122 ブラッディ・エンジン
「次ですっ。左から数えて六番目、手前から四番目の本棚の女性にいきます」
「よし、来やがれ!」
「はいっ──『シルキーの献身』」
もう何人目になるだろうか。
リャムの合図に従い、誘引された利用者をまた一人受け止める。利用者を入口付近に並べて、また元位置に戻って、でワンセット。これを何度も繰り返している。
気絶した人間ともなれば、受け止めて運ぶ一連の動作も結構な重労働である。けど日頃の鍛錬の成果もあって、俺にとっては大した苦労じゃあない。
ま、例えキツくても意地でも我慢してたけど。なんせ連続詠唱の消耗で肩で息しながらも、弱音の一つも吐かない華奢な少女が居るのだから。
「はぁ、ふぅ⋯⋯」
「そろそろヘバッてきたか?」
「だ、大丈夫です。まだいけます」
「良い根性だ」
男顔負けなガッツを示すリャムの頭をポンと叩きながら、俺はチラっと入口の方をうかがう。
図書館の入口では人集りが出来ていた。まあこれは仕方ない。こんな異変が起きてて、誰も気付かない方がおかしいんだ。それに、人集りは騒ぎに対する野次馬も多いが、救助した人達を介抱してくれてる者も居た。まだ酷い顔色だが、直に回復するだろう。
「つ、次。階段支柱に居る騎士の方、いきます!」
「ぬぉッ」
ズシンとした衝撃に、思わず声が漏れた。
やっべ余裕ぶってる場合じゃないぞこれ。騎士甲冑込みの気絶した人はさっすがに重い。しかしこんながっちり装備の騎士まで居るなんて、調べものでもしてたのか。
「はぁ、はぁ⋯⋯これで一階に居た方々は全員、救助出来ましたね」
「あァ。良くやった」
「はぁ、ふぅっ⋯⋯で、でもまだ上の階にも何人かいるみたいです」
どうやらさっきの騎士で一階は最後だったらしいが、これで一段落ともいかない。上の階層にはまだまだ助けなきゃいけない人達が残ってる。
ある意味こっからが本番か。そう気合を入れて救助ポイントである二階層へと目を向けて、やけに見覚えのある黄色を見つけてしまった。
「⋯⋯あァ? おい待て、あそこの端っこの本棚に倒れてる奴は⋯⋯!」
「え⋯⋯? あっ。クオリオさん?!」
間違いない。手摺の硝子越しに横たわってる特徴的な黄色ローブと、緑色の長髪。クオリオだ。図書館に入り浸ってるって聞いてたけど、まさか居合わせてたのか。
「どうやらアイツもライブラリに来てたみたいだな。ったく、すっかりノびちまいやがって⋯⋯リャム、いけるかっ!」
「はいっ。あ、でも、ここから誘引すると硝子を突き破って大怪我させちゃうかも⋯⋯」
「チッ、軟弱坊っちゃんめ。怪我させたら後でギャーギャー喚かれそうだしな。どうにか位置を調整すっか」
「んっ。そ、それもそうですね」
怪我しながらも元気に俺に文句をいうクオリオを想像したのか、笑いを堪えつつリャムは同意する。とりあえず救出するなら硝子を割るか、位置を変えるかしないとだ。
「っ! な、どうして⋯⋯くうぁっ!」
「リャム!」
だが朗らかな空気は、突然苦しみだすリャムによって一変した。まさか連続詠唱の疲労が一気に来たのかと慌てて近寄ると、あの脱力感が再び襲いかかって来た。
「づおっ⋯⋯この感覚は⋯⋯!」
そんな馬鹿な。さっきまでは全然平気だったのに。
膝を付きそうになりながらも床を睨む。立ち位置を見誤った訳じゃないのに、結界の効果が働いてるって事はだ。
