118 獅子の器
朝露も焼け、やがて太陽は真上に昇る。
半日でもっとも太陽が遠い真昼時、アスガルダム王城の謁見の間にてもっとも高き座が埋まっていた。
「エインヘル騎士団が長、レオンハルト・ジーク。並びに団長補佐リーヴァ・ベイティガン。面を上げよ」
張り詰めていた静寂を破り、命は下った。
しかし王からの言葉ではない。命を代弁したのは玉座の隣に控え立つ初老の男、宰相ギムレー・ドヴァリンである。
玉座に続く赤いカーペットにて跪いていたレオンハルトとリーヴァは、命に従いゆっくりと顔を上げる。
玉座に腰掛けるは、細い身体付きの男。彼こそがアスク・ガーランド。アスガルダムの現国王である。
「⋯⋯れ、レオンハルト」
「はっ」
「此度の、えっと、星冠獣の討伐、誠に大儀だった。幾度と積み重なったそなたの活躍、エインヘル騎士団の長として、誠に相応しいものであるぞ」
「勿体なき御言葉であります、陛下」
「う、うむ」
しかし誰よりも高き立場にあるはずの男の語り触りは非常にたどたどしく、リーヴァからすれば幼稚とさえ思えるほどに拙い物だった。
(なんて覇気の無い⋯⋯)
隣にて恐縮と畏まるレオンハルトと同じ金髪碧眼。年の頃もそう違わない。だが、互いが備えた風格にはそれこそ天と地ほどの差があるだろう。
揺らぎなき瞳で王への敬意を示すレオンハルト。一方で、玉座に有りながらしどろもどろで落ち着かず、隣の宰相や肩に乗せた愛玩の鴉に目を散らす有り様のアスク王である。
これではどちらが王か分からないではないか。
憤然を冷徹な仮面に潜めるリーヴァだが、心模様は穏やかではなかった。特に彼女の癪に触るのは、王の肩に留まっている鴉の存在であった。
(謁見の場にペットを持ち込むなど言語道断です。団長を侮辱するつもりなのですか。王としての自覚に欠けています)
王たる者が、国と民を負うべきその肩に愛玩動物を乗せて謁見に臨むなど有り得ない。ましてアスク王は、それが有り得ぬ行為なのだという自覚もないのだろう。
先代皇帝が没して以降、宰相周りに傀儡として育てられ、アスク王は今も政策に関わっていない。国事でなければ、玉座は空席が常である始末。散々に国民が囁く騎士政権の腐敗は、怠惰に耽けた王権にこそあるとリーヴァは断じていた。
「時にレオンハルトよ」
「なんでしょうか、ギムレー宰相殿」
「昨今、十二座の騎士方に妙な動きが目立つと聞く。貴族分子を積極的に摘発し、またユグ教信者への援助も盛んだと。問うが、これはそなたの指示であるか?」
「⋯⋯残念ながら。宰相殿もご存知の通り、我が身はアスガルダムの護り手として悪しき魔獣を討つ日々に駆られております。宰相殿の危惧される様な手配、する暇もつもりもございません」
「然り。貴殿はこの国の盾にして剣。その手腕は魔獣にこそ振るわれるべきであり、政治の指揮棒にまで伸ばすべきではない」
「心得ております」
「先に起きた、ロムト公が殺害された事件もある。治安維持は貴殿ら騎士団が責務をもって当たるべき面目であろう。務めを果たす事を忘れるでないぞ」
「はっ。肝に命じます」
(⋯⋯貴族分子の摘発は、貴族側が問題を起こすからでしょうに。団長に責めるのはお門違いというものです。そうまでして釘刺しをしたいのですか)
宰相の言動にはレオンハルトへの警戒が多分に含まれていた。あくまで騎士団長は王権の為の武器であり、それ以上を望むべからずと。
露骨な釘の刺し方に、リーヴァは苦々しく思った。
──騎士団長レオンハルトこそが王の器。
