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134 紅蓮の修羅


「勘弁してくれってハナシだ。こちとら心労疲労でくったくた、帰りしなには熱い湯でも浴びて冷えた酒でもクッといこうかって、素晴らしい予定を組んでたってのによ。またいらんトラブルこさえやがって。特別手当て貰わなきゃ割に合わねえぞ」

「はぁ。イギーはんは相変わらず辛気臭いなぁ。生き方そのものがくたびれとるえ?」

「やかましい。波風立たねえ人生こそ最良なんだよ。お前みたいな気狂いにゃ分からんだろうがな」


 姿を現すなり、珍妙に掛け合う二人にヒイロは面食らっていた。ゼツにイギーと呼ばれた男。狂喜乱舞と慎重居士。

 酷く正反対な気質であるらしいが、口振りからして協力関係にある事は容易に見て取れた。つまりこの期に及んで敵が増えたのだ。勘弁してくれとはヒイロの台詞であった。


「なぁに? 説教垂れる為にわざわざゼツとダーリンのイチャイチャに割って入ったん? ん?」

「うお、凄むなよこええな⋯⋯つうかさっきからその呼び方はなんだ」

「なんやもなにも、ゼツ、あのお兄さんに惚れてもうてねえ。なぁなぁ、とっても素敵なお人やろ?」

「あーー。お前が惚れるくらいって、つまり"最悪な野郎"じゃねえか。チッ、最後の最後にとんだ厄ネタ引くなんて、ついてねえぜ」

「洒落臭え挨拶かましといて最悪と来たか。良い度胸だクソッタレ共が。テメェら纏めてしょっぴいて牢にぶち込んでやる」


 推定有罪犯の二人組である。状況が芳しくなくとも、騎士の装いをしてなくとも、騎士である以上引けはしない。爛々と眼光を尖らせるヒイロの口振りに、イギーはまた一段顔を引きつらせた。


「牢って、お前騎士かよ。なら話変わってくるじゃねえか⋯⋯おい舐めずり。さっさと殺るぞ。俺には熱い風呂と冷たい酒が待ってんだ」

「は? イギーはん、ゼツとダーリンの邪魔する気なん? ほんまにぶった斬るえ?」

「おっかねえなおい、状況考えろよ。イカレ調子も大概にだな──」

「いつまでもガタガタと戯言抜かしてやがるッッ!」


 反撃の出鼻を挫かれた上、凶悪に長引かせるなと忠告された事もある。とっとと黙らせてやるとばかりに気炎を吐いて、ヒイロは二人へと襲いかかった。





 命を刈り取る重音が、闇夜を削る。

 身で喰らえば必殺の紅い大鎌。振るう者の猛々しさも相まって、軌道だけでも死を予感させるものである。故にゼツは悦びを浮かべ、イギーは冷や汗が止まらない。


「オラァ!」

「ぐ、このガキッ⋯⋯」


 ミシリと嫌な音が膝から鳴る。常識外れの腕力から繰り出される一撃を小鎌で受けるだけで、イギーの口から苦悶の声が漏れていた。


「余所見はあかんえ、ダーリン」

「チッ」


 そこをすかさず割って入ったのはゼツである。片腕を負傷しながらも振るう刀撃は鋭く、ヒイロも退かざるを得ない。

 だがそこもヒイロの戦術の内だった。バックステップの最中、器用に大鎌の刃で腕を裂けばゼツの目前で大量の鮮血が舞った。


「穴空きチーズにしてやらァ!」

「!」


 ヒイロの叫びと同時に硬化し、弾丸の雨と成ってゼツへと降り注ぐ。しかしヒイロの血が凶器である事はゼツも心得ている。一直線に来る血の散弾の数々を、ゼツは瞬時に刀に影を纏わせ、身体をコマの様に回転しながら切り払い、余すことなく弾き切ってみせた。

