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106 Carpe Diem


 弱々しく揺れる焚き火。横顔が浮き彫りになる。

 どれだけ血を流したのか、悪人相は不健康に青白い。唯一の灯りを絶やさぬよう枝を折って投げ入れる。その動作にも苦労していたからか、ロゼは憎まれ口を選んだ。


「さぞ堪能出来たのかしら?」

「⋯⋯は? 急になんだテメェ」

「裸に剥かれていたんだもの。噛み付かれたかどうかは気にするべきでしょう」

「アホか。こちとら死にかけてたんだ。んな余裕は少しも無かったっつうの」

「生憎、その人相じゃ説得力ないわ」

「はン。泣きべそかきが」


 聞かずとも分かってる事を、音にして試すのは悪女の作法。心外とばかりに鋭くなった目付きの悪さは健在で、ロゼは唇を尖らせて安堵を隠した。

 

「つうかよ、土手っ腹に穴が空いてた気がすんだが⋯⋯なんで"塞がってんだ"?」

「私が知る訳ないでしょ」

「左腕も動かし辛えが動きはするし、何が起きたってんだ。おい凶悪テメェは⋯⋯チッ、寝てやがる。訳が分からねえ」


 首を傾げてヒイロは腹を擦る。六つに割れた腹筋の一つが赤い。流木が貫いた痕だろう。しかし赤黒く固まった血によって、その傷口は完全に塞がっていた。


「⋯⋯訳が分からないのはこっちの台詞よ」

「あァ?」


 だが、現状に首を傾げたいのはロゼの方こそであった。


「私は貴方の敵よ。なのにどうして助けたの」

「んだテメェ、助けられたのがそんなに不満かよ」

「納得出来ないもの。貴方が私を助けた理由も、生かしてる理由も。生け捕りにしたいっていうならでも拘束すればいいのに、現に私に何もしないじゃない」

「勘弁しろ。こちとら血ィ流し過ぎて身体動かすのも億劫なんだよ」

「ええ、そうでしょうね!」


 納得出来ない事が転がり過ぎていた。

 いっそそういう目的で生かされ、組み敷かれる方が始末に終えた。単純な男の腹の(うち)が読めない。


「訳がわからないわ。助けてって言われたから助けた? さっきまで殺し合いをしていた相手に、自分の命をかけてまで?」


 仮にも本物の嫌悪感を向けていた相手の命を、どうして命懸けで助けようと思うのか。理解が及ばない。人死にを恐れる偽善者としようにも、敵対時に見せた冷然さが忘れられない。


「殺し合い?」


 しかし、まだ僅かに残った魔女としての矜持を、ヒイロは丁寧にすり潰す。


「なにのぼせてやがる。殺し合いだと? 俺はテメェを殺してやろうなんて気はこれっぽっちもねえよ。魔女だなんだと調子付いた身の程知らずを凹ませる為に戦ったまでだ。ま、町長の野郎に頼まれたって言うのもあるがな」

「な⋯⋯だ、だったら尚更排除するべきでしょう! 私はジオーサを焼こうとしたのよ! あの町長なら私の首を必要とするはずだわ」

「生憎俺が頼まれたのは『街を救え』ってだけだ。現に街への被害は防いだ以上、騎士としての義務は果たしてんだよ」

「⋯⋯そんなの詭弁じゃないっ」


 余計に分からなくなる。この男のきまぐれが、眉唾な御伽噺の様に都合が良くて受け入れ切れない。


「⋯⋯殺してよ」


 故にロゼは助けられても尚、幕切れを望んだ。

 もう何も残っていない両手を見下ろしながら、ぽつりと同情を求めた。


「もう、終わらせて。私は貴方になら──」

「『討たれても良かった。だからあの夜、俺に神の毒を飲ませるのを止めた』ってか?」

「え?」

「復讐の行く末がどう転ぼうが、最初っから死ぬつもりだったんだろ。で、閉幕係に俺を選んだと。英雄騎士って呼ばれてる相手なら『魔女』を討つ名誉をくれてやれる、と。そんなとこか?」

