124 遠き星座をその手で掴め
「ずオォァァァ!!!」
声を出すってのは大事だ。投げる、打つ、持つ、走る。運動に合わせて叫ぶと叫ばないじゃパフォーマンスは変わる。これは俺でも知ってる様な有名なサイエンスだ。だから叫んだ。
(凶悪うぅぅぅ!!!)
心も叫んだ。むしろ泣き叫ぶ勢いだった。
結界に踏み入って僅か数歩目で、もうぶっ倒れそうなくらいドレインがヤバい。
《はーいはい、ハートをフル回転でゴー》
──ドクンッ!
俺とは正反対に気の抜ける声だが、凶悪はちゃんと仕事をしてくれた。チェンソーを点火した様に、爆音を立てて心臓が跳ね回る。口の中ではどこも怪我してないのに、血の味がした。
だがおかげで足は死んでない。走るというには少しぎこちないけども、確実に奥へと進めている。エントランスの本棚を越えて、中間地点の階下を潜って、奥の祭壇がはっきりと見えた。
祭壇の後ろには巨大なステンドグラスがあったんだろう。何かの余波か、祭壇の真後ろの部分はバラバラに砕けていて、破片が祭壇周りにまで飛び散っていた。
「チッ、とんだ行儀の悪さだぜ。図書館では無闇に人気絶させんなって学ばなかったのか天秤野郎!」
【────】
散々苦労させられたからか、たまらず飛び出した暴言だだたが、返事はない。事の元凶たるライブラ:REはただ不気味に緑閃光を発するだけだった。
「ずッ⋯⋯⋯⋯ンだ、今のは⋯⋯」
しかし、祭壇まで後5メートルという所まで辿り着いた時、奇妙な異変が通り過ぎた。耳鳴り。頭痛。目眩。まるで風邪の初期症状みたいな怠さが一斉に襲いかかって来る。
でもこれ程度耐えられないものじゃない。痩せ我慢で充分流せる程度の障害だった。
《ま、この凶悪ちゃんの汚染も効かないんだもん。こーんな天秤なんかにグロッキーになられちゃボクの格が下がるって話だよねえ》
(なにいきなり言い出してんだ? なんか嬉しそうだし)
《鈍感マスターはお気にならさずー》
(⋯⋯?)
何故か明るい声色の凶悪はともかく、ひょっとしたら今のがクオリオの言ってた『二段目の精神汚染』だろうか。だとしたら拍子抜けなんだけど。
さてはクオリオ、俺をビビらせようと話盛ったか? そういうタイプじゃないんだろうけど、貴重な茶目っ気だったりして。
まあいい。障害にならないなら遠慮なく踏み込ませて貰おうと、更に祭壇に近付いた俺だったが。
【────】
「っ!!」
天秤の周囲に、突如四色の光球が浮かび上がった。
そのただならぬ変化に警戒すれば、四色の光球がそれぞれ姿を変える。
赤色が火炎に。青色が水氷に。
黄色が岩土に。緑色が風刃に。
変わって、それでハイおしまい⋯⋯な訳がないよな。
【──gnome】
「づおァ!?」
案の定だよ。何かノイズが響いたと思えば、浮かんでいた四色の内、黄色の岩土が弾丸の如く突っ込んで来た。警戒してただけあって上手く凶悪で弾けたけど、すぐさま次弾が迫るのが見えた。
【──Undine】
「うおおっ!」
お次は青の水氷。だが岩土とはちがって水氷は曲線を描き、側面から迫り来る。トリッキーな軌道はまるで蛇の様で、捌けはしたものの重心が傾いてしまった。
【──sylph】
「ぐっ、がはっ」
そして緑の風刃。再び一直線に飛来するが、風だけあってスピードが半端じゃない。気付いた時にはもう目の前。凶悪でガードするも、受け止めた際の衝撃で体勢は完全に崩れた。
【──Ifrit】
「⋯⋯!」
(まずいっ)
だから、赤は決定打だ。グルグルととぐろを巻く火炎は、鋭い爪となって俺を食い破らんと襲いかかる。
