042 アッシュ・ヴァルキュリア
明くる日の空。
静けた夜が明け、瑠璃色が朝露に乾き始める早朝。
欧都の治安維持の為にと巡回の任についていたシドウは、アスガルダムの玄関である国門を訪れていた。
「これはシドウ殿、巡回任務、お疲れ様であります!」
「うむ。貴殿の方は変わりないか?」
「はっ! 」
厳格な性格故に心暗い者に煙たがれ、余計な苦労を背負い込む事の多いシドウである。
しかしその分、人望は厚かった。
門番を務める若き騎士もまた、シドウに対し信を置く人物である。
「恒例の春の入団、選抜も共に終わりましたね。入団試験の際は、確かシドウ殿が筆頭教官を務められたそうですが」
「うむ。波乱はあったが、中々に見所のある者も居た。出来れば選抜前の強化期間にも指導してやりたかったのだが」
「シドウ殿もお忙しいですから仕方ありませんよ。しかしシドウ殿ほどの方に一目置かれるとは、今季の若手は豊作なのでしょうね」
「さて、どうであろうな」
人付き合いが得意ではないシドウではあるが、嫌いではない。
むしろこういう顔馴染みと費す、何でもない時間を憩いとするだけの器量はあるのだ。
だがその間にも、独眼は鋭さを保っている辺り、彼の厳格さは折り紙付きと言えた。
「若手といえば、つい先程に里帰りの為と門外に出た者達が居ましたね」
「⋯⋯ほう。編成期間まで後一週間と迫る期にとは、少々悠長だな」
「まぁ、正式に騎士となる前ですから。郷愁に駆られる気持ちは分かりますよ。しかし若手ながら、どうも存在感のある者達でして。こちらの二名なのですが、ひょっとしたらシドウ殿もご存知なのかも知れませんね」
「⋯⋯む。ヒイロ・メリファーと⋯⋯エシュラリーゼ、だと?」
他愛のない会話の一添えのつもりだったのだろう。
門番が差し出した届け出に記載された名は、偶然にも見所があるとシドウが見定めた二人であった。
とはいえ、それだけであれば両者の意外な繋がりに多少驚く程度であったのだろう。
揃って門外へ出るともなれば、或いは懇ろな関係なのかも知れぬと、珍しく微笑ましさを覚えていたかも知れない。
だが、届け出の書類を手に取るシドウの顔付きは険しかった。
「貴殿に問う。外出届けには"里帰り"とあるが、確かか?」
「え? は、はい。帰郷の為にと、両者の口から直接申請されましたが」
「⋯⋯門外には馬車で、とあるが?」
「えぇ。十里ほど離れた村の者が丁度雇った馬車に乗せて貰うとの事で。本人も了承しておりましたが⋯⋯ひょっとして、何か問題が?」
「⋯⋯⋯⋯いや」
一見、問題はない。だが不自然と言う他なかった。
まずヒイロは麓の村の出であることはシドウも把握していたから、馬車に乗る必要性を見い出せなかった。
楽である事に代わり無いが、だからといってこんな早朝からの外出。
どうにも腑に落ちないが、何かしらの事情と言えなくもない。
(里帰りもなにも、エシュラリーゼの故郷は⋯⋯)
だが、シュラに関しては別だった。
とある人物からシュラについての情報をある程度聞かされていたシドウは、全てではないが、知っていたのだ。
エシュラリーゼにはもう、"帰る故郷など無い"ことを。
「⋯⋯⋯⋯妙な事に、ならなければ良いがな」
届け出を門番へと返しながら、独眼はそっと彼方を睨む。
夜は明けても、まだ星も薄い灰色の空。
いずれ蒼に隠れる前の白い月に、ちぎれた雲が侵すように指先を伸ばしていた。
◆ ◆ ◆
流れる風景。青々とした空。
揺れる草花の街道を、ガタンゴトンと馬車が行く。
