1. 素っ気無い婚約者
「──そんなに私の事が嫌いなら、婚約破棄して下さい!」
その日、私は一人で興奮して思わず無意識にそう口にしていた。
だけどこれは本気でそう願って口にしたわけではなく、むしろ、逆に自分が“婚約破棄されてしまうかも”と悩んでいたせいでつい飛び出してしまった言葉だった。
「……」
一方、私に突然そんな事を言われた婚約者の彼──エドワード様は面食らったような表情をしている。
驚いてはいるようだけど、こんな時ですら言葉を発さず、相変わらず無口で無愛想な彼は今、何を思い考えているのだろうかとこの時の私はそう思わずにはいられなかった。
─────
私の名前は、アリーチェ・オプラス
オプラス伯爵家の娘。
元気が取り柄なだけのいたって中身も容姿も平凡な令嬢。
そんな私の婚約者がエドワード・ニフラム様。
ニフラム伯爵家の令息。
親同士がもともと仲が良く、家格も釣り合っていた私達は昔からよく遊んでいた。
なので付き合いは長いけれど、婚約が結ばれたのは一年くらい前。
そんな彼の事が私は昔から大好きで婚約が決まった時は神様に感謝した。
エドワード様はいつも私に優しくしてくれていたけれど、私が彼に向ける想いとは違って彼が私に恋心を抱いていないのは知っていた。
それでも婚約者として過ごすうちにいつか私の事を好きになってくれたら……そう思っていたのに。
そんな私の気持ちとは裏腹に、何故かエドワード様は婚約後、段々それまで見せてくれていた笑顔も消え無口で無愛想な人へと変わっていってしまった。
「エドワード様! 今度の休日お出かけしませんか? 今、流行りのー……」
「忙しい」
ばっさり断られた。
それならばと、また、別の日。
「エドワード様! お忙しいと聞いたので差し入れを持ってきました! 良かったら皆さんでどうぞ!」
「……」
これは何故か沈黙だった。
邪魔をしてはいけないと思い、もともとすぐ帰る予定だったけれど、仕事の邪魔をしやがって! という無言の圧力のように感じた。
周囲はあんな無口で無愛想な人の何処がいいの?
婚約者なのに態度が素っ気なさすぎる。
なんて私に言うけれど、本当の彼が優しい人だっていう事を私は知っている。
(何か事情があって変わってしまっただけなのよ! 多分)
そう思って来たのに。
だけど……最近、社交界で変な噂が流れ始めた事で、私の心は落ち着かなくなってしまった。
──最近、“真実の愛に目覚めた!”とか言って婚約破棄する人が増えたらしい。
──男女問わず言い出すんだろ? やめて欲しいよな。
──特に仲の冷え切っている婚約者同士が危険らしい。態度が素っ気なくなるんだとさ。それが合図らしい。
私がその噂を聞いたのは本当に偶然で、話をしていた人達もどこからかで耳にした噂を口にしているに過ぎない、そんな様子だった。
(婚約破棄? 仲の冷え切っている素っ気ない婚約者……?)
エドワード様と自分の関係が当てはまっているじゃないの!
そう気付き愕然とした。
数日、悩みに悩んだ私はエドワード様に突撃する事にした。
そうは言っても直球で投げるのはどうかと思うのでやんわりと聞いてみる形で。
(さすがに、この件に関しては本人も否定してくれるはず!)
主に真実の愛に目覚めた……なんて言って婚約破棄されるらしいとの噂だったけれど、私の知っている限りでは、エドワード様にはそんな女性の影は感じない。
だから、エドワード様が私に素っ気ないのはそんな理由ではないはず!
(……大丈夫。エドワード様は“婚約破棄”なんて考えていないわ)
そう思ってエドワード様の元を訪ねたのだけど……
「エドワード様、ご存知ですか? 今、社交界でおかしな噂が流れているのです」
「噂?」
あら? 珍しく、エドワード様が反応を示したわ!
私は飲んでいた紅茶のカップをソーサーに戻しながらその続きを語る。
「何でも“婚約破棄”をする人が増えているとか。ご存知でしたか?」
「……あぁ」
相変わらずの一言のみだったけど、エドワード様も知ってはいるみたい。
「エドワード様は婚約破棄についてはどう思います?」
「……」
黙られてしまったわ。これはどういう意味なの?
私は内心で焦ってしまう。
だって、やんわり聞くつもりだったのに結局、直球で聞いてしまった。
「エドワード様も私と婚約破棄したいと思った事がありますか?」
「は?」
「……っ!」
エドワード様の鋭い返しが怖い。
「あ、そ、その、婚約破棄するカップルの特徴が私達の関係にそっくりだな……って、あ!」
「は?」
言うつもりの無かった言葉までもが口から出てしまった事で焦った私はとんどん墓穴を掘っていく。絶対に、余計なことまで口にしてしまった……
「……」
なのにエドワード様は言葉を発さない。
けれど、表情が怖いので機嫌を損ねてしまった事だけは分かる。
しまったと思った私は、その後も話題を変え話を振るけれど、エドワード様の素っ気なさはいつも以上となってしまう。
「あの、エドワード様……」
「……」
「えっと、エドワード様……」
「……」
何だか段々惨めになり、今までの鬱憤もあったのだと思う。
私は、バンッとテーブルを叩いて立ち上がる。
そして、顔を上げエドワード様を睨むとそのまま自分でも無意識に口にしていた。
「いつもいつも、あなたはそうです……そうやって何も言ってくれない……!」
「!?」
「──そんなに私の事が嫌いなら、婚約破棄して下さい!」
─────
「あぁぁぁ、私のバカ……何て事を口走ってしまったの」
私は自己嫌悪に陥りながら帰宅する事になった。
婚約破棄を言われる事に怯えていたはずなのに、自分から口走るとかどうかしている。
「しかも何で無言だったのよ……」
エドワード様は私に婚約破棄してと言われたのに無言だった。
もしかしたら、あの無言が肯定の意を示していたのかもしれない。
あの失言の後、暫く互いに無言が続き、
「……今日はもう帰ってくれ」
ようやく口を開いたエドワード様にそう言われて私は帰宅した。
「ど、どうしよう……本当に婚約破棄になってしまったら……あと、お父様になんて説明しよう……」
そう部屋で一人、頭を抱えていた時だった。
「お嬢様! 旦那様がお呼びです! 至急、大急ぎでお話がある、と!」
「!?」
メイドの私を呼ぶその声に心臓が飛び出しそうになる。
(そんなまさか、私が婚約破棄と口走ってしまった事がもう伝わった!?)
おそるおそる、お父様の元を訪ねる。
コンコンと扉をノックをするけれど、その手が震えている。なんて情けないの……
「ア、アリーチェです」
「入れ」
その声で部屋に入室すると、お父様が神妙な顔をしていた。
この表情だけで只事ではない事が分かる。
(どうしよう。やっぱり婚約破棄の話が……)
「アリーチェ。落ち着いて聞いてくれ」
「な、何でしょうか?」
私はゴクリと唾を飲み込む。覚悟を決めなくては!
そして婚約破棄は私の先走りだと説明し──……
だけど、この後私が聞かされた話は予想していたものとまるで違っていた。
「エドワード殿が……」
ドキンッ
その名前に、私の心臓が大きく跳ねる。
「…………エドワード殿が事故にあわれて重体だそうだ」
「……え?」
お父様のその報せに私の時が止まった気がした。