ヤバい、間に合わない。迫る赤爪。前髪がチリ、と音立てる。咄嗟に本を背で庇おうとするが、その瞬間。
俺の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「やらせるかぁぁぁぁ!!」
「でええええぇぇぇい!!」
言葉が届き、持ち主は俺を追い越して。
今にも触れそうな火の爪を、刃と鉄球の合わせ技が掻き消した。
「シュラ、シャム!? なんでテメェらがっ」
「アンタが、ひとりで、馬鹿してるって聞いたからっ」
「此処まで来れたのか? 結界は!」
「全速ダッシュで何とかねー。で、でも、これきっつい。やば、もぉ立てないかも⋯⋯」
まさか俺のピンチのシュラとシャムが駆け付けてくれたのか。あの結界の中をダッシュって、俺が言うのもなんだけど相当脳筋だぞ。気合すげえな。お陰で助かったけど。
でも心臓フル稼働状態の俺と違って、二人は魔素が吸われる一方だ。尋常じゃない汗の量と真っ青な顔を見れば分かる。シュラもシャムも既に限界が近いのだと。
「──、ぅ、ぁ⋯⋯魔獣⋯⋯ぁ、ァァ⋯⋯」
「い、あ、あ⋯⋯うわあああああ!!!」
「ッ!?」
(なんだ、急に二人の様子が⋯⋯)
だが限界よりも先に異変が訪れた。
まだ辛うじて残っていた余裕さえ取り潰されたかの様に、大きな悲鳴を上げながらその場に蹲まってしまったのだ。仲間に起きた急激な変化に狼狽えたが、原因に心当たりがない訳じゃなかった。
「やだ、なにこれ、こわい、恐い、こわい、あ、うあああっ──、⋯⋯⋯⋯」
「魔獣、魔獣⋯⋯アタシの⋯⋯殺して、やるッッ!」
「チッ。これが精神汚染ってやつか⋯⋯!」
《あーあ。貧弱メンタルはこれだから》
クオリオの忠告してくれた結界二段目の弊害が、二人に襲いかかったんだ。プツンと糸が切れたみたく、意識を失ったシャムはまだ良い。だが問題はシュラだ。這いつくばりながらも、シュラはその目に憎しみを滾らせている。
過酷な負荷と汚染に呑まれながらも、並外れた激情を燃やして天秤を睨みつけていた。
「⋯⋯また、アタシから⋯⋯奪おうっていうの⋯⋯!」
【!──Yu──L──?】
久しく見ていなかったシュラの原点。魔獣を狩るアッシュ・ヴァルキュリアとしての怨念が、星冠獣の結界を凌駕しようとしてるのか。
チリチリと、シュラの周りに火花が散る。
赤い色した灰が舞う。燃焼した空気が赤い軌跡となって、シュラの周りを渦巻く。その光景が、俺にいつかの廃孤児院での終幕を思い出させた。
(⋯⋯っ!)
全てを呑み込む様な赤い光。あんなもんを此処で発動されたら、それこそ全てが燃え尽きる。
そんな罪、こいつにみすみす背負わせてたまるかよ。
「────シュラ」
「!」
俺は、天秤をシュラの視界に映さないように彼女の前へと片膝をついて。そして、なるべく優しく頭に手を置いた。
「なんで、止めるのよ⋯⋯アタシの、邪魔を⋯⋯」
「ばぁか。テメェがトチ狂って俺様の活躍を横取りしようとするからだ。そうはいかねえぞアッシュ・ヴァルキュリアさんよ」
あの孤児院でのシュラの錯乱ぶりは、まるで癇癪を起こした子供だった。だからだろう、無意識ながら幼い子供に言い聞かせる様な声色になっていたのは。
「⋯⋯だって、魔獣が⋯⋯魔獣は、アタシから、全部奪って⋯⋯」
「奪わせねえよ」
だが、これでいい。
不安に呑み込まれた心を安心させるのが、ヒーローにとっての大事な仕事なのだから。
──仮面ヒーロー⋯⋯見参!
