133 緋色の魔人
アスガルダムの要人暗殺。内容を聞いて、つまらない仕事になるとゼツ・トロイメライは決めつけていた。
実際面白みもなかった。相方が混乱を招いてくれたお陰もあり、さして甲斐も労もなく目的を果たした。
あとは夜闇に紛れて消えるだけ。遠くから聖欧都くんだりまでやって来た割りには、スリルも歯ごたえもない仕事。途中で迫ってきた男もゼツの琴線にはまるで引っ掛からなかった。無味無臭を噛み転がしているだけでは何も満たされない。
ゼツの予想通り、この任務は退屈の一言に尽きた。
別行動中の相方と合流する道すがら。追われる身でありながら、月光に身を晒し歩いた。
物足りなさを月の光で潤したかったのだ。そのくらいに、心が渇いていた。
だからこそ、その出逢いはゼツの渇きを芯から濡らした。
外面は取るに足らない道端の悪人相。だが今までに無い『破滅』と『破綻』の匂いを香らせる男。その匂いを嗅いだ途端、リビドーの洪水がゼツを余計に狂わせた。
率直に云うのなら。
一目見ただけで、恋に墜ちた。
──ゼツ。このお兄さんの嫁になろ。
欲しい。愛しい。だから殺し合おう。今直ぐに。
もはや相方との合流など、ゼツの頭の中には無い。
殺し合いの方も上々だった。ゼツの腕に並ぶには未熟な所もあるが、トリッキーな戦法はゼツの心を悦ばせた。履き違えた劣等感を持っている事は不満だったが、ゼツには彼の師の思惑が感じ取れていた。
恐らく『真っ当』な人格だったのだろう。この男の危険な才覚を目覚めさせない為に、あえて劣等の烙印を押した。そんな所か。
もったいないと嘆くと同時に、震えていた。ただでさえゼツを狂わせるこの男の封を剥がした時。一体どうなってしまうのか。
片膝をつきながらも鉄塊を支えに、ギラギラと狼眼を光らせる男の眼差しに射抜かれて。ゼツはトキめいた。
欲情を滴らせ、舌を舐めずり。乙女のように胸を高鳴らせた。
「──が、ァ」
そして遂に、男の気配が一段変わった。
胸に作った一閃傷の血が固まり、よろめきながら立ち上がる。すると変化は気配のみならず、明確な外観まで及ぶ。
男の頬に入れ墨めいた血の罅が走り、悪人相が一層凶悪に。そして支えにしていた鉄塊の先端に、見るみる内に大量の血が集う。ゼツの目には、蛹が蝶に孵るようにさえ映った。
「あ、はぁ⋯⋯!」
やがて結集した紅が『とある形』になった時、ゼツは嬌声を挙げた。興奮のあまり血が出るほど人差し指を強く噛むも、ゼツは意に介さない。
もはや痛みすら極上の快楽に置き換わるほどに、目の前の存在に魅入られていたから。
「嗚呼。なんなんもう。あかん。そんなんあかんよダーリン。そないな姿見せられたら、ゼツ、下着が幾つあっても足りひんえ」
「下品過ぎんだよテメェ」
「ダーリンが素敵過ぎるせいやんな。だって、まるでその姿──紅い色した死神やえ。あはぁ。たいっへんよろしやすなぁ⋯⋯!」
血化粧を纏った悪人相が握るのは、己が血で出来た【緋色の大鎌】である。
その威風。気配。凶悪な出で立ち。まさしく死神であった。
琴線に触れるどころではない。握り潰しかねない程に、ゼツの眼には美しく映る姿であった。
「えふふふふ。やん、もう我慢出来ひんっ。もっと、もっと、もっと! たぁんと愛し合おうなぁ、ダーリン!」
「そういうことは⋯⋯一つでも我慢してから言えやアバズレがァァァ!!!」
もはや居てもたってもいられない。興奮で昂ぶったままゼツは斬りかかり、ヒイロもまた大鎌を手に腰を落とす。
ゼツの勢いは弾丸さながら。牽制もフェイクも入れず、直線のまま繰り出す唐竹割り。それをヒイロはぐるりと遠心を纏わせた薙ぎでもって迎え撃った。
「オラァッ!!」
「っつつ!?」
ぐわんっと衝撃がゼツを貫いた。
冷徹な剣才は唐竹割りよりも先に鎌に切り裂かれる未来を弾き出し、振り下ろしの軌道を薙ぎを防ぐ方へと沿わせた。そうなると力比べではヒイロに軍配が上がるだろう。しかし、軍配が上がるどころではなかった。鉄塊から鎌へと得物が変わったと同時に、馬力もまた一段二段上がっていたのだ。
結果、ゼツは球のように弾き飛ばされ、地を転がった。
「ナメんなァ!」
本能に身を委ねたが故のゼツの突進を、ヒイロは侮られたと取ったのか。怒りを滲ませたまま殺到し、追撃を仕掛ける。
「⋯⋯【影楼】」
だがゼツは再び影を身に纏い、影の沼へとボチャンと溶けた。先程の奇襲を今度は回避に用いたのだ。
追撃の大鎌の軌跡が空を切る。さらにヒイロの背後で水音が鳴れば、彼もまた先の奇襲を予測したのだろう。振り向きざまに背後を薙ぎ払ったが、そこには闇しか無かった。
「えふふ」
再び、背後で水音が鳴る。ゼツは潜ったその場から移動をしてはいなかった。フェイクを入れたのだ。警戒の裏をかく事で、動かぬままにヒイロの背後を取った。
官能的な舌舐めずりを一つ響かせて、ゼツは刀を振る。今度もきっと綺麗な紅が闇に咲くと信じて。
「──」
「はえ?」
しかし刃は届かなかった。
完全に背を向けたまま、大鎌を握る腕のみが後方へと伸ばされ、ゼツの奇襲を防いで見せたのだ。
ゼツの瞳が丸くなる。まるで後ろに目がついているような反応。いや、違う。ゼツの才覚が囁いた。違和感はそこじゃない。
今の挙動は、何かに強制された動きだった。それこそ一瞬だけ、ヒイロ本人ではない誰かが無理矢理片腕を動かしたような。
(ダーリンじゃない?)
