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107 AIR




「ヒイロ殿! これは由々しき問題ですぞ!」



 雨雲の晴れた蒼穹に、非難の声が駆け巡った。



「魔女は死んだ。俺が殺した。証も此処にある。何が問題だってんだ?」

「遺髪などどうでもよろしい! ヒイロ殿、貴方が魔女を見事討伐せしめて下さった事には感謝致します。しかし何故、亡骸を川に流してしまったのですか!」

「何故はこっちの台詞だぜ。死体に何の用がある?」


 雨夜を越えた露光る次の朝。

 ジオーサへと帰還したヒイロは、小隊全員や劇団員、街の群衆が集まる中央広場で高らかに告げた。

 魔女は俺が討ったと。ロゼのものと思われる紅い髪束を掲げながら。

 しかし遺体をそのまま川に流したと聞き、ハボックは激昂。(まなじり)を狂気に染めてヒイロに食って掛かった。


「知れたこと。報いを与える為ですよ。あの魔女めが犯した大罪は、正義の火で処刑せねば洗い流せるものではない。またこの街に災いを呼び込まない為にも、火炙りに処すべきなのですよ!」

「報い?」

「そうです!むしろ道を踏み外した愚か者に与える、我々からの慈悲なのです!」


 どこまでも死に向き合わず、爛れた今に固執する。

 正当性は自分達にこそありという主張は、ヒイロに躊躇いを捨てさせる。

 振り抜いた拳は寸分違わず、ハボックの頬に突き刺さった。


「笑わせんなよクソ野郎が」

「ぐぼあっ!?」


 相応の威力を込めたのだろう。

 容赦のない一撃は、老人の身体など容易く宙に浮かせる。

 まともに受け身も取れぬまま仰向けに転がる町長に、観衆の多くが息を呑んだ。

 背を凍らせる様な静寂。しかしヒイロは周りの動揺など構わず、更に倒れるハボックの胸倉を掴み上げた。


「アイツを魔女にしたのは、テメェ含めたこの街だろうがよ。報いを受けろってんなら、まずはテメェが火炙りになるか?」

「ひ、ひぃっ」


 至近距離の激情。死を利用し続けた姑息な老人に、濃厚な殺気を前に抗うことなど不可能だ。手足の取れた虫の様に呻くしかない。

 そんな有り様さえ見苦しく思ったのか、ヒイロはゴミを捨てる様にハボックを放る。もはや視界にも留めるまいと、背中さえ向けていた。


「あが、が⋯⋯なんと、なんという凶行! わ、私は街の長ですぞ? 民間人ですぞ! 」


 しかし審問会の一員にして、罪だらけの街の長は当然吠えた。老獪に命を弄んで来た男が、騎士の若造相手に黙ってはいられない。


「シドウ殿! こ、これはどういうことか!騎士たる者が、こ、このように国民へ横暴を働くなど許されていいはずはありませぬ! 隊の長たる貴方は、この狼藉を良しとするのですか!?」

「⋯⋯如何にも」

「個人的な理由で武力を行使する等、不届き千万。メリファーよ、本部に戻り次第貴様の処遇を検討する。良いな?」

「フン。好きにしやがれ」


 騎士である以上、組織の一員。このハボックの老獪な訴えを、規律を重んじるシドウは取り下げさせる訳にはいかない。ヒイロも承知の上だったのだろう。肩をすくめるだけで、反論すらしなかった。


「は、はは。良い気味だ。そうです、英雄騎士などと持て囃されても所詮は道理を知らぬ若輩。せ、精々身の程を知ると────ぐへあっ」


 若騎士の処遇に気を良くし、更に嘲笑を浮かべようとしたハボックの顔を、今度は鋭い手刀が見舞った。

 相当加減はしてあるが、激痛である事に変わりない。老人は痛みのみならず、驚愕に目を見開いた。

 手刀を叩き込んだ犯人は、シドウだったからである。


「た、た、隊長の貴方まで、何故このような蛮行を!?」

「知れたこと。貴様という凶悪犯を制圧するという公的理由に基づいた、武力行使であるが?」

「凶悪犯?! 私を、この街の長たる私を凶悪犯と謗りましたか?!」

「如何にも! 白魔獣メメントモリを用いた非人道的行為の数々。人の死を弄ぶ蛮行を騎士たる我々が見逃す道理もない。よって拘束し、本部へ護送。しかる後に裁きを受けていただく」


