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135 Melt Flame


 パチパチ、パチと火花が舞って。炎の匂いが鼻先を掠めた。

 熱海憧にとって、炎は略奪の象徴だ。けれど焦げ付いた匂いはせず、息も苦しくもない。奪われる気配がなく、むしろ暖かいとすら感じて、過去が不思議がる。

 そんな感覚につられて気を取られたからだろうか。目の前で此方を見下ろすシュラへの反応が、数拍遅れてしまった。


「シュラ。なんで、テメェが此処に⋯⋯」

「なんではこっちの台詞よ。昼間といい、知らない所でまた勝手にボロボロになって。あんた、そういう趣味でもあるの?」

「ぐ。こっちだって別に好きでこうなっちまってる訳じゃねえんだよ」

「⋯⋯あっそ」


 スタミナ切れにより殆ど酸欠に陥っていたからだろう。気付けば目の前に現れていたシュラ。しかし彼女は切った口火に自ら蓋をするなり、あっさりと背を向けた。言葉尻の温度はどこか素っ気ない。


(シュラの髪。毛先が赤くなってる?⋯⋯それに、あの燃えてる剣はなんなんだ?) 


 霞んだ視界の中で、ヒイロはシュラの変化を見つけた。

 灰銀髪の毛先が燃える様に赤く染まり、更にはその右手に見覚えのない炎剣が握られていたのだ。加えて、街道には気付かぬ間に断裂痕が出来ていた。まるで巨大な剣で切り裂かれた痕は、まだ余熱で赤々と溶けている。

 ヒイロは直感的にシュラが為した事と悟った。炎剣を握るシュラの、隔絶とした気配が本能的な理解を促したのだ。


「シュラ──」

「そこで黙って見てて」


 ヒイロの声を、シュラは手を使わずに払った。にべもない態度の裏にあるささやかな安堵を、果たして疲労困憊のヒイロが汲み取れるか。だがシュラとしては構わなかった。焦げ付くほどの熱風纏う少女の最優先は、ヒイロを害した者達の排除なのだから。


「ちっ。ここにきて増援かよ。しっかもこれまた一筋縄にいかなそうな⋯⋯厄日なんてもんじゃねえ。ああくそっ、俺がなにしたってんだ」


 断裂痕の向こう岸で、イギーは今度こそ己の不運を呪った。この場に似合わない軽装といえ、たった今、命を脅かされたのである。ここに至ってシュラをただの少女と侮れるはずもない。


「嗚呼、なんやの。イギーはんに続いて、まあた誰かがゼツとダーリンの仲を裂きに来やったんかと思うたら⋯⋯」


 悲嘆にくれるイギーに対して、ゼツは我が身を抱いて震えていた。怯えから来るものではない。怪しげに細まる目の光からは、粘着質の暗い悦びが糸を引いていた。


「最っ高やわぁ。ダーリンと出逢えただけでもたまらへんのにぃ。おーんなじくらいにええ匂いしてる子と出遭えるなんてなあ! こないなん、ゼツ、どうにかなんてしまいそぉやよ。えふふ、えふふふふ」

「⋯⋯なによコイツ。頭沸いてるってレベルじゃないんだけど」

「あは。つれないところもダーリンそっくりやんね。そないなコト言わんと、ハニーもゼツとたぁっぷり愛し合お?」

「誰がハニーよ気色悪い。あと誰がダーリンよ気分悪いわね」

「⋯⋯いやそこでこっち見んな」


 非常に物言いたげな眼光に振り向かれて、ヒイロは目を逸らした。ゼツに奇特な因縁をかけられて辟易としたのは彼とて同じだ。被害者である。

 だが針の筵に立たされた男の異議は、シュラの耳に拾われず。数秒後の真夜中に響いたのは、剣と剣が激しくぶつかり合う音であった。


「はいなぁっ!」

「チッ」


 着物とは思えない俊足で迫り、恍惚の表情のまま斬り付けて来る狂人の刃。浮いた言動の割に地に足ついたゼツの技量を一瞬で悟ったシュラは、舌打ちを鳴らして剣を押し返した。


「黒吐影」

「!」


 離れた拍子。呼び声に応えた影が、ゼツの足元から棘となって伸びた。ヒイロを苦しめた影による奇襲。しかしシュラが炎剣で受け止めた途端、影はジュッと音立てて形を失っていた。