「チィッ、まさか結界が広がってやがんのか?!」
多分、結界が領域を拡大してるんだ。時間経過か、魔素の吸引対象が減ったからか。条件は分からないけど、とにかく今は緊急離脱だ。
蹲るリャムを拾い上げ、俺は入口側に転げるように飛び退いた。
「はぁっ、はぁっ⋯⋯ひ、ヒイロくん。ありがとうございます、助かりました⋯⋯」
「気にすんな。だが、これで悠長にやってる訳にはいかなくなったか」
「⋯⋯そうみたい、ですね」
まずいな。なんとか離脱は出来たけど、救助活動と結界の負荷でリャムはすっかりフラフラだ。顔色も真っ青だし、立つのもやっとって感じか。流石にこれ以上無理はさせられないな。
とはいえのんびり構えてもいられない。もし時間経過で結界が広がるとしたら、被害は図書館内だけに収まらなくなる。
「リャム」
「は、はい」
「お前はここで待ってろ。俺がクオリオのとこまで行ってくる」
リャムには入口側で自身の回復に務めてもらう。天秤をなんとかしたい所だがどう止めるかも分かんないし、クオリオもほっとけない。だったら此処は、俺一人で行くっきゃないよな。
「行ってくるって⋯⋯結界の負荷はどうするんですか?」
「考えはある。通用するかは分からねえがな」
「通用しなかったら?」
「んなもん後は気合一本よ」
「そ、そんな無茶な」
「無謀もセットでいつもの事だろ。もしもの時はシルキーで頼むぜ」
「⋯⋯⋯⋯うぅ」
もう腹は括った。そんな決意が伝わったんだろう。
伸びかけた手がパタリと落ちる。濃い悔しさを滲ませながら、リャムは竹箒を握り締めた。
悪いなと思うけど、今は急がなきゃだ。クオリオの位置を見やりながら、深呼吸を一回。
「ッし。そんじゃまずは⋯⋯『我が脚に空渡る銀の術を──【ヘルスコル】』」
「んで次⋯⋯『我纏う冷厳なる神の楯──【スヴァリン】』」
続けざまに唱えた白魔術二連。光の鎧と銀の羽靴。
これがあの結界内で作用するかどうかは分からないが、無策よりかは全然マシだろう。
「何かあったら、すぐに引き戻しますからね!」
「おう。任せたぜ」
待ってろクオリオ。今叩き起こしてやっからな。
リャムの心配混じりの後押しを受けながらも、俺は強化した脚力でもって、結界の境界線の一歩手前まで駆け寄って。
「────っ、だらァッ!!」
ダンと踏み込む一歩をバネに。
気炎を吐いて、一気に二階まで跳躍する。
走り高跳びの世界選手も真っ青な跳躍だ。一飛びで二階まで到達し、クオリオの元まで数歩の距離に着地出来た。
「ぎっ!? く、くそ、魔術が⋯⋯!」
しかし結界の効力は絶大だった。
大跳躍の為の羽靴も、魔素吸引を少しでも防ぐ為の鎧も一瞬で解除されてしまった。そして襲い来るドレインが、瞬く間に身体の力を奪っていく。
「ヒイロくん!」
「畜生ッ⋯⋯!」
気力を燃やすが、一歩、二歩と進んだ所で膝からガクンと崩れ落ちた。まずい、まずいぞ。結界の範囲だけじゃない。吸引力まで増して来てたのかよ。
(クソッ、目眩が⋯⋯このまま、じゃ、俺まで⋯⋯!)
元々大して魔素のない俺の身体じゃ、底がつくのも早かった。あっという間に目が霞んで、意識が白くぼやけていく。
リャムの悲鳴さえ遠退いて、いよいよ万事休すかと悔しさに打ちのめされた時だった。
────ドクンッ。
(⋯⋯え?)
