147 赤い光と黒い夢
「──いつか、いつかと。なりたい自分になる為に。それだけを求めて、ガキみてえに夢追い掛ける日々⋯⋯でした」
「⋯⋯え?」
自分でも『ああ、マズいよなこれ』って自覚はあった。
でも一度滑り出した言葉は本音だからこそ、吐いた唾以上に引っ込みがつかなくなった。
俺の心は今この場の後悔よりも、ずっと昔の悔いばかりを気付けば追いかけていた。
「多分、俺は⋯⋯馬鹿な奴なんだと思う、ます。諦めろって言葉には、やなこったって。どんなに無理な事にも、無理なんかじゃねえって。意地になって、抗い続けた」
フィルターで崩れそうになる言葉を繕ったのは、礼儀だけが理由じゃなかった。
これは、ヒイロとしての言葉じゃない。熱海憧の言葉で、過去だっていう意地だ。ヒイロに背負わせて良いものじゃない。俺だけの失態で、後悔で、過去だった証だ。
「勿論その分、痛い思いを何度だってしてきた⋯⋯っす」
燃え盛る炎の熱よりもずうっと熱く、心に残ったものを追いかけて。何度躓いたか。何度転んだか。
「自分が取るべき選択だと信じて、これ以上となく、首を絞めるような真似もした」
はじめての人助けは、結局何も救えやしなかったし。
「馬鹿なあまり、余計に誰か傷付けちまった事も少なくない」
そのせいで余計に傷付けて、気遣わせて、最期の時でさえ謝らせてしまった。
「どうしよもない俺が犯しちまったどうしようもない失敗に、今もどっかで苦しんで、逃げるように走り回ってることもある」
出来た傷は今も膿んでるのかもしれない。
自分でも気付かないぐらい、大きく広がってしまってるのかもしれない。
「それでも⋯⋯折れるには、俺は馬鹿で、鈍くて、図太かった。結局、その一言に尽きる、かと」
それでも、俺の心を最も占める痛みは。
冷めることのない熱病は。
「⋯⋯追いかけた、君の夢って?」
「──英雄になりたい」
あの背中に報いたい。
「ただ、それだけだ⋯⋯です」
「英雄、か」
熱に浮かされたように語り出した物も、王様のぎこちない相槌をもって、ようやく終点を置けた。
「──ハッ」(あ、やっべ)
熱病が引いて、そして我に返って。今度はドッと冷たい汗が噴き出した。散々自分の失敗を語っといて、出来立ての失敗に気付けないはずもない。
やばいやばいやばい!
これやらかしちゃったよな。つい色々語っちゃったけど、内容はともかく立場的に大問題ですよね。
王様相手に所々敬語も抜けてたし。いくら王様が知りたがってたからといっても、大義名分とゴリ押すには色んな意味でよろしくない。
そんな馬鹿でも分かるやらかしに、俺はあまりに遅すぎる後悔に打ちひしがれていたけれど。
「⋯⋯陛下。御身の興味心は推し量れど、やはり時と場を考えていただかなければなりませぬ」
「うっ、うん。すまないギムレー」
「お主も下がるがよい、ヒイロ・メリファー。此度の僭越は見逃すが、次は無い」
「⋯⋯失礼、しました」
物凄く厳しそうな宰相にしては意外なことに、忠告に留めておいてくれた。勿論釘は刺されたし、ギンッと圧たっぷりに睨まれはしたけども。
明らかな温情措置に、俺は低姿勢で引き下がった。
「レギンレイヴの隊長シドウよ。隊を預かる立場として、礼儀の指導を欠かすは怠慢の証であるぞ」
「誠に申し訳ありませぬ。この失態、まさしく汗顔の至り。きつく言い聞かせておきます故、どうか」
「うむ。ならば良し」
あっ、上司に責を求めるタイプだったか。これは後で反省文ですね間違いない。何十枚で許してくれるだろうか。
