121 白衣の天使
風雲急を告げるというけど。空模様は変わらずとも、騒乱は駆け足と共にやってきた。
息を切らして危機を叫んでいたおじさんに、騎士だと名乗って現場に急行。場所はエーギル・ライブラリ。その館内は、異様な雰囲気に包まれていた。
「う、うぅ⋯⋯」
「⋯⋯ぐ、ぁ⋯⋯」
「ひ、ヒイロくん。これは⋯⋯」
「チッ。どういう事だ。どいつもこいつもぶっ倒れてやがる」
あちらこちらから届く呻き声。
国内最大級だけあって広く絢爛な図書館では、利用客の数も多い。だけどその利用者らしき人達が、エントランスから奥の方まで一様に倒れ伏している地獄絵図だった。
「おいおっさん、何が起きたか分かるか」
「いや、俺にも何がなんだか。丁度帰ろうと出口に来たら急に奥の方から悲鳴が聞こえたんだ」
「悲鳴だと?」
「あぁ。何事かと振り返ったら、今度は強い閃光がパッと光って⋯⋯そこからどんどん皆が苦しみ出して、倒れていったんだ」
「光、ですか。なにかの魔術が使われたって事でしょうか」
「⋯⋯」
状況を整理すべく、図書館の異変を知らせたおじさんに聞き取って見た所、原因はどうも曖昧だった。リャムの言う通りなんらかの魔術の仕業っぽいが、断言出来るだけの情報は無い。
だが奇妙な事に、倒れてる身体の殆どが入口を向いていた。まるで、奥にある何かから逃げ出そうとしているかの様に。
(奥の方っていうと⋯⋯あの一番奥の祭壇か?)
多分、奥側にこの異変の原因がある。
おじさんからの情報と直感に従って、奥の方に視線を向けてみた。
館内の作りはエントランスから奥までが突き抜けになってるらしく、入口からでも最奥まで見通せた。
そこには割れた窓枠を背に、何か祭壇らしきものがあった。図書館に祭壇って変な組み合わせだなと頭に過ぎりもしたけど、その祭壇に奉られている『何か』が目を引いた。
(天秤?なんでそんなもんが⋯⋯?)
祭壇の上に鎮座してるのは、ひとつの天秤だった。
此処って図書館だよな。なんで天秤なんか奉られてるんだよ。しかも右側の皿になにかの本が乗ってるせいか、片方に傾いているのも妙に気になるし。
「リャム。俺は奥の方を見て来る。お前はおっさんと此処で待ってろ」
「は、はい。気を付けてください」
多分、ただのオブジェクトではないだろう。もしかしたら今回の一件に絡んでるのかもしれない。そんな予感に促されて、俺は最奥へと歩き出した。
しかし、歩き始めて僅か十歩。
エントランスの三分の一ぐらいまで進んだ時に、突如身体に異変が訪れた。
「ぐおおっ!? くッ、こいつは⋯⋯?」
(なんだこの感覚。身体から力が抜けてるのか?!)
ガクンと体の芯がブレたかと思えば、尋常じゃない脱力感に襲われたのだ。まるで見えない管に繋がれて、体内のエネルギーを吸われていってる様な嫌な感覚。
反射的に、その場から入口側へと飛び退いた。
「ッ!⋯⋯⋯⋯?」
「ヒイロくん? だ、大丈夫ですか?」
「⋯⋯あァ。だが、なんだ今のは⋯⋯」
飛び退いたのが功を制したのか。不思議な事に、脱力感は途絶えていた。
傍から見たら様子が可笑しく映っただろう。小走りで近寄ってきたリャムに安否を確かめられるが、俺だって何が起きたかいまいち分からなかった。
(⋯⋯もっかい行ってみるか)
とりあえず、原因を探ってみないと話にならないな。
気を取り直して、今度はゆっくりと一歩一歩踏みしめ奥へと進んでいく。
するとある一定の地点に踏み入った瞬間、再びあの脱力感がやって来た。
「ッ!? ま、またこの感覚が⋯⋯!」
「ヒイロくん? さっきからなにが⋯⋯」
「来るんじゃねえ!」
「!?」
傍に寄ろうとするリャムを制して、一歩下がる。
そうすればまた脱力感が失せた。そうか。分かったぞ。これはいわば結界だ。
そんで、この感じ。こっから先に身体から欠けていってるモノも検討がついた。
「間違いねえ。魔素が吸われてやがる」
「魔素がですか?!」
「ああ。この床から奥だ。恐らくこっから先の範囲に結界みてえのが張られて、その結界内に入ると魔素が吸われちまうらしい」
「魔素吸引の結界⋯⋯? け、けどどうしてそんなものが図書館内で⋯⋯⋯⋯まさか!」
目に見えない癖に範囲内に入った途端、魔素を奪う。そんなえげつないトラップ、一体誰が仕掛けたっていうのか。
俺にない心当たりが、どうやらリャムにはあったらしい。
ただでさえ白い肌が不健康に青ざめていた。
「や、やっぱり⋯⋯」
「どうしたリャム」
「天秤が⋯⋯ライブラ:REが傾いてますっ! 多分、あの子が魔素吸引の結界を展開してるんです、ヒイロくん!」