「あらら?」

「っ。レーヴァテイン!」


 悠長な口調ながらも目を見開くゼツの様子から、驚いているのは確かだろう。そこに有効打としての手応えを見つけたシュラが炎剣に力を込めた途端、剣が纏う焔が更に膨れ上がった。その熱と光は、さながら真夜中には無いはずの小さな太陽の様だった。


「ハァッ!」

「んうっ」


 気炎と共に振るわれた焔は、火竜の息吹と遜色ない。ゼツは影を伸ばして盾とするが、夜を削って迫り来る焔を防ぎ切る事は出来ないだろう。

 原始の時代。暗闇を晴らしたのは、星と月と火の光だ。シュラの火を防ぐには、ゼツの影では出力も道理も神話も足りない。

 ゼツもそれを心得ていたのか。影の盾で稼いだ僅かな刹那の間に、火炎の範囲から飛び退いていた。


「えふふ。影は灯りに弱いもの。ゼツの黒吐影じゃあ、ハニーの剣とはちと相性が悪いみたいやねえ?」

「はん。だったら大人しく白旗でも振りなさいよ」

「降参なんてせえへんよぉ? 斬り合いが楽しいのには変わらへんしぃ。むしろそっちの方がゾクゾク出来て、たいっへんよろしやすやろぉ?」

「⋯⋯この変態」


 片腕を封じられ、相性の悪い相手を前にして。それでも狂喜を絶やさないゼツのゼラチン質な言動に、シュラは目尻を吊り上げた。シュラの拒絶に呼応して、周りに赤い火花が舞う。

 濃厚な死の気配が漂い、ゼツは興奮に身を(よじ)った。


「あはぁ。ますますハニーの匂いが濃くなった。ええなぁ。だったらゼツも応えなあかんよねぇ? そう。影の奥底。もっと深く。もっと。もっと。もぉっと深くまで────」



 赤き修羅が殺気を高めるなら、黒き狂人は凶気を沈める。

 紅蓮は上に、空気を呑んで膨らむ。

 黒影は下に、大地を這って広がる。

 彼岸花も咲かない亀裂の双方での一触即発。

 濃密な互いの色彩が、やがて互いの張り詰めた物を壊そうとした時だった。


「なんのつもりやの、イギーはん」


 今にも膨大な影となって火中に飛び込まんとするゼツの肩を、イギーが強く引き止めていた。その行動の意味する所がすぐに分かったのか、途端にゼツは能面の様な無表情を浮かべた。


「引き際だ、舐めずり」

「引き際? なに言うてるん。今からが最っ高に愉しい時やないの。そないにゼツの邪魔する言うんなら⋯⋯今度こそ本当に斬りますえ?」

「俺だって命が惜しい。本当ならこんな状態のお前さんに水差したくはないんだがな⋯⋯『アレ』を見てみな。俺がしなくたって、ほっときゃわんさか邪魔が入ってくるだろうぜ」