 そもそもハボックは履き違えている。 

 魔女狩りという私刑を扇動した罪。私腹の為に他者の死を富に変え、愚弄した罪。この街の暗がりを見渡せば、魔女などより余程の大罪が転がっているのだ。

 報いを受けるべきというのなら、次は彼らの番なのである 


「そ、そんな、馬鹿な⋯⋯こんな横暴、許されていいはずがないっ」


 悍ましい罪を重ねたとはいえ、ハボックはただの老人である。当然騎士団に抗う力など持たない。

 抗えぬならば逃げるしかないとばかりに、目の前の隻眼から後退った。


「動くな」

「ひっ?!」

「重い罰を喰らう前に片足だけになりたくないでしょう? 今更逃げようなんて思わないことね」

「あ、ぐ、ぁ⋯⋯」


 後退の細足を止めたのはシュラであった。

 ひとり大多数の魔獣を引き受けた彼女は、全てを葬った後に合流。ヒイロの行方不明の報を聞き取り乱しはしたが、彼が戻ってきた以上、不安は取り除かれた。今胸の内を占めるのは、卑怯者への怒りである。

 

「ぐ、く⋯⋯や、やはり。やはり騎士達は魔女に(かどわ)かされてしまった! 魔女の虚言に耳を傾けた結果、手先になってしまうとは!」

「うっわ、そう来るかぁ」

「町長さん⋯⋯まだ、そんな事を言うんですか」

「黙れっ、小娘共が!騎士たる身にありながら魔へと傾くなど、穢らわしい堕落者め! ジオーサのみなさん! この街を愛する人々よ! 今こそ、魔女に等しき者達に裁きの火を! 捕らえ、燃やすのです! 我らの正義の為に!」


 もはや逃亡も不可能。ならば最後の勝負に打って出るしかなかった。十八年前の狂い火をもう一度起こすしかない。ハボックは裂けんばかりに声を張り上げた。

 出来なくば破滅は免れないのだ。残った選択肢はそれしかなかった。


「ど、どうしたのです皆さん⋯⋯なぜ、誰も立ち上がらないのです!」


 だが彼の訴えに、誰一人賛同を重ねなかった。

 それどころか冷たい眼差しでハボックを見る町民も、少なくない。


「は、ハボック⋯⋯」

「その、だな⋯⋯」


 審問会の老人達でさえ、力無く声を震わせている。

 彼らの目に光はない。沼底より深い諦観が覆っていた。同じ破滅を背負っている彼らの消沈に、ハボックは混乱した。


「ヘイ、町長さん。アンタまだ気付いて⋯⋯ああそうか。アンタ戦いの途中で気絶しちまって、今朝まで意識がなかったらしいからな。気付きようがなかったのか」


 彼の疑問を代弁したのは、騎士でも町民でもなく、劇団のマーカスであった。


「気付いてないとは、何がです?」

「あの風の結界、途中で穴が空いちゃったろう? だから魔獣の侵入は防げはしたみたいだが⋯⋯ナイトの諸君とローズとの会話が聞こえちまったんだよ」

「な、なんですと⋯⋯」


 しかし聞かれて拙い部分は穴が空く以前だったはず。ならば尚更この反応はおかしいとハボックは訝しんだのだが⋯⋯続くマーカスの説明に、彼の目の前は真っ暗になった。


「で、そこの審問会の御方々がすっかり怯ちまってな。復讐される、殺されるって真っ青な顔で震え上がって⋯⋯懺悔しだしたんだよ」

「ざ、懺悔ですと!? で、で、では⋯⋯!」

「そうさ。反吐が出るようなあんたらの悪行について、もう知らない奴はこの街にいないって事だな。昨晩までは街の連中の頭は恐怖で一杯だった。だが、一晩寝りゃ少しはクールダウンもする。で、改めて考えた訳だ。ローズ⋯⋯いや、魔女はもう居ない。なら今、見つめるべき罪の在処はどこなのかってな」

