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129 夜燈に継ぐ夢灯


 自分の事は、自分が一番良く分かってるものだ、って。

 きっと誰もが一度は聞いた事がある文言で、まあそりゃそうだろうって話だ。馬鹿な俺にだって分かる理屈だ。

 でもそうとは限らない、って話もある。

 自分の事ほど分からない時だってあるもので、得てしてそういう時こそ周りの方が状態に気付けるんだって。例えば無理をしがちな奴こそ、そういう状況に陥るらしい。あれ、なんかちょっと耳が痛い。


 でも不思議だよな。

 時と場と角度が変われば、途端に"そうであるもの"が"そうでなくなってしまう"のだから。月並みにいえば、正義の反対は、ってやつとかね。

 なんて仰々しく逸れた事まで言ってみるけども、要約すると今の俺の心境は、以下の一言だった。


「⋯⋯眠れねえ」


 困ったことに眠れないのだ。目を閉じてどれだけ時間が経ったのか。夜はすっかり真と中の間に滑り込んでしまっているのに。

 どうしてなんだろうな。自分の身体の事だけど、理由はちっとも分からない。

 サラにも言ったように、身体はちゃんとクッタクタだ。寝っ転がるだけで、じんわりと力が抜けていくほど。感じ慣れた疲労感は嘘じゃない。

 なのに目は冴えていた。ついでに頭も。


(⋯⋯はぁ)

《もーうるさいなぁ。これで十四回目の溜め息だよ。おかけでボクも寝られないじゃんかー》

(あ、悪い悪い⋯⋯って、いちいち数えてたのかよ)

《マスター、どうしちゃったのさ。いつもなら寝転ってすぐスヤスヤ眠っちゃう癖に、今日に限って》

(俺が聞きたいよ)


 あれこれ考えていたせいか、凶悪の安眠妨害もしちゃってたらしい。でも抗議というよりは、気味悪さが勝ってるのか。少し心配する素振りさえ見せる凶悪だった。


「⋯⋯」


 ひょっとしたら、急ぎ過ぎた弊害なのかもしれないと。暗闇に慣れた目で天井を見ながら、思い浸る。

 思えばこっちに来てからというもの、突っ張って、突っ走っての日々だった。

 騎士になるまでのこと。なってからのこと。

 コルギ村の異変。ルズレーとの衝突。ジオーサの復讐。そして昼間の騒乱。指折り数えれば、息も詰まりそうなほどの連続イベントだ。

 だからこそ、この急に立ち止まるような休息に身体が驚いてしまってるのかも。


「⋯⋯フン」


 なんてセンチメンタルに捉えてみた所で、似合わなさ過ぎるよな。寝られない理由も大方、医務室で眠り過ぎたせいだとかそんなとこだろう。

 なんだか真面目に考えてる自分が馬鹿らしく思えて、むくりと上体を起こした。すると少し離れた所から、聞き慣れた寝息が耳に届いた。 


「すぅー⋯⋯くぁー⋯⋯」

(気持ち良さそうだことで)

《キャラ的に逆だよね》


 眠れない俺と対照的に、ぐっすりスヤスヤなクオリオ坊ちゃんである。

 腹立つぐらいの快眠ぶりだ。他人の家だと眠れませんとか言いそうな癖に。実は色々図太い奴だよな。


「チッ。どうするか⋯⋯」


 クオリオはさておきだ。

 どうしようね。目も頭も完全に冴えている。これじゃもっかい寝転がってみた所で、溜め息を数える凶悪の苦労が積もるだけだろうし、と。

 手持ち無沙汰に見渡して、テーブルの上に視線が留まる。

 白い一輪の花だった。サラに頼まれて送った奴だ。瓶に活けられた花弁が、淡い月光を浴びて白く輝いていた。


「⋯⋯」


 いっそ散歩でもしようか。気晴らしがてらには丁度良い。

 静かに戸を開けて、静かに閉める。扉一枚越えただけなのに空気が澄み切ったように感じた。夏は夜でも暑いのはこっちの世界でも変わらない。けれども今宵は不思議と肌寒いくらいだった。


《おやまあ。真夜中の散歩なんて、雅だねえ。マスターらしくないや》

(余計な御世話だよ)