宰相に負けず劣らずの眼力で睨んでくる隊長に、俺は腱鞘炎になるであろう未来を覚悟した。
「さて、それではこれにて勲章授与式を閉会とする。これからも、与えられた勲章に恥じぬ働きを求める。同隊の騎士達もまたその赤光を憧憬とし、後続を目指し邁進せよ。勲章者よ、改めて宣誓を打ち立てよ」
「お⋯⋯御意」
が、最後の大仕事が残っていたと、宰相の言葉で思い出す。大仕事ってのはつまり、勲章授与式の締めくくり役だ。
「──」
立ち位置を確認して、息を吸う。
やり方はシドウ隊長に軽く教えて貰っている。軽くっていうのは他の礼儀作法と違って、すぐに出来たからだ。
隊長は狐につままれた様な顔してたけど、別にトリックでもなんでもない。
だって、いつかやってみたかった事だったし。ちょくちょく妄想してた分、教えられればすぐに出来るだけの土台はあったってだけの話だ。
「騎士総員、抜刀」
短く言い放てば、謁見の間に居る騎士達が揃って腰の騎士剣を抜き放ち、正眼に構える。
「揺らがぬ志を誓い、正道を為し、誇りを胸に灯すなら。騎士総員、剣を掲げよ!」
思い起こすのは、エインヘル騎士団の入団初日。
あの日のお手本も、今この時は俺の号令に応える側。その実感がじわりと滲んで、口角が上がった。
この国一番の騎士となるには、まだ道半ば。
でも、半ばまでは来れたのだと。
確かめるように、知らしめるように、俺は高らかに剣を掲げた。
「────聖欧国に光あれ!」
「「「「「聖欧国に光あれ!」」」」」
◆ ◆ ◆
授与式が終わり、もう一度宰相に王としての自覚云々と諫められた後。アスク・ガーランドは自室のベッドで寝転んでいた。
「⋯⋯英雄になりたい、か」
仰向けに天蓋を見つめながら、口は言葉をなぞっていた。
どうしてあんな事を聞いてしまったのか。アスク自身にも分からない。
けれど勲章賞与の認可の為にと、形式をなぞる為に渡された書類を見て、気になってしまったのだ。
特別な才能はなく、特別な生まれでもない。秀でた要素はあれども、サーガを生み出す傑物となるには物足りず。外見もまた、絵に描いたような騎士ではない。
しかしヒイロ・メリファーという男は、王宮には無い熱を持っていた。
「眩しかったな」
アスクの碧眼が、かすかに揺れる。対峙し、答えてくれたヒイロを、アスクは羨ましいと感じてい。もっといえば妬ましいとも。
自由な有様が。困難に屈しない強靭さが。自分を信じるその心が。いずれも持ち得ないアスガルダムの王にとって、その若き騎士は眩しかった。黒い嫉妬を抱くほどに。
「⋯⋯」
けれど同時に、心地良かったのも事実だった。あんな風に失望も嘲りもない眼差しと向かい合ったのは、一体いつぶりだっただろうか。
時折ヒイロの言葉が、素のものと思われるほどに崩れる度、アスクの心は弾んだ。あの瞬間。騎士と王とではなく、もしかすれば、ただの人と人として。
そんな淡い夢想を描けたくらいには、心地良い時間だった。
「良いのかな⋯⋯僕は、このままで」
【悲しいな、王よ】
「!」
けれど、白昼夢は夜へと過ぎるにつれて醒め。
茹だる熱病に冷水をかけたのは、部屋の角の止まり木から王を見下ろす、一匹の烏であった。
【民の悩みは民にしか解き得ない。王の悩みもまた、王にしか分かり得ない。いつの時代も、それは変わらぬ。王は王でしかなく、民は民でしかない】
「⋯⋯なにも、変えられないってこと?」
