153 巨人の足音
パキッと車輪が枝か何かを弾いた音に、反射的に顎が上がった。
白く微睡んでいた視界が、一瞬で青く染まる。空の色だ。顎を上げるどころか、見上げる域まで達してたらしい。
あっぶね。ついウトウトしちゃってたぜ。ゆっくりと隣へ視線を移せば、ぼうっと前方を見つめるナナイザが相変わらず手綱を握っていた。
「⋯⋯なに?」
「あ? あァ、上手いもんだなと思っただけだ」
「⋯⋯ナナ、馬、好きだから⋯⋯」
「好きこそ物のなんとやらってか」
実際、ナナイザの手綱さばきは本職ばりの手並みといったとこだろう。
いつぞやのジオーサへ向かう道中は、シドウ隊長が馬車を御していた。シドウ隊長もなかなかの物だったけど、素人目でも快適さはナナイザの方がかなり上だって分かる。
なんせ揺れが少ない。御者の隣でさえ尻を痛める心配いらずだ。だからつい寝落ちしたって仕方ない。うん。
「目的地は、地図でいうとどの辺りだ?」
「⋯⋯アスガルダムから、ちょうど南西の端、くらい⋯⋯」
「南西ねェ。西のヴェストリって国とは今なにかとバチバチだって話だが、流石に今回の任務とは関係ねえか」
「⋯⋯南は?」
「南ィ?⋯⋯南っつうと、プトルヘイムってとこか? 生憎、良く知らねえんだよ」
「⋯⋯住んでたことも、ないの?⋯⋯」
「あァ? ねぇよ。どうしてンな事聞きやがんだ」
「⋯⋯気にしなくて良い⋯⋯」
「そこで気にすんなってのも無理あんだろ」
妙な返しに首を傾げるも、ナナイザはそれっきり無反応だった。どういう意図の質問だったんだろうか。
住んでたって、ヒイロの出身地か? でも以前サラに軽く聞いた時は、生まれも育ちもヘルメルって話だし。
いや待て。主人公の出生にとてつもない秘密はもはやお約束。もしかしたらナナイザは、何かしらの鍵を握っている存在なのかもしれない。
「嫌がる相手に根掘り葉掘りの質問責め。やはりバッテンはいかがわしい飢えた獣なんですけど」
「無理やり色魔扱いしようとすんじゃねえ。その発想してる時点で大概だろこのむっつりチャノすけが」
「だっ、だだ誰がむっつりですか! 心外にも程があるんですけど!?」
すわ主人公の秘密に接近かと身を乗り出した途端、刺してくるのは男嫌いの毒舌ガールである。
馬車の中から剣呑な目付きで睨むチャノンは行き過ぎた風紀委員長といった風采だったが、意外とカウンターには弱いらしい。
けど、これ幸いとあんまり弱点を付っつき過ぎるのも良くなさそうだ。「むっつりなのか?」と無垢に問うフリーゼに殺気マシマシのメンチ切ってるチャノンを見て、やり返すのも程々にしとこうと心に決めた。
「ったく、なんだってああも絡んできやがんだ。俺なんもしてねえだろうに」
「⋯⋯男相手なら、誰でもあんな感じ⋯⋯」
「単に、任務に混ざってる俺が気に入らねえんじゃなくてか?」
「⋯⋯別に。いつものこと⋯⋯」
(マジかよ。それって任務の時も男相手ならアレってことじゃん)
《うは、平等な不平等なんてすばらしいねえ。ボク、あの娘とは仲良くなれそー》
ぶっちゃけチャノンの毒舌は、男ってより俺個人が気に入らないだけだって思ってた。だってスヴェイズ隊の立場からすれば、俺の参入は面白くはない事だろうし。
だから敵視されたって仕方ないと受け流してたんだけど、どうやらあの男性敵視はチャノンのオートモードらしい。
(あ、そういえば⋯⋯)
そんなんで任務大丈夫なの、と過ぎる不安をさらに肉付けたのは、出発の際にコソッと聴こえたある言葉であった。
「なぁハイリ隊長、ひとつ聞きてえんだが」
「え? うん、なにかな」
「アスガルダムの国門を出る時、ちらっとこの隊が『巨人の足音』呼ばわりされてたが⋯⋯そいつはどういう意味なんだ?」
「うっ、あー⋯⋯き、聞こえてたんだね」
「まぁな」
単刀直入に尋ねれば、ハイリ隊長は羞恥に縮こまらせる。ただでさえ遠慮がちな性分の彼女が縮こまるもんだから、その仕草は憐れみさえも引き出す具合だった。
いやまあ、明らかに良いニュアンスで言われてなかったから、悪評だってのは想像してたけど。困った挙げ句に視線を散らせば、チャノンですらバツが悪そうに車窓へと視線を逃していた。
「⋯⋯巨人の足音は、すごくうるさい⋯⋯」
「⋯⋯つまり?」
「⋯⋯トラブルメーカー。そういう意味⋯⋯」
「なぬ!? 自分のパワフルな一撃が、巨人の足音並にすごいぞーって意味じゃなかったのだ!?」
「どれだけ都合の良い解釈をしてたんですか、ポンスカは。巨人並なのはポンスカの器物損壊率なんですけど」
「どっこいどっこいだよ⋯⋯うう、胃がキリキリするぅ」
ご丁寧に解説してくれたナナイザはともかく、馬車内組の物言いを拾えば、なんとなくスヴェイズ隊の立ち位置も見えてくる。
トラブルメーカー。つまりは問題児集団か。主にフリーゼとチャノンがそうなんだろうな、多分。
で、ナナイザは基本無関心でマイペースだろうし、必然的にハイリ隊長がフォローに奔走してるって感じか。
うん。シドウ隊長が珍しく気遣ってた理由がよっく分かったわ。
「あー⋯⋯まあ、なんだ。ハイリも苦労してやがんだな」
「な、名前呼びっ!? しかも気遣われて⋯⋯思ったより素直で優しいし⋯⋯は、春が来たかも⋯⋯」
「チョロメのチョロメが出ましたね⋯⋯ですが口説いたように聞こえたのも事実。やはりバッテンは飢えた獣っ!」
「否定項目が渋滞起こしてんだが」
「んぬ? 何言ってるのだ? 障害物もない、見通しの良い平原だぞ? ほらほら」
「テメェはちょっと黙ってろな」
あーもうめちゃくちゃだよ。ツッコミどころが我先にと列作ってますやん。こんなん、スクランブル交差点の方が整理されてるわ。
てかハイリ隊長、優しくされれば誰彼構わずそうなんのかい。そらチョロメ呼ばわりされるよ。多分アンタも立派なトラブル要員だよ。
「⋯⋯そうでもない、かも⋯⋯」
「あァ? なにがだよ」
なんて風に、早くも白旗を挙げたくなっている俺の心を嘲笑うかの様に、更に追い打つ風が吹く。
「⋯⋯前方、遠く。なにか、いる。あれ⋯⋯魔獣の、群れ⋯⋯?」
「「「「!!」」」」
風雲の急っぷりは、こっちの心情などお構いなし。
本格的なトラブルの影は、もう目前にまで迫っていた。




