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140 消える飛行機雲

 どうせならコーラとポップコーンがあれば良かったのに、とか。


 ついそんな場違いならぬ世界違いなクレームが浮かんだのは、見渡してみれば一目瞭然だと思う。

 そこは映画館だった。

 暗い館内にきちんと背を並べた折り畳みシートの群れ。

 正面には巨大なスクリーンがあって、俺は館のど真ん中の席に座っていた。他には誰も居ない。たった一人の上映会。

 だからすんなり思い至った。これは夢だって。

 なんで、とかいちいち考えない。霧がかった頭じゃそれ以上は関の山。

 魚を齧るカワウソだってもう少し物を考えるくらい。身も心もシートに投げ出して、ぼうっと前を眺めてる。

 スクリーンを彩っているのは、見覚えがないけど身に覚えが無い訳じゃない映像だった。この間の夢の続き。

 身も蓋もない言い方をすれば、俺が死ななかった場合のIFルート。

 俺じゃない俺の物語を、俺だけが見つめてるもんだから。

 ちょっとした気恥ずかしさもあったり。


『いやだからそんなに頭下げなくって良いって。あの状況じゃ誤解されたって仕方ないし⋯⋯ああまた落ち込んだし。メンタル弱いなこのお嬢様』


 でも、ああ。なかなか大変そうなルートだなコレと。

 しょぼくれた金髪のお嬢様を慰める俺の姿を見て、他人事みたいな感想を抱く。


 まさに混乱の真っ只中ってところだ。

 欲しがっていた『ありがとう』を貰えた歓喜。

 誤解されたせいで、いきなり拘束された事への驚愕と困惑。

 必死の弁明で誤解をとき、お詫びがしたいと豪邸に連れてこられた事への混乱と興奮。

 大財閥の金髪お嬢様と、彼女の専属らしき黒髪美人なメイドさんと、そして俺の三人だけって状況の落ち着かなさ。

 そんなのが全部ぐっちゃになった俺の心は、さぞ極彩色で目に痛いんだろう。


『ん? お嬢様じゃなくって王凛(おうりん)唯利(ゆいり)? へー、王凛さんってあの王凛財閥の王凛さんか、すげー⋯⋯唯利って呼べって? いやぁそれは流石にまずいんじゃ、ほらそっちのメイドさんの目線も痛くなって来てるし⋯⋯ああいやハイハイ唯利さんねそう呼ぶから! 分かったからそんな落ち込むなって!』



 舞い上がってた気持ちがあったのも事実だろう。

 財閥のお嬢様の危機を救うなんて、まさにヒーロー、主人公の専売特許な活躍が出来たんだ。感謝したいのはむしろ俺の方だったろうし、彼女の願いならいくらでも叶えてやろうって張り切ってるに違いない。

 現にメイドさんと唯利さんとの板挟みになっても、片側にあっさりと傾いたし。


 そっから機嫌を持ち直したお嬢様とお茶会が始まった。といってもお茶の良し悪しを語り合うなんて事はなく、お互いについてをあれこれ話す様な内容だったけど。第一、俺は紅茶の良し悪しなんて分からないし。

 お茶請けに手が伸びる暇もない応酬は、王凛唯利が住む世界が違う人間だって知るには充分だった。

 厳しく教育されてるんだろう。娯楽の知識も殆どないし、ハンバーガーも食べたことない。行動だって相当制限されていて、俺と遭った時も息苦しさから解放されたくて逃げ出したのが原因らしい。

 母親は他界しており、父親は自分に枷をはめて仕事一辺倒。まさに絵にかいたような籠の中の鳥。心を開けてそうな相手は、ずっと傍で佇んでいるメイドのユナンさんぐらい。

 (せき)を切った様に言葉を連ねる笑顔は、寂しさの裏返しだと気付けた。

 だから。


──本当に、嬉しかったんです。



 いつかの夢と同じ風に、流れ込んで来た誰かの感情の色は鮮明だった。



──こんな風に誰かと楽しくお話なんてした事、なかったから。



 もしもの可能性だったとしても、寂しがっていた心を守れた事に誇らしささえ沸いてきて。



──だから思ってしまいました。もっとこの人と一緒に居たいって。



 だから、疑問に思ったんだ。

 その言葉が、まるで懺悔の様に聞こえたから。



──それが、きっと。間違いだった。



 えっ? 間違いって?

