序章
少女Aはただ、安らぎが欲しかった。
そこには少女がいた。
白く、透き通った肌が、太陽のじりじりとした光を反射していた。
まだ、明るいうちの時刻には始業の鐘が鳴り響く最中。
少女は空になった
2008年9月12日、夏の暑さはまだ消えることもなく、蝉もどこかしらで聲を響かせていた。
通学路のほぼ全面を担うアスファルトの一部にぽっかりと空いてしまっている穴には、昨日の雨水が溜まってしまっていた。穴に溜まった雨水は暑さに負けず、太陽の光を照り返し、道を歩む人々を困らせていた。
少女Aは華奢であった。足をつついてしまえば儚く崩れてしまいそうなまでに。それでいて肌は柔らかかった。幼き頃の人々は、どうあがいても肌は柔らかい。つまんだ時の感触は大福よりも柔らかい、天然のものである。もちもちとしたその肌は、小学生中学生高校生と並びに健在であり、少女自体も気に入るほどである。またニキビ一つない肌に滴る汗はまた、一段と綺麗なまで。
少女Aは臆病であった。幽霊屋敷なんてチンケなものではない。大きな音なんていうものに関しても。ただ揺れる、揺れているだけである手のひらに、握った、握られた、握りこぶしさえ、事あるごとに、過剰に、敏感に、素早く逃げる姿勢をとり、涙を浮かべ、ヒッと細い声を上げ、ふるふると身体を震わせ、静かに、涙を流してしまう。
少女Aは嘆いた。自分自身の求めるものが、いつになっても手に入らないことに対して。明日頑張ろう、明後日頑張ろう、明々後日頑張ろう。そんな気持ちになど、いくら寝ようが得られない日々を。目の前にあるのは苦痛と闇だけである現状が、耐えられないのである。ただ嘆くことしか出来ぬ今を、自身の力の無さを、少女はただ、苦しみ藻掻きながら見つめるしか出来ない。
結局のところ、耐えられようが耐えられまいが社会はただ廻っていく。少女Aは所詮少女Aなのである。社会は歯車を探し、見つかった歯車がまた歯車を探す。いつになってもその文化は劣らず、歴史を紡いでゆく。歯車の名前が男性Dであろうが女性Yであろうが。レズビアンであっても、ゲイであっても、バイセクシュアルであっても、トランスジェンダーであっても。性別も名前も、社会にとっては何の意味もないのだ。いつも手柄を得るのはお偉いさん方であり、それ以上でもそれ以下でもない。喩え話、優秀な人材がいようが所詮歯車。そういう見方で廻るのが世界である。
少女Aも、例外ではない。だが、少女Aは社会的歯車として生きることを拒んでいる。
自分が自分を見つけることを最終到達ラインと定め、現実を彷徨っているのだ。
9月12日(金)
あと一日経ってしまえば休日が現れるという事実に喜びを覚える人で溢れているのではないだろうか。少女Aからしても、それは喜びであった。
しかし、外出しようがしまいが、苦しいのは当たり前のこと。少女Aにはそういう常識が染み込んでしまっていた。
平日ほど呆れるものはない。少女Aにとっては地獄のような日々が待っている。茹で窯に油を注ぐといっても、そんな軽いようなものでも表せない、本人(少女Aのことを指す)にしかわからない、不確定要
素で詰まっている日常を。
現象が起き始めたのは昨年の入学式から2ヶ月経った辺りだった。
少女Aはこの日、6月4日(月)の出来事を忘れはしなかった。
太陽が昇り、叔母からのプレゼントであった、白色で鐘付きの全長約15センチメートルはある立て型目覚まし時計が、耳に響くほどの轟音で朝を知らせた。いつものように服を着用し、パンの耳揚げをかじりながら登校した矢先の出来事である。その通学路で、野良猫や野良犬や野鳥が少女Aを突如として襲い始める。勿論、それは意図的なものであって、悪意の枠ですら耐えがたい事例である。少女A自らがバイトをし、汗水血反吐を垂らしながらようやく手に入れたなけなし給与でやっとのこと購入した服は破れ、幼少期から母親が使い古したスキンクリームやらなんやらを活用し、少女A自身でも誇りにに思う麗しき肌には傷口が生まれ、水道代も稀に止められてしまうような環境の中、なけなしの給与から余った汚れ(一般的とされる「汚れ」の名称も、少女Aにとっては大切な思いである)金で銭湯に通い、必死にケアしてきた、少女Aのとっての大切な髪の毛は、滅茶苦茶にかき乱され、キューティクルを破壊されてしまった。