【君は彼の騎士が新たな友と、理解者と成り得る光を見たのだろう。しかし、愚直とはすなわち視野狭窄に他ならない。彼の騎士は君を特別視していないのではなく、そもそも眼中にないのではないのか。己にこそ夢中。故に、王であろうが騎士であろうが民であろうが、彼の騎士にとっては同価値なのだろう。君の求める気安さではない、と我は見るがね】
「⋯⋯」
【ならばもし、彼の騎士を友にしたとして。果たしてその愚直さが、君の"真実"を許すだろうか? 果たしてその友情は、彼の騎士の持つ剣よりも軽いだろうか?】
「うっ⋯⋯あ、あ、あぁ⋯⋯」
烏の言葉は的確に、撒かれた希望を摘む。
アスクは、過去の自分が、そして今の自分が塞ぎ込む原因を思い浮かべながら、ベッドの上で膝を抱え込む。青の属性が占める極寒に居るかの様に、この国の頂点は身を震わせていた。
【そも、王よ。現状を憂う必要などないのだ。君には私が居るだろう。君の心を理解し、君の悲しみを知り、君の痛みを知る私を⋯⋯友と呼んだのは嘘だったのかな?】
「!!⋯⋯う、嘘じゃない。嘘じゃあ、ないよ」
だから、烏がもたらす希望の熱に王は飛び付いた。
さながら灯りに群がる蛾のように。相手が鳥である事も忘れて。
「そう、だね。そうだったね⋯⋯僕には。僕を分かってくれるのは、君しかいない」
【嗚呼。そうだとも。疑うまでもないはずだ。さあ、王よ。いつもの様に、我が名を呼んでくれたまえ】
「⋯⋯うん。そうだね──【ギムニフ】。始まりの王シグムンドと共に、このアスガルダムの産声を聞いた君の言葉が⋯⋯間違っている、はずがない」
【そうだとも。我が名が、我が存在が、歴史が、何よりの証明だとも。だから、王よ。王の心を分かりようがない『羽虫』の如きはばたきなどには、君が耳を貸すべきではない。耳を澄ますべきは、王を知る我が言葉、我が心。君が悩まずとも、全て私に任せておけば良い】
甘い言葉は麻酔の様に、王の不安を麻痺させる。
王にのみ開く口。王にのみ語る言の葉。王にのみ与える親しみ。王にのみ広げる四枚羽根。
それを今更疑うことなど、王に出来はしない。出来るはずもない。
前王の死後以降。アスク・ガーランドの孤独にずっと寄り添っていたのは、この一匹の烏だけなのだから。
【君は王だが、孤独ではない。私だけが、君の理解者だ】
「ああ、ありがとう、ギムニフ」
【授与式で多少、疲れたのだろう。今は軽く眠るが良い】
「⋯⋯⋯うん」
まるで親に寝かしつけられた幼子の様に、アスクの意識は微睡みへと旅立つ。安らかな寝息を聞き届けると、烏は黒い瞳を静かに閉じて、冷笑を浮かばせた。
【──物を知らない愚か者は、かすかな小火にさえ眼を引かれてしまう。ああ、そうとも。そんな愚かささえ、理解してやっているとも。愚かな王よ】
ギムニフは確かに、王の心の脆さを理解していた。孤独を埋める光を欲していることも。明かせぬ『真実』に苦しんでいることも。
だが王はギムニフを理解してはいなかった。
瞳に燃える暗き炎を。巡らす策謀を。望む終焉を。
【だが、かすかな小火が絶える時は、もう遠くはない。いずれ消え行くものに心を惑わせることなどないのだと。そして私の黄昏が世界を覆わんとするいつかまで。安楽に、安寧に、朽ちかけの揺り籠にて揺れ続けていれば良いのだ。そうだろう、"偽りの王"よ】
偽りだらけの片隅で、烏は全てを蔑むように。
冷たく冷たく、嗤うのだった。
ただ、その脳裏の片隅に。
奇妙な引っ掛かりだけを残しながら。
【──しかし、先は羽虫から妙な気配を感じた気がしたがアレは果たして⋯⋯⋯⋯ふむ。いいや、所詮は些末事か。わざわざ確かめるまでもない。いずれあの羽虫には、盛大な薪となって貰うのだからな】