やあ少年。私が来たからにはもう安心だ!──
「信じろ」
「⋯⋯⋯⋯、────ぅ、ん」
ひと撫でしてポンポンと頭を叩けば、憎しみに燃えていた瞳が閉じた。渦巻いていた狂い火が音もなく消火していく。
限界を迎えたか、俺に託してくれたのか。後者だったなら、少しは面目躍如かな。
《ちぇっ。今度の花火はもっと派手だと思ったのに》
(はいはい、悪趣味は程々にな)
《むぅー》
面白くないと悪態をつく相棒を適当に宥め、眠りについたシュラを背に正面へ。予想外のトラブルが起きはしたものの、目的は変わらない。
ヒーローのやるべき事は、常に真っ直ぐだ。
「よう天秤野郎、待っててくれたってか? 急にお行儀が良いじゃねえか」
【──Y──Li──】
「⋯⋯あァ?」
(⋯⋯ん? なんか、少し大人しくなった?)
本当なら会話の途中で四色球が飛んで来てたっておかしくなかった。それなのに何もしなかった天秤だが、まさか空気を読んだって訳じゃないだろう。
だがこうして再び向き合っても、何故かライブラ:REはあの四色球を浮かべる事もなく。奇妙なノイズを発しながら、緑色の体線を明滅させてるだけだった。
(⋯⋯)
しかし、結界の負荷は途絶えてない。つまりはエーギル・ライブラリの危機は絶賛継続中だ。
やるべき事はなにも変わってない。むしろこれは絶好のチャンス。見逃す手はない、と。
些細な違和感を振り払うように、俺は祭壇へと一気に距離を詰め、そして。
「⋯⋯年貢の納め時といこうや」
【────】
長いようで短いような道のりを経て、ようやく天秤に手が届いたのだった。
◆ ◆ ◆
その光景を目にした時、クオリオは絶望の余り膝を折った。
「そんな⋯⋯」
視界の奥、祭壇の上。ライブラ:REの片皿。
自らが託した本をヒイロは受け継ぎ、艱難辛苦の果てに見事届かせた。だから彼には何の過失もなかった。あの無茶苦茶な友人はベストを尽くしたのだ。
「⋯⋯僕の、ミスだ」
スノリィのエッダ集を受けた天秤が揺れる。
揺れて、揺れて、止まって──僅かに吊り合わなかったのだ。ほんの僅かに重さが足りていなかった。
確かにクオリオは保証しなかった。吊り合うとは限らないと。当然だ。事前に直接重さを量った訳でもない。ましてエーギル・ライブラリの何千という本の中から、ほぼ同じ重さの一冊を探し当てた時点で偉業であった。
「⋯⋯っ」
しかし、そんなものは本人にとって何の慰めにもならない。クオリオの膝を折ったのは、自らへの失望だった。ヒイロも流石に限界だろう。間もなく星冠獣に蹴散らされてしまう。
そんな光景が目に浮かんで、自責の念のあまりにクオリオは床を睨む事しか出来ない。
だから、彼だけは気付くのが遅れた。
────て、天秤が⋯⋯止まった?
「⋯⋯え?」
誰かの呆然とした呟きに、顔を上げれば。
視界の奥。祭壇の上。ライブラ:REの両皿は、綺麗な水平を作っていた。
つり合ってる。どうして。足りなかったんじゃないのかと、幾つもの疑問符が脳裏に浮かび上がる。
しかし、己が目で『片腕から血を流すヒイロ』と『赤く染まった天秤の片皿』を見れば、答えは一目瞭然だった。
「まさか⋯⋯自分の『血』で微調節したのか?」
ヒイロの血に塗れた腕には、割れたステンドグラスが握られていた。恐らく掌を深く裂いたのだろう。とめどない鮮血が指先を伝って、祭壇の床に広がっている。
つまり、彼は足りない分の重さを自らの血を捧ぐことで補ったのだ。
「は、はは⋯⋯本当に無茶苦茶な奴だ」
へたり込みながら、クオリオの零した減らず口。
到底囁きが届くような距離ではない。
「言ったろ?」
しかしまるで聞こえたかの様に、ヒイロはニヤリと表情を歪ませて。
血染めの腕を天に突き上げる。
「無茶で無謀が、このヒイロの花道よ」
紅き勝鬨だった。
満身創痍の血塗れの悪人相。
お伽噺の英雄とは、到底かけ離れた姿。
だがその背は微塵も曲がらず、勝利の星を掴んでいる。
割れんばかりの歓声が、エーギル・ライブラリに轟いた。
.




