23. 勘違い令嬢は諦めが悪い
王太子殿下がこの場に現れるとは思ってもみなかったらしいイリーナ様は、明らかに動揺していた。
「何故ここに……と言われても、ここは王宮だ。しかも廊下」
殿下がイリーナ様が驚いて呟いたその声に答える。
ごもっともだ。
「まぁ、何でもいい。君の声はとてもよく響いていたよ、ケルニウス侯爵令嬢」
「……」
「なにやら婚約者同士のイチャ……触れ合いを邪魔しているように見えたのだが?」
「じゃ、邪魔なんて! まさか! わ、私は決してそんな事はしておりませんわ!」
「へぇ?」
必死にそう否定するイリーナ様に対して殿下の反応は冷たい。
「……」
ちなみに殿下、私達がイチャイチャしていたと言いかけた気がするけれど、そこは聞かなかった事にしようと思った。
(イチャイチャではないわ。私は見せつける演技をしたつもりで……)
「アリーチェ」
「エ、エドワード様?」
エドワード様に抱き寄せられたままだったのでそのまま顔を上げた。
目が合うとその距離の近さにドキドキしてしまう。
「大丈夫?」
「は、はい」
私のその答えにエドワード様は良かった……と言って微笑むと、そのまま私の頬にキスをする。
「エ、エドワード様!」
「……不思議だ。アリーチェを見ているとこうして触れたくて触れたくて仕方なくなるんだ」
また、直球でそんな事を……
そう言ってさっきみたいに顔中へのキスを再び繰り返す。
(う、嬉しいけれど恥ずかしい……あと、まだ続けるのね……)
「多分だけど」
「?」
「“記憶喪失前”の俺のアリーチェに触れたいと思っていた気持ちが今、溢れている気がする」
「なっ!」
私の顔が赤くなったのでエドワード様は小さな声で「可愛いな」と言って甘い顔で微笑む。
「だからさ、俺は殿下の言っていた、“アリーチェの事を好きで好きで好き過ぎて空回った男”なんだなと、自分でも思うよ」
「エドワード様……」
エドワード様はそこまで言うと、今度はギュッと抱き締めてくれた。
嬉しくて私もしっかりと抱き締め返した。
「──ほら、よく見て諦めろ。私にも覚えがあるが、あいつらはもう互いの事が好き過ぎて自然とああなる。こうなると他人の目などお構い無しだ!」
「二人がす、好き合ってる……だなんて嘘ですわ! エドワード様は本当は私の事を好きなんですから!!」
一方で、王太子殿下とイリーナ様の攻防は続いていた。
「……何を根拠にそんな事を言う?」
「だって暴漢から私を助けてくれた時、優しく微笑んでくれましたもの!」
その言葉に殿下が思いっ切り呆れたのが分かる。
「……それは誰だって安心させる為にそうするだろうよ」
「そんな事ありませんわ! 甘く蕩けるような微笑みでしたもの!! あれはあの瞬間、私に惚れた顔に違いないのですわ!」
「……」
イリーナ様のその言葉を聞いてますます殿下は呆れ返っていた。
「そこの無自覚イチャイチャカップル!」
「は、はい!」
……って、思わず返事を返してしまったけれど、これって私達の事よね??
「ケルニウス侯爵令嬢とでは話にならない。これは後日、侯爵からも話を聞いて、ニフラム伯爵も混じえてどうするか考えた方がいいかと思うんだが?」
「えっ! 殿下一体何を仰っ……そして、お、お父様も!?」
イリーナ様がものすごく嫌そうな顔になった。
「何か不都合でもあるのか?」
「い、いえ……」
イリーナ様は自分の父親が味方にならない事を分かっている。
だから、こんな反応になるのだろう。
「イリーナ・ケルニウス侯爵令嬢。君はそれまでの間、謹慎だ。屋敷から出る事を禁ずる」
「そんな! これしきの事で? 横暴過ぎますわ!!」
「何も今の行動だけを指してこう言っているわけではない。私は君がこれまでにエドワードやエドワードの婚約者にしてきた事を知っている」
「……そんな!?」
殿下の冷たいその声にイリーナ様の身体は震えた。そして、その顔は真っ青だった。
「さぁ、このまま今日は屋敷に帰ってもらおう。侯爵にも連絡しなくてはな」
そう言って王太子殿下は諸々の手配をし、人をつけてイリーナ様を帰らせる。
イリーナ様は連れて行かれる間も「嘘よ、嘘よ……これは何かの間違いよ……」と、ずっとひたすら呟いていた。
だけど、どこかまだ彼女の目は諦めていないような気がした。
「とりあえず今は、この形にしか出来ず申し訳なかったな」
王太子殿下が残念そうに言った。
「本当は断罪させる所まで持って行きたい所だったが……この場ではな。まだ、証拠が揃っていないし。やるなら徹底的にやりたい所だろう?」
「いえ、充分です。ありがとうございます」
エドワード様が頭を下げた。
「だが、これで暫くは大人しくなるだろう。その間にこれまでの事をまとめておけ……と言いたいがエドワードの記憶がな……」
「先程、殿下から教えてもらった部分と俺の部屋に残されているものとでやってみます」
「あぁ、そうしてくれ」
罪を問うのは先延ばしになってしまったけれど、謹慎の身なら私やエドワード様に接触してくることも無い。
「ありがとうございます」
私もお礼を伝えると殿下は「気にするな」と言って笑った。
「ところで、殿下は俺達の声が聞こえたからこちらに?」
「いや違う。ケルニウス侯爵令嬢にはそう言ったが、本当はさっき渡すのを忘れていた物があったので追いかけて来たんだ」
「「?」」
何だろう? と思ったら殿下が封筒を私達に差し出す。
「今度行われる、私とリスティの結婚を祝うパーティーの招待状だ。せっかくなので手渡ししておこうかと思ってな。特別な招待にしておいたよ」
「おめでとうございます!」
「ありがとう」
私が祝意を伝えると王太子殿下は「……ようやくなんだ」と、嬉しそうに笑った。
「エドワード。忙しくはあるが、ケルニウス侯爵令嬢の断罪の準備が整ったらまた連絡をくれ。私も立ち会おう」
「分かりました、ありがとうございます」
こうして、慌ただしかった私達もようやく帰路につく。馬車に乗り込むと、エドワード様は当たり前のように私の横に座った。
(ち、近い……!)
そして、これまた当たり前のように私を抱き寄せると耳元でそっと囁く。
「アリーチェ、ありがとう、そして、ごめん」
「エドワード様……」
エドワード様の中で色々な感情が渦巻いているのが分かる。
私は少しでも安心して欲しくて微笑みながら言った。
「どうせならイリーナ様が何の反論も出来ないくらいの証拠を突きつけてしまいましょうね? ついでにいっぱい私達が仲良しな所を見せれば……んっ!」
エドワード様はすかさず私の唇を塞いで、最後まで言わせてくれなかった。
だけど、一瞬のキスはすぐに離れてしまう。
「……こんな風に?」
「~~! エドワード様、手を出すのが早い……です」
「早くない。ずっとこうしたかったのを邪魔された」
(やっぱり、イリーナ様の前でもする気だった……?)
「アリーチェ……」
「エドワード様……もっと、して?」
私の言葉にエドワード様の目が一瞬きょとんとしたけれど、すぐ獲物を狙うハンターのような目に変わった。
「よろこんで」
そして……もう一度、甘い甘いキスが降ってくる。
だけど。
しばらく、そんな甘い甘い二人の時間を堪能していた時だった。
まだ、屋敷に着いていないはずなのに、馬車がガタンッと変な音を立てて止まったのは───……