20. 二つ目の頼み事
「エドワードは、かつての男爵令嬢の件と同様にケルニウス侯爵令嬢を断罪する準備を進めていた」
「あ……」
「だが、前回と違って相手は自分よりも身分が上。なかなか思うように事が進まない」
「……」
「しかも、ケルニウス侯爵家から自分の婚約に横槍を入れられる可能性だってある」
そう言われてふと思う。
イリーナ様は屋敷に来た日、私にエドワード様と婚約破棄するよう迫って来た。
よくよく考えたら、侯爵家の立場を利用してニフラム伯爵家に直接婚約を迫ってもおかしくないのに……
(それが出来ないから私の元へ直接来た……?)
「オプラス伯爵令嬢。その顔は何となく察したようだが……実はケルニウス侯爵家には、勝手な事が出来ないように、少しこちらから圧力をかけさせてもらっている」
「……!」
「侯爵家に王家の方から、少しでいいから圧力をかけて欲しい。これがエドワードのもう一つの頼み事だ」
……つまり、侯爵家の力で無理やり私とエドワード様を婚約破棄させたり、イリーナ様とエドワード様の婚約を無理やり結ばせたりさせる事がないように、権力を少しチラつかせたという事……?
「ケルニウス侯爵家の当主の性格は分かっているからな。呼び出してちょっと話をしてみたら簡単だったよ」
殿下が意味ありげに笑う。
「どういう事ですか?」
「出世欲の高いケルニウス侯爵としては、娘のイリーナの嫁ぎ先として、ニフラム伯爵家では不満なのさ」
「あぁ……」
我が家もそうだけれど、ニフラム伯爵家は伯爵家の中でも力が強い方では無い。
だから、イリーナ様とエドワード様が結婚してもケルニウス侯爵家は何も得をしない……
(イリーナ様個人はエドワード様の事を狙っているけれど、侯爵家としてニフラム伯爵家に何かする気は無かったっていう事?)
エドワード様を娘の結婚相手として相応しくないと思っている上に、王家……王太子殿下からの圧力がかかれば……出世欲の高い侯爵は娘が願い出ても沈黙するわね……
(イリーナ様はもちろん諦めていなさそうだけれども……)
「そういうわけで。侯爵家を静かにさせておき、エドワードはケルニウス侯爵令嬢を叩く準備を進めていた。私もその進捗状況は報告を受けていたのだが……」
殿下はそこまで言って、ここまで特に何かを口にする事も無く黙って話を聞いていたエドワード様の方を見る。
ようするに記憶喪失になったエドワード様からの報告が途絶え、何かあったのかと思い今回手紙を送って来た……そういう事らしい。
「記憶喪失。こんな事になっているとはな……」
「……申し訳ございません」
エドワード様もそれしか言えない。
「エドワード様が忙しそうにされていたのは、イリーナ様を断罪するための準備だったのでしょうか?」
頻繁に王宮に通っていたのも。
「調べ物をしたり、私と会って状況の報告をしたりしていたな。あぁ、そうだ。本当にあの時はすまなかったな、オプラス伯爵令嬢」
「?」
また、謝られたわ。
何の事だろうと思ったら殿下が申し訳なさそうに言う。
「以前、君はエドワードに“皆さんでどうぞ”と、差し入れを持って来ただろう?」
「え?」
そう言われて、あの無言の圧力を思い出す。
「あの時、エドワードが素直に受け取れなかったのはあの場に私がいたからだ」
「……!」
「直接、私に向けた差し入れでは無かったとは言っても……」
「!」
そうか! と思う。
(殿下が口にするものは全て毒味が必要。直接、差し入れするなんて以ての外……)
私は殿下があの場にいたなんて知らなかったけれど、あの時、無理やり押し付けたりしていたら、殿下の護衛に捕まっていたかも……?
──あれは、さっさと帰れの無言の圧力では無かったのかもしれない。どう対応するか考えての沈黙だったのかもしれない……
私の為に急に態度を変えて言葉足らずになってしまったエドワード様もエドワード様だけど……そのせいで仕方ないとはいえ、私も私で勝手に思い込んでそう受け取ってしまった……
(あの時のエドワード様……本当はどんな顔をしていた?)
……よく見ていなかった。
冷たいと思っていたあの瞳の奥には違う感情が揺らめいていたのかもしれなかったのに。
「エドワード様……」
私は横になったままのエドワード様の傍に近づくと、手を取りそっと握る。
「アリーチェ……?」
「私達はお互いダメダメですね」
バカだなぁ……エドワード様も私も。
理由があったにせよ、突然豹変してしまったエドワード様の方が悪い……それはその通りだけど、
“本当は優しい人だもの。きっと何か理由があるはず”
なんて思いながらも、私、エドワード様の事をちゃんと見ようとしていなかった。
(だってエドワード様って不器用な人だもの)
絶対、私にだけは分かるような綻びはどこかにあったはずなのに。
「記憶喪失前のエドワード様は私の事を……」
「……好きだったよ。絶対に」
エドワード様が握っていない反対の手を伸ばして私の頬を撫でる。
「絶対に好きだった…………だから、殿下の言うように、今の俺は記憶を取り戻す事を……怖がっているんだと思う」
「?」
「記憶を取り戻す前の俺が……アリーチェにした酷い事を……俺は自分のした事を思い知るべきだからちゃんと思い出すか、話を聞かなくては、そう思っているのに。でも、どこか……怖くて俺は……」
「……エドワード様」
そう語るエドワード様の手は震えていた。
「……最近、繰り返し毎日夢を見る」
「夢?」
「…………すごく、リアルな夢」
「どんなです?」
エドワード様の顔が苦しそうに歪む。
「──そんなに私の事が嫌いなら、婚約破棄して下さい!」
「っ!」
「……と、アリーチェに言われるんだ」
その言葉に私の身体がビクッと震える。
これ前にもあった。
でもあの時のエドワード様はうわ言で……聞き直しても覚えていなくて。
けれど、今回は違う。しっかり起きていて、私を見ている。
「なぁ、アリーチェ……これ、俺の単なる夢では無い……気がするんだ……」
「そ、それ、は……」
私の目が泳いだ事をエドワード様は見逃さなかった。