を開いた儘で。じろさん、後部坐席から唸り聲、のやうなものを聞く。ちらと見ると、カンテラは結跏趺坐で、手で「印」を結んでゐる。暫くして、雹は止んだ。

 豫想に叛して、ジョーヌは靜かに丸くなつてゐ、外に飛び出す氣配すらなかつた。

 狭山インター到着。ドライヴインの駐車場。ジョーヌは大欠伸をする。と、その口から何やら煙のやうなものが- 「タロウ」だ。

 カンテラはすらりと太刀を拔き放ち、云つた。「タロウよ、もう見張つてゐなくても、良いよ。雹を降らせ、犬たちを守る事もないさ」その言葉は、限りない優しさに滿ち溢れてゐた。じろさんは感涙を禁じ得なかつた。

「南無-」カンテラが拔き身を振り下ろす、とタロウの靈は四散した。


「たまには家に帰つてきて、ジョーヌの顔でも眺めたらだうだ」じろさんは悦美に云つた。「だつてこつちにも手のかゝる人が、ゐるのよ」カンテラは咳払ひ。外殻の中に入つてしまつた。そんな家族の肖像。そんな戀もやう。



 ⁂  ⁂  ⁂  ⁂


〈剃り痕をひりひり嬲る春の風 涙次〉


 

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