リャムが指差したのは例の天秤だった。
マジかよ。あの妙ちくりんな造りの天秤が、こんなとんでもない事を仕出かしてるってのか。
「あァ? あの天秤が結界を⋯⋯ちょっと待て。するとアレは白魔獣か何かだってのか?」
「はい。アレは魔獣の中でも一線を画した力を持つ存在⋯⋯『星冠獣』なんです」
「んだと?!」
リャムが紡いだ呼称に、俺は驚愕した。
星冠獣っていえば、俺がクオリオに詫びる為に探し求めた図鑑のタイトルにもなった存在だ。いわく人智を越えた十二の魔獣のことをそう呼ぶらしいが、まさかあの天秤がその一種類だったとは。
巡り巡った因縁と鉢合わせて、場違いな懐かしささえ浮かんできた。
「なんでンな代物が図書館なんぞに⋯⋯いや、今はどうでもいい。要はアイツをどうにかしなくちゃマズイってことか」
「⋯⋯はい。けどヒイロくん、今は先に気絶してる人達を結界外まで助け出すべきじゃないですか?」
「あァ? どうしてだ。魔素切れで気絶してるだけなら、まず元凶を止める方が先じゃねえのか」
「簡単に止められるならそうするべきですけど、ライブラ・REは結界の中心です。近寄るなんてとても⋯⋯それに、気絶してる人達をこのままにしておく方が危険です」
とにかくアレを止めないと。そう逸る俺を止めたのは、いつになく冷静なリャムの言葉だった。
「魔素は私達にとって活力でもあります。魔素が空になると意識が途絶えるのは、身体を休ませることで体内で魔素を生成する為なんです。でもあの結界の中じゃ、生成した魔素もすぐに吸われてしまってます」
「⋯⋯なるほど、さっさと結界外に出さねえとやべぇな」
「はい。循環する魔素がない状態が長引けば、身体にどんな悪影響が起きるかわかりません。ここは救助を優先しましょう」
「⋯⋯分かった」
淀みない説明に頷きながらも、俺は小さな驚きを隠すので必死だった。普段の大人しくおどおどした一面ばかり見てきたから、こうも冷静な判断を下せるリャムの姿は新鮮だ。
俺もまだまだリャムの事を分かれてなかったらしい。頼りになる仲間の存在に、自然と口角が吊り上がった。
「⋯⋯だがどうする。ロープかなんかを投げて掴ませるにも、どいつも意識がねえ状態だ。無理矢理踏み入って、結界外にぶん投げるか?」
「いえ⋯⋯ここで私達まで結界内で気絶しちゃえば終わりです。だから結界に入らず、みなさんを助けます」
「言い切りやがる。出来んのか?」
「やってみます⋯⋯おいでっ、モクモン」
〈モクモック!〉
任せて欲しいとばかりに取り出したのはモクモンランプ。
間髪入れずに現れた紫雲の妖精は、既にその手にキーアイテムを手にしていて。
一目見て、なるほどと頷いた。
確かにあの魔術なら、結界外からでも救助出来る。
「『はやく、はやく、おかえりなさい』」
モクモンから受け取った白いエプロンを身に着け、詠唱しながら竹箒で地面に魔法陣を描く。
素早く慣れた動作の甲斐あってか、数秒もかからず陣は完成。息着く間もなくリャムは顔を上げ、何かを乞うように俺を見る。リャムの要求は、口にされずとも不思議と伝わった。
「『貴方の家に。私の胸に』
ヒイロくん、受け止め役お願いします!」
「おう、任せろや!」
「いきます──『シルキーの献身』!」
唱え終わると同時。
リャムは陣から退き、代わりに俺が陣に立つ。
地味な役割だけど適材適所だ。華奢なリャムに受け止め役なんてさせられない。受け止め役が白衣の天使じゃなくても、恨まないでくれよと。
そんな下らない詫びを入れつつ、俺は陣に向けて高速で飛んでくる利用者を、がっしりと受け止めたのだった。
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◆ ◆ ◆
※忘れちゃった方用の三女スクルドさんの解説。
【シルキーの献身】
〈詠唱文〉
『はやく、はやく、お帰りなさい。
貴方の家に。私の胸に』
指定した対象を自分の所へとぎゅーんっと引っ張る黄色の中級魔術だぞ。
黄属性の持つ引力という面に特化した魔術で、作中にもあった通り主に危機からの緊急回避策として使う事がメジャーかの。ただ対象と自分の位置が遠すぎては発動せぬから範囲を常に把握せねばいかんし、引く力がかなり強いから急に使われるとめちゃくちゃ怖いのだぞ!
触媒は白いエプロンを纏い、竹箒で魔法陣を描くこと。これにより誘引出来る相手との範囲距離が更に広がるの。ううむ、便利な術だがちょっぴりヤンデレ味を感じるのは余の気のせいであろうか。




