143 ヒイロの印象向上委員会『Ⅱ』
「しかし⋯⋯厄介な問題ですね。愚弟やシドウ殿が打つ手がないというのも分かります」
「団長補佐でも難しいって思うのか?」
真面目である事と律儀である事は異なれど、両立する事もある。
これ以上情けなさを晒すくらいなら、真面目に取り合う道をリーヴァは選んだらしい。
渋々ながらも、才女は腰を据えた。問題に向き合う姿勢へとシフトした影響だろうか。レモネードで口を潤し、モノクルをカチャッと一撫で。
それだけでのどかな午後の一席は、独特の緊張感に包まれていた。
「風聞というのはどうしても、個の意思だけではどうにもならない事もありますから」
「⋯⋯だろうな」
「まぁ。本当なら、私の知った事ではないと言いたい問題なんですが。血生臭い通り名を持つ貴方の在籍が騎士団の風紀倫理への疑問視に、ひいては団長であるレオンハルト様への不名誉に繋がる可能性もありますから。ただでさえ、昨今の騎士は道に反する行いが多いと問題になってますし」
「手を貸してくれんならなんだっていい。賄賂だの専横だの、気合の入ってねえ連中と一緒にされんのは気にいらねえがな」
「そうですか。しかし、恐らくは貴方自身の過去の行いも原因ではありますよ。例えば、ヴァルキリー学園に在籍していた頃とか」
「その頃の事まで知ってんのか?」
「ええ。多少調べましたから。学園生時代には素行不良で恨みも買っていたようですね。その頃を知る者達が、貴方の躍進を快く思わないのも道理です。単純な僻みも多いようでしょうが」
「⋯⋯つまり、ソイツらが俺の悪評を煽ってるって訳か」
「そういった面も作用しているでしょうね。無論、噂とは実体を無視して膨らむものでもあります。悪評の内容が現実離れしたものが多い点から鑑みれば、悪評を煽っている数はそう大して多くはないでしょう」
団長補佐の地位に居る女傑は伊達ではない。少ない情報から説得力のある分析を述べたリーヴァに、ヒイロは感心した様に目を丸めた。
彼女にとっては造作も無いことだが、外見に似合わず幼い反応を示されたからだろうか。滅私色の毛先を面映ゆそうに弄りながら、リーヴァは咳払いを挟んだ。
「その点でいえば、貴方の問題は比較的軽度であるとも判断出来ます。世には、火のない所にでも無理矢理煙を立てようとする者も、それはもう多いですし」
「妙に実感がありやがるな⋯⋯」
「僻み嫉みは見飽きた隣人ですので。それはもう有象無象がほんとに。特に大して実力を示せてもいないのに、私を引き摺り下ろしてでもレオンハルト様に色目を使おうと企む女狐共が多過ぎる事。ええ、全くもって可及的速やかに改善すべき問題ですよ」
「オイ、煙の立つ火種が目に見えたんだが、気のせいか?」
「⋯⋯気のせいです」
ヒイロの鋭い指摘に、リーヴァはそっとバツが悪そうに目を逸らす。だが先程の彼女の弁には、生々しい独占欲が滲み出ていた。
珍書には眼がない時のクオリオと似た並々ならぬ執着を感じ、ヒイロは触らぬ神に祟りなしと軌道修正をはかった。
「悪評をどうこうすんのが難しいってのはよっく分かったが⋯⋯やっぱり打つ手なしか?」
「まさか。策はあります」
「!」
少々想いが重そうな一面を覗かせたが、リーヴァが才女である事に変わりはない。我に秘策有りとモノクルを光らせるリーヴァに、ヒイロの眼は期待に輝いた。
「悪評に抗うならば、それ以上の善評を示せば良い。つまりヒイロ・メリファー⋯⋯貴方を、女性や子供に優しい紳士だと衆目にアピールすれば良いのです」
「紳士だと⋯⋯俺がか? 具体的には?」
「内容についてですが、現在レギンレイヴ隊は三日間の休暇中でしたね?」
「おう。ここ最近クエスト続きだったからな」
「ふむ。ならば彼女も、ということですね。好都合です」
「あァ? 彼女?」
悪を善で制する。リーヴァの策とは、王道であった。だが同時に奇策でもある。
なにせ見た目も言動もチンピラなヒイロには、紳士という要素など程遠い。それを大衆にアピールとなれば、やり方も考えねばならない。
「明日の午前半ばより、ヒイロ・メリファーとアシュラリーゼ・ミズガルズ両名に、とあるオペレーションを行っていただきます」
「オペレーション?」
「ええ。その名も⋯⋯」
満を持して、といわんばかりに。
たっぷりと息を吸った後、リーヴァはオペレーション名を一息に告げたのだった。
「『公衆の面前でエシャラリーゼを紳士的にエスコートし、ヒイロ・メリファーの印象を向上させよう大作戦』です!!」
「⋯⋯⋯⋯!!!」
そのまんまである。ネーミングに捻りもへったくれもない。密かに耳を澄ませていた他の客も、これにはドン引きである。
というかそれ、ただ普通にデートするだけなのでは?