心臓が鳴った。とても強く。とても近く。
耳の直ぐ傍で鳴ったかと思うほど大きく。
──ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ。
鼓動の大きさだけじゃない。とんでもない速さで、心臓が動いてる。まるで全力疾走した後みたいに、心臓が出鱈目に暴れていた。
けどそれは単なる異常に収まらず、予想だにしない効果まで齎してくれた。
(な、なんだこれ。魔素が。力が沸いて来る? 吸引が止んだ⋯⋯訳じゃないみたいだけど)
空っぽだった魔素が少しずつ回復してる。いや、回復してるけど脱力感も襲って来てる。吸引と回復が交互に来ている感じだ。決してコンディションが充分に戻った訳じゃない。
でも動ける。指の一本も動く気がしなかったのに、もう一度立ち上がれさえした。これなら何とかなるかも知れないと、希望が見えた時だった。
《寝起き早々に修羅場ってさぁ⋯⋯マスターったらほんと色んな意味で心臓に悪いよねえ》
爆音の鼓動の中でもくっきりと聞こえる、欠伸混じりの少女の声が響いた。
(きょ──凶悪! やっと起きたか寝坊助さんめ!)
《あはは。酷いじゃんマスター。こんなに面白そうな事になってるなら、もっと早く起こしてくれてもいいのにさぁ。 さては必死すぎてボクのこと忘れてたぁ?》
げっ。な、なぜバレたし。
いやいや今はそんなこと重要じゃなくてだな。
(⋯⋯やだなあ凶悪さん。俺が頼りになる相棒のこと忘れる訳ないじゃん。で、俺に一体何が起きた? 心臓がエグい感じに動いてるけど、凶悪の仕業か?)
《露骨な逸らし方だなぁ。ま、いいけど。んで、マスターの心臓フル回転はボクのお・か・げ。感謝してくれていいよん》
(はいはいありがと。けどなんでこれで魔素が回復してんだ?)
《前にぶっ潰した汗かき馬くんと同じ原理。生き物が一番魔素を宿してるのは血だからね。心臓を過剰に働かせて血を、つまり魔素をどんどん作ってるのさ。まぁ、脳筋マスターにはちょっと難しい話かもねえ》
(誰が脳筋か)
やっぱりこれは凶悪がやった事らしい。
心臓フル回転状態なんて滅茶苦茶身体に悪そうだけど、だからこそ気絶しなずに済んでる訳だ。いやどうやってそんな事出来てんのとか、そんな能力隠してたんかいとか、色々言いたい事はあるけども。
とにかく、首の皮一枚繋がった。ならまずは目先の目標達成に動こう。まだ若干ふらつきながらも気を奮い立たせ、俺はなんとかクオリオの元まで辿り着いた。
「っとにこの本の虫め、世話がやけるぜ⋯⋯⋯⋯あァ?」
普段は言ってくれる側のクオリオは、今はぐったりと横たわってる。その細い身体を抱えようとして、気付いた。クオリオの腕の中に、一冊の本が手放すまいと抱え込まれている。
「⋯⋯」
良く分かんないけど、アイツの大事なもんなら一緒に回収しとこうか。思巡は一瞬で、すぐに本ごとアイツの身体を抱え直して、二階の手摺から身を乗り出す。真正面の入口では、リャムが必死な顔で俺の名を呼んでいた。
「ヒイロくんっ!」
「リャム、やれ!」
「はいっ、帰ってきてください⋯⋯!
『シルキーの献身』!!」
よく我慢してくれた。
詠唱が完成すると同時に、硝子の手摺を飛び越える。
すると景色がぐわんと振れて、衝撃に襲われる。
だが重苦しかった結界の負荷は感じない。
それが救出成功の何よりの証だった。
「⋯⋯おかえりなさい」
「おう」
地面にビターンと寝転がりながらという、格好つかない姿であったけども。
ひとまずは、帰還を祝うリャムに親指を立てたのだった。
「わる、かったな⋯⋯せわの、やける、本の虫で⋯⋯」
「いや意識あったのかのよテメェ」
ついでに、ギリギリのとこでまだ気絶してなかったらしきクオリオに恨まれもしながら。
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