みたいな導入で始まれば、少し古風な文芸作品の情緒の一つもあったんだろう。
馬車での移動だなんて、花より団子派な俺でさえも栄古浪漫の名残を感じさせたくらいだったのに。
俺の隣で青い顔してる美少女のあられもない姿に、そんな情緒はとうにぶっ壊されていた。
「で。まだ気分は戻らねえのかよ」
「⋯⋯見れば分かるでしょ⋯⋯」
「ったく。乗り物が苦手なら最初っからそう言いやがれよ。だらしがねえ」
「うる、さい⋯⋯馬車に乗った事なんてなかったんだからしょうがな、うっ、あう⋯⋯」
「だ、大丈夫ですかエシュラリーゼさん。俯いていると余計に具合を悪くしますから。背もたれに身体を預けて、楽にしてください」
昨日と顔色を取り替えたように、馬車酔いですっかり青ざめたシュラの介護をするハウチさん。多分、馬車を用意した負い目もあるんだろう。
つっても俺達の目的地であるコルギ村まで十里。バスや電車がある現代と違い、馬車以外の移動手段が無い以上、シュラには我慢して貰うしか無かった。
そんなこんなで、ハウチさんの介護の甲斐あってシュラの顔色が少しだけ落ち着いた頃。
「ところで昨日、聞きそびれた事が一つあるんだけど」
不意にシュラが、ハンチさんに尋ねた。
「はい、なんでしょう?」
「昨日、村長が声をかけて来た時⋯⋯あたしを"優秀な騎士だと聞いた"と言っていた。でもそれって誰からなの?」
「!」
(⋯⋯あ。そういや、ハウチさんはシュラのことを最初から知っていた風だったな)
疑問は分からなくもなかった。
シュラの優秀さは紛れもない事実だ。けどその評判を一体誰が、昨日アスガルダムに訪れたばかりのハウチさんに伝えたんだろうか。
当のハウチさんは一瞬押し黙ると、少しだけ目を泳がせながら口を開いた。
「港町フィジカでのことを、私も聞いたのです」
「フィジカ⋯⋯⋯⋯っ!⋯⋯それって」
「はい。一年前、フィジカの港町を襲い続けていた凶悪な魔獣達。フィジカに住む人々を、その魔の手から護ってみせたという美しき灰色の戦乙女、エシュラリーゼさん。その活躍を、村に訪れた行商隊の商人から伝え聞いたんです! ですから私は、貴女であれば私の村を救ってくださるかも知れないと⋯⋯」
「⋯⋯商人って生き物は、どうして話を膨らませたがるかしらね。あれ、大群ってほどじゃ無かったわよ」
「けれど、魔獣から護ったのは事実ですよね?」
「⋯⋯」
(アッシュ・ヴァルキュリア? なにそのヒーローっぽい通り名。ライバル枠なのに、ちょいと主人公っぽくはありませんか。ぐ、ぐぬぬぬ⋯⋯う、羨ましくなんかないから⋯⋯)
嘘です。超羨ましい。
自分の武勇伝を耳にしながらも、なんでもないように謙遜するムーブ。中学時代のお昼寝タイムで何度妄想した事か。俺が主人公じゃなければ、ハンカチ噛んでキィーッてやってた所だよ。
「テメェのへそ曲がりは筋金入りだと思ってたんだが、昔の方は可愛げが残ってたみてえだな?」
「うっさい。女の過去を詮索すんな」
「してねえだろ」
「どうだか」
けど当の本人はといえば、あまり過去を触れられたくないらしい。
頬杖を付きながら、馬車の外を眺める静かな横顔。
酔い醒ましなのか、もっと誤魔化したい何かがあるのか。尋ねてみたって、答えてくれそうにはなかった。
「──何も、変わっちゃいないわよ」
(⋯⋯?)
ふと呟かれたシュラの独り言も、どうにもらしくない。
聞き逃しを促させる儚い一言は、蹄と車輪の音の波に呆気なくさらわれていった。
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