普段ならばそうツッコむだろう。
だがヒイロは明らかに乗り気であった。なにせあのクオリオの姉が考えたプランなのである。ならば自分では分からない神算鬼謀があるだろうと、疑うことをしなかった。
「エスコートの内容については私が組みます。良いですか、エシュラリーゼの参加は絶対です。必ずや彼女をオペレーションに巻き込むように」
「ククク、任せろ! 土下座してでも頼み込んでやらァ!」
「期待してますよ」
すっかりやる気のヒイロを横目に、リーヴァはにっこりと微笑む。才女の美しい微笑みに潜んだ黒い企みに、勿論馬鹿は気付いていない。
(ええ、問題解決には手を貸します。ですが、同時にこの子とエシュラリーゼの仲を進展させれば⋯⋯フフフ)
引き摺り下ろしてでも、誰それの隣を確保しようと奔走する女狐。彼女もまた、そういった一面を持っているのである。
《団長補佐がこれかぁ⋯⋯えっと、この国大丈夫?》
生真面目だが、その分エゴもマシマシな才女の企てをなんとなく悟った魔獣は、そっと国の行く末を偲んだ。
◆
明くる日、アスガルダムの大通りにて。
昨日の内にエスコートプランを練り、ヒイロに授けた才女は、此度のオペレーションの成就を見届ける為に、情報誌で顔を隠しつつ物陰に潜んでいた。
(さて、そろそろですね)
意外な事に、リーヴァは少しはしゃいでいた。
なにせ悪巧みである。だが謀略めいた、他者を貶める様な苛烈なものではない。見ようによっては、ちょっとした悪戯ともいえるだろう。
悪戯なんて、真面目な団長補佐からすれば幼少以来の行いである。なので、ちょっとワクワクしていたりするのだが。
「⋯⋯⋯⋯ねえあんた、本当にその格好のままなの?」
『おう』
「ふふ。フカフカしてて可愛いですね、ヒイロくん」
『だろう』
果たして、時間ぴったりに待ち人は来たらしい。
流れて来た聞き覚えのある声たちに、リーヴァはそっと情報誌から顔を上げる。
(ふむ、来たようですね。エシュラリーゼもちゃんと⋯⋯ん? リャム・ネシャーナ? 何故彼女が此処に────ん?え?ん?)
そして、目に飛び込んで来た光景に。
リーヴァの脳は、真っ白に染まった。
「⋯⋯⋯⋯ファッ?!」
騎士団の誇るクールビューティに、人生初めてであろう素っ頓狂な声を出させる。
そんな偉業を成し遂げた男は、やる気満々で声を挙げた。
よく分からない"着ぐるみ"を着た状態で。
『ククク⋯⋯くだらねえ悪評なんざまとめて掻き消してやんぜ、この、完璧にプリティーな⋯⋯モクモくんフォームでよォ!』
「はいっ、モフモフですモクモくん!」
「⋯⋯帰りたい」
そこに居たのは、なんか手足の生えた、モフッとした紫色の雲らしき物体X的な何か。
おかしい。ヒイロ・メリファーはいつからあんな未確認生物になったというのだろうか。分からない。分かるはずもない。
不理解のあまり、リーヴァの明晰な頭脳はしばらくエラーを起こし、その場に立ち尽くすしかなかった。
──拝啓、敬愛なるレオンハルト様へ。ちょっとどうしたらいいかわかりません、たすけてください。