 常軌を逸した攻撃を、常軌を逸した技量で防ぐ。その光景をまざまざと見せつけられ、イギーは思わず後悔を呟いた。


「⋯⋯大人しく待ってりゃ良かったぜ、ちくしょー」


 ついていけない、というのが本音であった。

 今回の要人暗殺の相方でもあるゼツ・トロイメライは、イギーにとっても異質であった。外れているのだ。性格言動思考のみならず、何よりその強さ。裏の世界でも指折りの実力を、恐れると共に信頼もしていた。


「たのしいなぁ、ダーリン!」

「鬱陶しいんだよテメェは!」


 ではその舐めずる影を負傷に追い込んだらしきあの男はなんだというのか。影と血の異質な攻防。剣聖と悪魔の鍔迫り合い。イギーの目にはもはや、ヒイロも怪物としか映っていないのだ。冗談ではない。乱入したのは自分だが、その決断を早くも後悔していた。

 かといってこのままゼツを放置して一人撤退するのも問題だ。ベレスとしては、攻め際や引き際を見定めねばならなかった。時折奇襲を仕掛けながら、イギーは機を測っていた。


(くそっ、片腕だけでもこれかよ⋯⋯!)


 一方、ヒイロも焦燥に駆られていた。

 片腕を封じたはずのゼツを、攻め切れない。純粋にゼツの剣技と影操が深みを増しているのである。負傷させた事が、かえってゼツの実力を冴え渡らせているのか。それとも先程までのゼツは戯れの範疇であったのか。

 

「凶悪!」

《ほいほいっと。うーん。あのフードのおじさん、狙い所がほんっとやらしいなぁ》

(おかげでチャンス、全部潰されてる。出来れば先に、潰したい、とこだけど)

《無理無理。そんな事したら、嫉妬深ーい女に背中からサクッといかれるよん》

(⋯⋯くっ。面倒、だな⋯⋯)


 加えて、イギーの奇襲も厄介極まりなかった。どうにかゼツと力比べに持ち込めそうな矢先、飛んでくる分銅。的確に機先を潰すイギーの立ち回りは老獪であり、奇襲予知と血の操作を凶悪に託さねばまともに立ち行かない。

 死線の中にありながら、押し切れない歯痒さ。しかしこの拮抗が崩れ去る予兆もまた、既に表れ始めていた。


「ハァッ、ハァッ、クソッ⋯⋯」

(う。やばい。なんだ。さっきから、息が⋯⋯やけに乱れるな⋯⋯)


 ヒイロの身に異変が訪れていた。

 大量の脂汗と激しい息切れ。身体が上手く動かない。鈍化が思考にまで伝播している。襲い掛かる膨大な疲労感に、もしやゼツかイギーに何らかの状態異常(バッドステータス)を付与されたのかとヒイロは疑う、が。


《うーん、ちょっとまっずいかも》

(ま、まずいって。俺、あいつらに何かされてるのか?)

《違うかな。もっとシンプルな理由⋯⋯"スタミナ切れ"だよ》

(⋯⋯す、スタミナ切れ!? ど、どうしてだよ。今も心臓はフル回転中なんだろ?)

《それで魔素をうんと作り続ける事は出来ても、体力自体を回復なんて出来ないよ。ボクもちょっとマスターの体力バカっぷりを過信し過ぎたかも。ただでさえ今日は昼間もド修羅場だったのに、そこに魔人モードなんて慣れないことしたら、流石に体力も底をついちゃったのかな⋯⋯》

(⋯⋯)


 いつになく余裕のない凶悪の説明に、ヒイロは泡を食って狼狽した。だが冷静に考えてみれば当然の理であった。気力や精神耐性こそ異常なヒイロだからこそ、凶悪のもたらす様々な負荷をほぼ無視する事が出来た。しかし体力は別である。

 無論、ヒイロがスタミナが無いという訳ではない。むしろ日々の異常な鍛錬により、スタミナ量は常人の遥か上を行くだろう。

 しかし、昼間。聖冠獣相手に大立ち回りをしたツケは思った以上に多かった。そこに加えてゼツという強者と繰り広げ死線。強力だが不慣れな魔人モード。体力が尽きるのは当然といえた。