「な、がっ⋯⋯あ、ぁ⋯⋯」

「ま、年貢の納め時って奴だ。ご愁傷さま、とだけ言っておいてやるさ」


 遠ざけて来た報いに肩を掴まれて、もう逃げる事は出来ない。肩を竦めながらのトドメの一言に、ハボックは膝から崩れ落ちた。

 その滑稽とも哀れとも取れる末路に、ヒイロは感慨を浮かべない。

 冷えた一瞥を切り離し、もう用はないとばかりに踵を返した。




「"英雄騎士様"!」


 去りゆく背を、町民達の声が止める。

 ヒイロは振り返らない。翡翠色の目は青空を見上げていた。


「我々は、これから⋯⋯どうすれば良いのでしょうか」

「過ちを犯してしまったのは私達も同じです。わ、私は、どう償えば?」

「教えてください。どうか、どうか⋯⋯」


 魔女狩りを扇動したのさ審問会だが、凄惨な狂宴に身を任せたのはこの街だ。罪無きを罪とし、ただの女を魔女にした。彼らもまた咎人だった。

 狂った正しさに押し付けていた十字架。

 嘆願は、今になって降り掛かる重さへの悲鳴なのだろう。


「⋯⋯」


 知ったことかと突き放す事は簡単だった。

 自分で考えろと斬り捨てる事も出来た。

 死を償う方法なんて、そもそも無いと振り払えればどれだけ楽だったか。

 しかし、自らの足に外れない咎の枷をつけたのは彼ら自身だ。「全ては審問会による行い」と未だに背を向ける町民も居る中で、彼らは向き合う事を弱くとも選んでいる。


「忘れねえことだ」


 なら。

 彼らにも伝えるべき言葉はあった。

 こんな自分にも戒められる言葉はあった。


「テメェらが正しさに誤魔化したもの。奪ったもの。踏み躙ったもの。その全てを形にして、目を逸らすな」


 かつて間違いを選んだ熱海 憧として。

 今も膿み、痛む傷痕を持ち続ける者として。


「忘れるな」


 英雄ではなく、ただ一人の人間の言葉を。


「苦しくても、今を想い続けろ」


 肺に溜まった全てを吐き出して。

 やがて、ヒイロは再び歩き出す。


 今度は脚が止まる事はなかった。

 止める声も、もうなかった。

















 昨日は不在だった太陽が、茂る葉の緑を濃く照らす。

 湿っぽさを多く含んだ自然の匂いが届く。梅雨明けの夏を思わせた。

 

 

「⋯⋯」


 

 ざあざあと響く滝の音。ここで捧げられた追悼の意は、どれだけ本当で、どれだけ嘘だったのか。

 ここからの渓谷の景色は、持たせる意味を大きく変えた。十八年越しと比べれば些細かも知れないが、少なくとも今の熱海憧にとっては違って見えた。


「⋯⋯死か、今か。想うべきがどっちかなんて、比べたって意味ねえのにな」


 死を想うこと。今を想うこと。

 後者の方が好きだと彼女は言っていたが、結局その二つに違いなんてない。(過去/未来)も今も切り離せない。

 生きるというのはそういうことだと、告げてやるべき魔女はもういない。

 なら、心残りごと此処に葬ろう。

 看取る為にも。風を便りに。



「じゃあな」



 呟いて、紅い髪を手放した。


 渓谷を彼女の故郷の風が吹く。

 紅束髪は散らばって、遥か遠くに運ばれていく。

 風の行方は知らない。見送りだけを頼まれたから。


 やがてあかいろが初夏に呑まれて。


 それから緋色(ひいろ)も居なくなる。





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