プロローグ 2
アンが宿屋を教えてくれたので、私はひとまずそこへ向かった。お腹もいっぱいになったことだし次は今夜寝る場所を確保するとしよう。
「素泊まり700ユン、夕食つき900ユンだよ」
「900ユンか〜……」
まあ相場だろうが、2万ユンしかない私には痛い出費だ。節約してもきっと20日保たないだろう。
右も左も分からない私が、あと20日で家を見つけて家具を買って職を得ることができるかといえば……うん、今は考えない方がいいかもな。
「お客さんどうするの?」
「あ、夕食付きでお願いします」
仕方ないので900ユン払う。これで残りは18000ユンか……。明日は不動産屋に行って賃貸を探そう、よしそうしよう。
「夕食はそこの食堂で食べてね。今日はドラゴン肉のシチューだよ、お客さん運がいいね」
「運がいいんですか」
「そりゃそうだよ!冒険者サマがバカでかいドラゴンを狩ったらしくてね、今朝は肉屋もハンバーガー屋も大忙しだったんだから」
「そうなんですね」
交通事故&即死からの異世界転生が幸運かといえばそんなことはないが、まあせめてドラゴンが獲れた日でよかったのかもしれない。
目が覚めたら全部夢だったらいいのに。
そう思いながら目を開けたが、私は変わらず宿屋のベッドにいた。外では鳥がチュンチュン鳴いて朝を知らせている。異世界でも鳥の習性は同じらしい。
「さて、不動産屋でも行くか」
私は昨日アンから買ったサンドイッチを食べて出発した。チーズしか挟まっていない素朴なサンドイッチだが、彼女らしいホッとするような味だった。
町を歩いてそれらしい建物を探す。
「お、あれかも」
周囲は小さな家ばかりのなか、その建物は立派な二階建てだった。しかも壁に可愛らしい家の絵が描かれている。アイス屋さんがアイスの看板を出すように、家の絵があるならきっと家を売っているに違いない。
扉を開けるとカウンターに男性が座っていた。眉間にシワを寄せた白髪の男性で、じろりと睨まれて肩身が狭くなる。なんで睨まれるんだ。
「いらっしゃい」
「あの、ここは不動産屋さんで合ってますか」
「そうだよ」
「家を借りたいのですが……」
「あんた一人?」
「へ?はい」
「あーダメダメ、女に家は貸さないよ。父親か旦那はいないの?」
私はうっと言葉に詰まった。父親は当然元の世界にいるし、まして旦那なんているわけない。こちとら昨日転生してきたばかりだぞ。
「どっちもいません」
「じゃあ話にならんね、帰りな」
そう言うと男性は新聞に目を落とし、呼びかけてももう返事すらしてくれなくなった。
腕をまっすぐ伸ばして新聞を離し、顔をしかめて読んでいる──見覚えのある光景に私はパッとひらめいた。
「おじさん!」
「うぉ、なんだ急に」
「私には父親も旦那もいませんが、おじさんが驚く芸を披露できます!」
私はリュックを下ろしてレンズセットを出した。あの距離で新聞を読むということは老眼で、度数はおそらくこのくらい。そう脳内で暗算してレンズを両手に持つ。
「新聞をもっと近づけてください!」
「はあ?近いと見えないんだよ、歳だから」
「いいから近づけて!」
私はなかば無理やり新聞を近くに持たせ、それからおじさんの両目にレンズをかざした。
「行きますよ〜、はい!」
「お?……おお!?」
おじさんが目を丸くして新聞に見入る。
「何だこりゃ、字が大きくはっきり見えるぞ」
「そうなんです!すごいですよね!」
「あんた魔法使いか?」
「魔法じゃなくて光学です」
「よく分からんがこりゃすごいな」
おじさんは自分でレンズを持ち、目の前にかざしたり近づけたり離したりしている。さっきは返事もしてくれなかったが、無事興味を持ってもらえたようだ。
「はあこりゃすごい」
「そうですよね!私はこの一芸でお金を稼ごうと思っています。ちゃんと家賃を払いますから家を貸してくれませんか」
「それとこれとは関係ないよ。帰りな」
「ひえ」
おじさんは急に冷たくなって、私を追い返すように片手を振った。
「そんな……」
「まあ面白い芸だったよ、駄賃ぐらいはやろう」
おじさんはそう言ってこちらにコインを投げてよこした。空中でキャッチしてみると50ユンだった。
50ユンでは今日の夕食代にもならない。私は肩を落としてとぼとぼ歩いた。
屋台街につくと相変わらずアンがサンドイッチを売っていた。
「あ、カケルさん!」
「こんにちは……サンドイッチ2つください」
「それは嬉しいですけど、何かありました?今日はなんだか元気がないですね」
私はすっかり心が折れていたので、今日あったことを正直に説明した。話すうちにアンの顔が曇っていく。
「あの、分かります。私も祖父が急に死んじゃって、もっと小さい部屋に引っ越したいんですけど、女子供と商売はできないって断られたんです」
「やっぱりそうなんだ……アンも大変だね」
「そうなんです!一人で家を管理するのも大変だし、大きい分だけ土地税とか固定資産税とか色々取られるばっかりでもう散々ですよ」
「商売はできないのに税金は取るんだからひどいよね」
「だから私には早く結婚するしか方法が……」
言いかけてアンは口を閉じた。いいことを思いついた、という顔だ。実は私も多分同じことを考えている。
「カケルさん」
「アン」
「もしよかったらですけど、私の家に住みませんか?」
「……同じことをお願いしようと思ってた!」
「やった〜!家賃はいりません、その代わり家事と税金を折半しませんか!?」
「最高の条件!本当にいいの?」
「もちろんです!」
私たちは手を取り合ってワアッと喜んだ。かくしてアンの税負担は軽減され、私は今後の住みかを手に入れたのである。