 確かに柄じゃないけどね。でもそんな気分なんだから仕方ない。凶悪にまた溜め息を数えさせるのも悪いし。







「⋯⋯はぁ。眠れないじゃないの」


 嫌気が差したような溜め息が、窓硝子を曇らせる。

 ベッドの上で膝を抱えながら窓の向こう、シュラは大きな月を見上げていた。ヒイロの様に夢から半端に醒めた訳ではない。彼女は最初から眠る事が出来ないだけである。


「⋯⋯」


 月から降りた視線は大きめの枕に移る。誰のものかは今更言うまでもない。何度か寝転がった形跡か、フカフカの布地は少し凹んでいるままだ。


「⋯⋯はぁ」


 もう一度、シュラは深い溜め息を吐いた。ついでに頭を抱えた。眠れない。何度かこのベッドに横たわってみたものの、どうしても気恥ずかしさでガバっと起き上がってしまう。その繰り返しで、眠れないのだ。


「なんでよ⋯⋯」


 しばらく使われていない上に、サラがキチンと清掃しているからだろう。枕からもベッドからも、別に残り香もしていなかった。だがそれでも気にならない訳ではないのが難しい所で、シュラ自身にも理解出来ていない所だった。

 だから益々、落ち着かない自分が滑稽に思えてしまうのだ。


「⋯⋯アッシュ・ヴァルキュリアがなんてざまよ」


 今まで眠れなかった事など、滾る魔獣への憎しみと討った時の生々しい感触に付きまとわれた時だけである。なのにこのベッドは寝転がると、持ち主の顔や言葉がぼうっと頭を過ぎってしまう。それだけならまだ良い。そうしていると、胸の奥が痛んで、泣きたくなるのだ。シュラにはどうしようもなかった。


「⋯⋯あの馬鹿。女の髪に勝手に触るんじゃないわよ」


 星冠獣の干渉によって心が掻き乱された時の記憶が、シュラには残っていた。奪わせない。信じろ。たった二つの言葉と共に優しく触れた男の掌。

 まるで消し方の分からない灯りだった。悔しさと切なさが込み上げるから、灯る微熱を月光で冷ますのだ。


「アタシは、アッシュ・ヴァルキュリア。護られるだけの女なんて、願い下げなのよ」


 嫌だった。あの背中に全てを預けるなんて。

 信じるのは良い。頼るのも良いだろう。けど背中を見つめるのは嫌だった。隣に立たなければならなかった。


『だから。いいか、アッシュ・ヴァルキュリア。

 その時は、テメェが俺を斬れ』


 ヒイロとの約束を忘れてなどいない。

 けれどあの時、自分自身に誓ったはずだ。果たされる事のない約束にするのだと。

 だから悔しかった。今日の戦いで自分は何も出来なかった。それどころかヒイロに、敵前で背を向けさせた。体たらくとしか言いようがない。


「⋯⋯」


 シュラは再び、力が欲しいと願うように月を見上げる。

 今と昔。

 出会う前と後。

 皮肉なことに、必要な物は一緒だった。


「!⋯⋯ヒイロ?」


 そんな折、視界の端に映った赤茶色に心臓が跳ねた。

 閉じた窓の外。闇の中を灯り火の様に歩く男に、呼び声が口をつく。すると聞こえるはずもないのに、ヒイロが振り返ろうとする気配を察知したシュラは、思わず屈んでしまった。


「くっ。なんでいちいち隠れてるのよ、アタシはっ」


 別に疚しい事などない。なのに今、目が合う事をシュラは恐れた。どうしてかは分からない。感情を持て余す歯痒さを覚えながら、シュラはこっそりと窓の外をうかがった。


「⋯⋯アイツ、こんな時間からどこ行くつもりよ」


 小首を傾げながらも向き直ったヒイロは、再び夜闇の中を歩き出していた。淀みない足取りからして、寝惚けている訳ではないのだろう。一体どこに行くつもりなのか。

 よもや真夜中に誰かに会う予定があるはずもないだろう。


「⋯⋯どうせ散歩か何かでしょ」


 あんな粗暴な男に、人目を忍んで会う様な相手がいるはずもない。寝付きが悪かったとか夢見が悪かったとか。ヒイロの事だ、そんなオチなのは目に見えている。

 しかし、もし誰かと会う予定だったとしたら。

 一度考え始めると、答えを知るまで止まらないのが人の(さが)である。

 


「⋯⋯ああ、もうっ。馬鹿が感染(うつ)った!」


 結局それから十分近く、ああだこうだと悩み終えた後。

 もうとっくに背中も見えないヒイロの後を追いかけて、灰銀色の乙女は窓から真夜中へと飛び降りたのだった。




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