騎士団内ではそういう風聞が囁かれているのも事実である。だからこそアスク王もレオンハルトに相対する際は、怯えた様子が目立っていた。その弱々しい態度がますます風聞を強めていることを、王は気付いているのだろうか。
その後も繰り返されるアスク王からの怯えを混じえた賛辞と、宰相からの嫌味を混じえた苦言。それらに眉一つ動かさず粛々と返礼する上司といったやり取りを、リーヴァは穏やかならざる心境で見守るのであった。
◆ ◆
「⋯⋯不毛な一時でしたね」
「リーヴァ。この王城で不適切な言動は感心しないな」
「ですがレオンハルト様。ギムレー殿の物言いは些か門違いが目立ちます。あれではただの鬱憤晴らしではありませんか」
「このようなやり取りで我が国の頭脳の曇が晴れるのなら、いい事じゃないか」
「貴方が良くても、わた、我々団員が良しとは出来ません」
謁見が終わって、城内を歩く足取りが少し軽かった。
解放感に伸びた羽根がつい口も心も軽くしてしまう。不敬な言動だと窘められるが、それでも謝罪より反論を重ねてしまう辺り、自分は上司に恵まれているとリーヴァは思った。
「レオンハルト様の果たした功績は比肩するものがないくらいです。なのにあからさまな冷遇を見せられれば、貴方の部下たる者達が納得しませんよ」
「アスク様より直々に賞賛を賜ったんだ。充分に厚遇だろう」
「⋯⋯誰かの書いた賞賛句を読み上げられる事を、直々と言いますか?」
「口が過ぎるよ、リーヴァ」
「⋯⋯失礼致しました」
先程よりも強く制され、リーヴァは今度こそ押し黙った。
敬愛する上司を持ち上げて現国王を下げる物言いは、確かに団長補佐官にあるまじき態度であった。
だがやはり、こうして眼の前を歩む騎士の背は逞しく、眺めるだけでも誇らしい。威風堂々にして雲心月性。その立ち振舞いに隙はなく、だからこそ先の国王の姿がより物足りなく感じでしまうのだ。
(⋯⋯いっそ、レオンハルト様が。私とてそう思ってしまう事は少なくない。本当に、アスク王にはもう少し覇気を備えて欲しいものです)
口さがない騎士達が望む政権交代を、耳にすればその場その場で窘めるリーヴァではある。しかし本心を白日に晒すならば、レオンハルト・ジークを我が王と仰ぎ見たいと宣うだろう。
星冠獣すら打ち倒す実力を持つ勇壮騎士。その実力や出で立ちから、"彼こそが真に英雄王シグムントの血を引く者"だという噂すら立っている。現国王アスクや先代はどこかの代で取り違えられた別の血であり、レオンハルト・ジークこそが血を継ぐ意味でも玉座に君するべきだと。
そんな噂が立つくらいだ。宰相やガーランド家と親交深き家の者達が、レオンハルトを煙たがるのもある意味で仕方がない事かも知れない。
(レオンハルト様が忠誠を示しているというのに⋯⋯詮無きことでしたね)
当人にその気もないのに、周りが騒ぎ立てる事になんの意味があろうか。悪戯に策謀を招く気も招かせる気もない。
宰相に肩入れする気はないが、言葉を借りるなら「騎士が考えるべきは政治ではなく治安」である。
だからこそ、王城外へと続く城門を潜る時にはもう、リーヴァの頭の中はこの後の業務についての検討であった。
しかし。
「団長! リーヴァ補佐官! こちらにおられましたか!」
「何事ですか」
必死の形相で城門に続く長い階段を駆け上がる伝令に、リーヴァの予感が働いた。
検討した業務内容は、一度白紙に戻さねばならないと。
「エーギル・ライブラリの星冠獣が暴走したとの報告がありました! 団長、急ぎ救援願います!」
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