 呆然と、一方通行な告解に間抜けな声が漏れるが、答えは返ってこない。感情を置いてけぼりにされたまま、スクリーン内の時は進んでしまう。


『憧さん、また会いに来てくださいね』


 そう笑顔と共に送り出された門の外。

 晴れやかな顔をして、そのまま去ろうとした俺の背中を呼び止める人。メイドのユナンさんが、片手に何か包みを持っていた。

 どこかこの世のものじゃないような、真っ赤な夕暮れに晒されて。

 朱い世界に、二人ぼっちの静寂が訪れた。


『これを』

 

 突き付けられた包みを、小首を傾げながら開く。

 中には札の束が五つ。五百万の現金。

 そして息を呑む間もなく告げられた。


『⋯⋯今後、お嬢様とお関わりないようお願い致します』


 何より残酷な言葉に、スクリーンの垣根を越えて心が重なる。

 ああ。あの娘は本当に、籠の中の鳥なんだと。

 唖然とする俺の返事すら待たず、もう檻にしか思えない建物へと小高い女の背中が吸い込まれていく。

 待ってくれと、伸ばした手は届かず。

 映像の色が消えてく。光が負ける。


 スクリーンが、切り替わる。


 映し出されたそこは、廃墟の一室だった。

 窓は割れ、壁は朽ちて、扉は千切れてもう役割を失っている。

 忘れ去られてもう何十年。そんな推測が邪にもならないくらい、色褪せ朽ちたオンボロ具合。

 けれど誰も居ない訳じゃない。一人と一匹。壁に背を預け、目を閉じた金髪の少女を前に、人並みに大きい真っ黒い蜘蛛が襲い掛かろうと身を屈めていた。

 魔獣。一目で分かった。現代から馴染みある異世界に引き戻される感覚もあった。けど、このままじゃあの娘が危ない、なんて危機感は沸いて来なかった。

 だって、もう手遅れだって。一目で分かったから。


『あ、あ⋯⋯これ、で⋯⋯もう、恐くないのね⋯⋯』


 少女の胸にはもう、ロザリオが深く突き刺さっていた。

 凶器が元々赤かったのか、傷口から溢れる血が真紅に染めたのかも分からない。十字架の中心に磔にされた人型の装飾から、血が涙の様に伝っては落ちていく。

 口を覆いたくなる様な無残な光景。一つだけ間違いないのは、それを突き立てたのは少女自身だってことだろうか。


【⋯⋯⋯⋯】


 消えて行く命を前に興味を無くしたように、蜘蛛の魔獣が去っていく。割れた窓から指す斜陽が、何かを物語る様に雲に遮られる。

 一体、俺は何を見せられてるんだよ。

 居た堪れない光景に、今更過ぎる疑問が首をもたげた。だから見逃してしまったんだろう。

 磔の装飾が、いつの間にか消えていて。

 もう動かない筈の少女の骸が、ピクリと震えて。


 閉じていた目が、開く。

 鮮血の様な真っ赤な目が、開く。

 その色合いに、あれ、こいつって⋯⋯と気付いた瞬間。

 答え合わせは、隣から囁かれていた。


《⋯⋯で、ボクの物語がはじまったって訳》


 いつの間にか隣のシートに座っていた少女が、ニコッと極上の笑顔を浮かべていたから。俺はすっごく困ったんだと思う。

 なんとなく、こいつにとっては見られたくないものを観てしまった気がして。

 何から何まで分からない事尽くしで、収まりきらなかったものもある。だから気付けば伸ばしっぱなしだった手を、ポムッと目の前の頭に置いていた。


《────》


 終わりの時間が来たんだろう。

 途端に視界も思考も白く染まっていくもんだから、そいつが何を言ったのかも、思ったのかも分からない。

 ただ、夢から醒めていくその刹那。何故かそいつが、ムスッとむくれた顔をしたのが見えて。


 少しだけ、心が軽くなった。




◆ ◆ ◆





「⋯⋯苦ぇな」

「文句を言うなら飲むな」

「文句は言ってねえ。感想を言ってる」

「砂糖はいらないって言ったのは君だろう」

「そういう気分だったんだ。仕方ねえだろ」

「何も仕方なくないじゃないか。子供じみた奴だな、全く」


 淹れて貰ってる分際で、なんて苦言には返す言葉もない。

 だから湯気立つコーヒーを一口啜って、沈黙を誤魔化す。

 苦くて美味しいって言いたかったんだけどな。フィルターを取り払うのは、アイツがコーヒーを淹れる様に簡単にはいかないらしい。


「夢見が悪かったのか?」

「⋯⋯それすら分かんねェから、困ってる」

「なんだそれ」


 呆れた様に肩を竦めるクオリオ。でもそれは俺の台詞でもあった。

 なんだってあんな夢を見たのか。色々考えてみたけれども、俺には見当もつかないし。

 分からない事は分からない。ならまずはとりあえず動いてみよう。そんな俺の考えをクオリオが聞けば、きっともっと呆れるんだろうけど。

 慣れ親しんだ処世術ごと、コーヒーを強引に飲み干した。


(⋯⋯こっちに来てから、どれくらい経ったかな)


 気分を入れ替えるように、寮部屋の窓を開いた。夏はすっかり転がり落ちて、季節は秋へと踏み入っている。

 吹いた風の冷たさのせいか、それともコーヒーのお陰か。若干閉じかけの眼がすっと冴えた。


 分からない事は分からないままでも、結局一日は始まるのだ。

 だからもういい加減、寝たフリ止めなよと。

 夢についての追求を拒む様に二度寝を装う相棒を起こすべく、俺は窓ガラスを軽く叩いたのだった。



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