違和感に気付けた才覚の鋭さ。だが時としてそれは仇ともなる。刀を受け止めるヒイロの鎌。その刃先から刃毀れの如くぽたりぽたりと血が落ち、ゼツの足元の地面を濡らした事に気付くのが遅れたのだ。
「凶悪ゥッ!」
「あうっ!?」
しかし仮に気付けたとしても、反応し切れたとは限らない。まるで黒吐影のお株を奪うように、地に落ちた血が矛となって伸び、ゼツの片腕を貫いたのだ。
意識外からの仕掛けに軽くない傷を負ったゼツは、たまらずその場を飛び退いた。
「はぁっ、はぁっ⋯⋯はぁぁっ。奇遇やねぇ。こっちは【影】で、そっちは【血】を操る白持ちやったなんて」
「あァ?白持ち?」
「白い魔獣はんなんやろ、その得物。能力が似通るなんて、ちょっと予想外やったなぁ。ダーリンにキズモンにされてしもた。えふ、えふふふ」
「⋯⋯⋯⋯気色悪ィ」
片腕をほぼ使い物にならなくしたというのに、心底幸せそうなゼツの態度。たまらずげんなりとするヒイロだったが、彼の心を削る要因は目の前の女の狂い具合のみにあらず。
《マスターのへたっぴ! 心臓狙えば一発だったのにぃ!》
(いきなり血を操るイメージなんて正確にやれるかって! というか今のは肩を狙ったんだから結構惜しかったろ!)
《なんでさ。こんな手合いはさくっと殺した方が後腐れないよ? ひょっとしてさっき致命傷狙い云々の話、気にしてんの?》
(ぐっ。まぁ無いわけじゃないけど⋯⋯それ以上に通り魔事件の犯人なんだから、とっ捕まえてシドウ隊長に引き渡すのがベストだろ)
内から響く凶悪の言葉は、耳にも頭にも痛い。物理的に。
ヒイロの内部に潜ませた凶悪の血を暴れさせる荒業は、優れた精神耐性さえ貫通して苦しめていた。今のヒイロはステータスの一段上昇と血を操る権能を持つが、悍ましいほどの頭痛に襲われている。それでも表面上は我慢出来ている時点で、充分異常であったが。
《悠長だねえ。でもこのモード⋯⋯あー、魔獣と人の共演だから【魔人モード】ってとこかな。とはいえボクの血がまだマスターの中で馴染みきってない以上、長期戦は無理だよ。ボクもマスターも慣れてないせいでコントロールだってブレちゃってるし、高望みは程々にね?》
(【魔人モード】ってさぁ、悪役っぽいネーミングなのは勘弁して欲しいんだけど)
《このボクを振るっといて今更なにさ。愚痴はいいから、ちゃっちゃと倒す!》
(あいよ)
緊張感を欠いたやり取りながらも、大鎌を構える姿は人魔一体の狂戦士。薄緑色の眼光は油断なく敵を射抜き、激しく月夜を殺到したその時だった。
《マスター、右!》
「あァ!?」
蛇のような軌道鎖付きの分銅が、側頭部目掛けて飛んできたのだ。咄嗟に屈むヒイロの目の前を突き抜ける。凶悪の感知がなければこめかみを撃ち抜かれていただろう。
闇討ちの鋭技。すぐさま軌道を追えば、細い木の裏。暗い緑のグリーンフードを被った男が、鎖鎌を手に舌を打っていた。
「ちっ、今のを避けるか。嫌になるぜ全く。珍しく順風満帆に事が進んだと思えば、最後の最後に落とし穴かよ。勘弁してくれ。俺は番狂わせってやつが大嫌いなんだ」
「⋯⋯テメェは」
「いつまで経っても来やしないと思えば、こんなとこで道草食いやがって。ほんっとお前さんと組まされると胃が保たねえぞ、舐めずり!」
「あらら。せわしないなぁイギーはん」
暗がりに潜む者は、ここぞという好機にこそ足を掬う。
ここに来て新手の増援である。闇討ちこそ失敗したが、凶悪の新技によって傾きかけた流れは、ここに再び元の形に戻る。
ヒイロの頬を、冷たい汗が一筋伝った。