 この場合、精神面がタフ過ぎたのも要因だろう。想像を絶する痛みや苦しみでさえ折れない精神の強靭さは、裏を返せば非常に鈍感なのである。現に凶悪に指摘されるまで、自分の身体の限界にも気付けなかったのだ。


(⋯⋯なぁ。それって、つまり⋯⋯)

《うん。今、ほんっとうにピンチかも》


 告げられると同時に、ヒイロは膝をついた。必死に動かそうにも、力が入らない。精神よりも先に身体の限界が訪れていた。

 まさに絶対絶命の窮地。日頃思い浮かべる主人公補正や特異な勘違いすら過ぎらない程に、ヒイロは焦燥の果てに在った。


「⋯⋯えっ? だ、ダーリン? どないしたの?」


 そんな彼の異変に、対峙する者達もピタリと足を止めた。

 ゼツは今までの恍惚が嘘の様に狼狽した。悦楽の彼方に浸っていた彼女からしてみれば、冷水を忍ばれたようなものである。動揺を隠そうともせず、幾度も斬り掛かったその手を今ではヒイロへと伸ばそうしていた。


「何がなんだか分からねえが⋯⋯チャンスってやつだ!」

「イギーはん?」


 だが、イギーにはまたとない好機としか映らなかった。暗殺者たる立場を考えれば、無駄な足止めなど到底歓迎出来ない。その足枷を外せそうな機会が転がり込んで来たのだ。行動に移すのは誰よりも早かった。


「⋯⋯黒吐影」


 だがイギーの即断は悪手極まりなかっただろう。いわばヒイロは、舐めずる影がかつてないほどに狂乱させられた獲物だ。その執着もまた並ではないだろう。

 故にゼツは尋常ならざる殺気を放ち、怜悧な殺人者の顔で黒刀を握り締めた。切っ先を向ける標的が、ヒイロではなくイギーであったのは言うまでもない。


「────なんやの、あれ」


 しかし。

 この場において誰よりも幸運だったのは、イギーだった。

 もしゼツが片腕を負傷せず、万全の状態であったなら。

 もしゼツがヒイロの異変により僅かな理性を取り戻せていなかったら。

 もしゼツの眼差しが、闇の奥から飛来する『巨大な炎の剣撃』を捉えることが遅れていたら。

 "本来辿る運命の様に"、イギーはゼツに斬り殺されていただろう。


「っっっ!?」


 結果、イギーは屍とならず。

 またその凶手がヒイロに届く事もなかった。

 ゼツが目にした巨大な炎剣の斬撃が、ヒイロを目前にして阻む様に地を裂き、焔の壁として立ち塞がったからだ。


「な、なんだ今のは。火吹き竜の魔獣でも出やがったのか!?」

「⋯⋯」


 現実離れした大火の刃を目にして、イギーが軽くパニックに陥る一方。ゼツの眼光は大火の根元を鋭く睥睨していた。

 やがて炎が鎮まり、暗闇が静寂を取り戻した時。凛とした乙女の声が、辺りに響き渡る。


「よりにもよって、このあたしを魔獣なんかと一緒にするなんてね。それだけでも万死に値するけど」

 

 夜闇を殺すかの様に、爛々と燃える紅き剣。

 暗きを祓うかの様に、夜でさえ煌めく灰銀髪。

 流星の如く現れた。美しく気高き出で立ちの、灰銀髪の戦乙女アッシュ・ヴァリュキリアである。

 火吹き竜などではない。

 しかし、間違いなく逆鱗には触れてしまったのだろう。

 

「⋯⋯あたしは、ソイツを死んでも死なせる訳にはいかないのよ。だから、アンタ達は──お望み通り、灰にしてあげる」



 戦乙女の宣告は、竜の咆哮にも勝るのだ。




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