少女Aには好きなことがあった。それは、植物観察である。
少女Aは人付き合いが苦手であった。そのため、一人でいる時間帯が多かった。そんなことは少女A自身分かりきっていた、分かりきっていてもなお、誰かと関わることをあまり好かなかった。それは、自分には植物と会話、もとい対話している方が向いていると認識してしまった為であった。
実際問題、少女Aの手入れしていた植物は枯れることなく、すくすくと成長し、立派な芽を出した。
少女Aが所属しているクラスにも「水やり係」などというものは存在する。しかし、その大半が植物を見事に枯らすため、密かに嫉妬されていた。しかし、少女Aは義務的な意識ではなく、善意で手入れをしているため、その努力に嫉妬するのはお門違いと思われる。
哀れな嫉妬主は、同クラスの名簿17番目と名簿23番目の2人の人物に当たる。この者共は少女Aに嫉妬するだけでは留まらず、イタズラなどという卑劣で下劣な行為を幾度となく行ってきた、生き恥共であった。
・少女Aによって可憐な姿へと変貌し、輝くような明るさと活気を持った植物たちに、根元から鋏でチョン切るといった行為。
・明らかに植物にとっての許容容量をオーバーした水分量を与える行為。
・少女A自前の植木鉢(土製のものに限らず、プラスチックボトル製も使用)を割る、捨てるという行為。
などという地味なものもあれば派手なものであるが、少女Aの精神には致命的な攻撃を何度も何度も繰り返されてきた。
誰かが止めに入ろうとしたことなどなかった。理由は明白であり、自分が一番大切なのだ。小学生ならば数人もしくは単独で止めに入り、後に教員が仲裁に入る。中学生では男同士では口喧嘩が起き、女同士では陰湿な虐めが行われていた。が、少なくとも誰かしらは助けに入っていたはずである。
しかし、高校生ともなれば虐めの怖さが目に見えている者が多く、誰もが無視をするようになる。
助けに行かなかったという理由から教員からの呼び出しを食らった際に必ず言うことは、「心の中では助けようと思っていた」などという言い訳である。事が起きてからでは遅いのは誰しもが承知の上。それでも自分が標的にされるのは困る、迷惑。そう思うこと、結局それが人間だということ。
この事実を、少なくとも少女Aは解っていた。解っていても、と拳を強く握り、唇を噛み締め、心の底で嘆き、悲しみ、悔しんだ。
そう、悔しかったのだ。
少女Aは今日の今日(2008年9月12日)まで悔し涙を流してきた。
しかし、その悔しさは留まることを知らない。
少女Aが受けた傷、6月4日(月)時点では二つの事件で済んだ。
帰り道、少女Aはダメージジーンズ同様の見た目をした、ボロボロの制服を片手に。野良猫・犬・鳥によって生まれてしまった傷口から垂れた血は、いつの間にか酸化してしまい、「#D20A13 血色 けっしょく」のカラーコードと同一の色へと変化してしまった。キューティクルを荒らされ、女性としての命を殺められた。この出来事を忘れることが出来ず、脳裏に焼き付いてしまっていた少女Aは今なお小刻みに震えていた。着信時にバイブレーション設定をされたスマートフォンによく似た震え方だった。
自宅に帰ることも少女Aからすれば億劫であった。原因は母である。少女Aに父はいない。
母はその昔、某有名企業S社に所属していた。就職して間もない頃、母は苦悩に悩まされていたそうだ。自宅(少女Aが生まれる以前に母が住んでいた場所)への帰り道、ちゃらんぽらんな男性3人組に絡まれ、「タノシイコト」だの「付キ合ッテヨ」だのと定型文を並べ、無理矢理誘おうとしていた。
母がいるのは歌舞伎町などのような無駄にきらびやかな光を放つ場所ではない。東京端に位置するちょっとした田舎。塀が四方向に反り立つ十字路での事件であり、そんな状況で、そんな田舎で助けを求められるほど有利な条件があるとは思えなかった。勝算はゼロに等しく、母の貞操が危うい瞬間であった。
が、少女Aが生まれているということはその連中との関連性はない。
そこで父が丁度通りかかったそうだ。父は大阪出身だが、出張で東京の田舎、偶然が偶然を呼び、その十字路へと赴いた。
しかし、母はその後狂ってしまった。詳細は割愛させていただく。
ただ、今一つ言えるとすれば、父は
亡くなっている、ということだ。
序章_完。