「アレ?」


 ゆっくりとイギーへと向けられていた刀の先が、促された視線を追いかける。遠目ではあるが、アスガルダムの正門から松明を片手に駆け出す騎士達の姿があった。

 恐らくは追手だろう。そういえば追われる身であったと、当事者の癖に他人事めいたゼツの惚け顔に、イギーは舌打ちしつつもう一度引き止める手に力を込めた。


「さっきのバカでかい炎が警邏の連中に気付かれたらしい。そう経たない内にまた騎士共がやって来る。いい加減退くぞ!」

「ええ、そんなぁ。こないな愉しい想い滅多に出来へんのに。そいつら纏めて斬ってしまえばええやんな?」

「だぁっ、この気狂いが。お前さんが戻らねえと結局俺が責任取らされんだよ!」

「別にゼツはそれでもよろしやすけどぉ?」

「ちっともよくねえ!」

「⋯⋯ううん」


 イギーの切羽詰まった説得は、やはりゼツの心を動かさない。

 しかし何かを考え込むように頬に人差し指を添えると、菫色の瞳がふとヒイロを見遣った。

 片膝をつき、未だ息を乱し、それでも月下の女を睨めつける眼光。飢えた狼を思わせる目に執念の芽を見つけて、ゼツの唇はゆるりと孤を描いた。


「──、⋯⋯しゃあないなぁ。今宵はここまででよろしやす」

「! そ、そうか。ならさっさとずらかるぞ」


 芽が出たのなら、花となる時を待つのも作法。追うばかりが恋ではない。追われる側も味わいたいのが心情だった。

 故に今宵は此処までと区切りをつけて、ゼツは蜜月を想う乙女の様に頬を綻ばせた。


「愛してるえ、ダーリン。ハニー。今度遭うた時は、最期の果てまで付き合ってぇな?」

「っ。レーヴァテイン!」


 小綺麗に片目を閉じて、ゼツは別れを告げると同時。急速に影を引き伸ばしていく。

 撤退の挙動を感じ取ったシュラ。みすみす逃してたまるかと剣の烈火を増大させ、大地ごと薙ぎ払った。


「えふふ」


 まさに巨人の腕の如き轟炎。だが忍び寄る影は離れ去るのもまた、いつの間に。焔が払った大地には既に影も形もない。

 狂い女の残響が過ぎ去れば、辺りは嘘みたいな静寂を取り戻す。まるで妖精の描く、夏の夜の夢の様だった。









「⋯⋯逃げられたわね」

「クソッ」


 悔しげに地を殴りつける拳にさえ、もう力が入っていない。胸に裂傷を刻まれておきながらも、激痛よりも悔恨の方が勝るのか。仰向けにドサリと倒れたヒイロを横目に、シュラは炎剣を消失させた。


「動ける?」

「ハッ、楽勝だ。あと五分後くらい経ったらな」

「あっそ」


 強がりと本音。一瞬の矛盾を逸らして、シュラはヒイロの傍らに座り込んだ。そのままジッとヒイロを見回して、片膝を抱える。


「随分物騒な格好ね。血生臭いったらないわ」

「テメェこそ熱苦しそうな武器振り回してやがったろうが」

「あんたに言われたらおしまいよ」

「どういう意味だコラ」

「そういう意味よバカ」


 血を流し過ぎたせいだろうか、ヒイロの顔色は悪い。しかし胸に出来た刀傷の血は既に止まっている。不自然な事ではあるが、心当たりが無い訳ではない。

 シュラは今は深く尋ねず、そのまま視線を夜空へと移した。月が大き過ぎて、星空が目立っていない。死なせたくないなと最初に思った時の夜空を、似てもいないのに思い出す。


「本当に面倒事に縁があるのね。あんたの人生は退屈とは無縁そうだわ」

「好きでトラブルに巻き込まれてる訳じゃねえぞ」

「ダーリンなんて呼ばれて喜んでた癖に?」

「あのクソアマが勝手に呼んでただけだ。俺だって意味分かんねえよ」

「分かってるわよ」


 可愛げのない棘で刺せば、いつもの憎まれ口が返ってくる。その事がどれだけシュラを安堵させているか、朴念仁には分からぬ事だろう。

 はぁ、と。小さな吐息がビロードの夜に溶けた。今度こそ自分は間に合ったのだ。ヒイロを守れた。その実感が僅かにでも滲んでしまわないように、シュラは膝に口元を埋めた。


「⋯⋯なんか、遠くから音がすんな」

「あいつらが退いた理由よ」

「警邏隊か。チッ。またシドウ隊長に情けねえとこ見られちまう」

「見慣れた景色よ、きっと」

「うっせえ」


 近付いて来る沢山の足音に、ヒイロはバツが悪そうに口を尖らせた。既に昼間に医務室に担ぎ込まれているのだ。こんなボロボロの姿を見られれば、何を言われるか分かったものじゃない。

 ヒイロが望んで渦中に飛び込んだ訳ではないのだろうが、小言を貰うのはシュラにも目に見えていた。しかし彼女はそんなものじゃ済まないと断じる。

 サラは心配するだろうし、クオリオは怒りを通り越して呆れるだろう。リャムは下手をすれば涙ぐむかも知れないし、シャムは皆に心配させた罰として傷口をつんつんと触ってからかう。

 そんなヒイロを取り巻く周囲の予想図が簡単に目に見えて。見えてしまって。


「────は」


 シュラは思う。こんなにも簡単に見えてしまうくらいに自分もまた、その周囲の一部に染まっているのだと。


「⋯⋯次は負けねえ」

「あっそ」


 投げかけられたものではない。彼自身に向けた誓いだろう。敗北に膝を折り続ける様な男ではないのだ。

 それでいい。呆れたり泣いたり心配するのは、他の仲間達の仕事。自分はただ、誓いを護るだけ。今はそれでいいのだと。

 口元を隠したのが功を奏していた。そっけない響きを鳴らしはしたが、シュラは僅かに微笑んでいた。


 似ても似つかないあの夜に零した感謝の言葉と同じ様に。その微笑みは、誰にも見つかる事はなかった。




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