「⋯⋯」

「ハッ、俺も安く見られたもんだぜ」


 魔女としての終わり。

 それが運命に嫌われた女の、最後の見栄になると。

 だが、そんなせめてもの虚栄心を満たしてやるつもりはなかった。


「俺様は英雄になる男だ。"どこぞの黒幕"の拵えた舞台で、押し込まれた役に徹する様なちんけなタマじゃねーんだよ」


 当然である。彼はもうとっくにその場から降り、この舞台を叩き壊したのだから。


「そんな俺様に筋書き通りの引導を渡せだ? 十年早えんだよ。せめて俺が斃すに相応しい巨悪になって出直して来やがれ」


 今更、残骸の上で踊ってなどやらない。

 有終の美など飾らせてやるものかと、ヒイロは拒絶を示した。

 どれだけ魔女の仮面を深く被っても、乱暴な手はそれを許さない。魔女を演じるその姿がどれだけ、熱海憧の心を騒ぎ立ててしまったのか。ロゼからすれば知る由もない。


「私の復讐を壊して、命だけ救って。騎士としての自己満足ならまだしも、貴方の言う理屈はただの子供染みた嫌がらせじゃない」

「おうよ。ムカつくヤツ相手に目一杯の嫌がらせよ──『箔足らずの三行野郎』がやりそうな事だろ?」

「⋯⋯とんだ恨みを買ったものね。そんなにあの夜、私に袖にされたのが気に入らなかった?」

「生憎、もっとテメェの身に覚えの無い逆恨みってとこだ」

「⋯⋯なによそれ」


 夢の為に自分を殺し、真逆のキャストを演じた男と。

 夢を諦め自分を殺し、用意された舞台を踊った女。 

 知らず知らずの内に滲んだ葛藤が。仕草が。言動が。

 魔女を演じる女の虚しさが、思い出したくもない過去に重なったから──憧は強い嫌悪でもって、この不愉快極まりない舞台を叩き潰した。

 騎士としての使命でもなく。ヒーローとしてのエゴでもない。同族嫌悪。遠い昔の幻肢痛への抗い。それに突き動かされた熱海憧が、ロゼが望む結末など許すはずもない。


「⋯⋯そう。曇っていたのは、私の目の方だったのね。舞台に上がっていたのは、英雄騎士なんかじゃなかった」

「言ったろ。もったいねえってよ」


 事に至り、彼女も気付いた。

 魔女の敵が騎士ならば。ロゼという一人の女を阻むのは、ただ一人の悪童であったのだ。

 正当に討たれる結末を望むことこそ、今更だったらしい。


「捨て鉢になってた私なんかじゃ、英雄騎士なんて大役は引き出せなかったってこと」

「応よ。敵役の格がまるで足らねえな」

「そうさせなかったのは貴方の癖に。釣り合う巨悪になれだなんて⋯⋯もう何も残ってない私に、とんだ注文をつけてくれるものね」

「そうでもねえだろ? 未遂に終わったとはいえ、街を滅ぼそうとした罪自体は消えねえ。そんな奴が裁きも受けずにこのままおめおめと生き延びたとすれば、そりゃとんでもねえ悪党だろうなァ?」

「⋯⋯正気? 理解に苦しむわ」

「クク。次その面拝んだ時にはもれなく全身全霊の英雄騎士がテメェをとっ捕まえるさ」

「⋯⋯滅茶苦茶な理屈。貴方のほうがよっぽど悪役に向いてるわよ」

「そいつはどうも」


 それでもまだ、自分の舞台に引き摺り上げることを望むというのなら。

 英雄として相手をして欲しいというのなら。

 生き延びて、相応の悪になって立ちはだかれと。傲慢不遜にそう宣った男と比べれば、なるほど。自分は確かに小物に過ぎなかった。


「とんだ『カルペ・ディエム(今この時を想え)』ね」

「あ?なんだそりゃ」

「そうね。無責任で無慈悲な言葉よ」


 ヒイロ・メリファー。

 客観的に見れば、英雄とも騎士とも程遠い男だ。

 正義感で否定しない。使命感で立ち塞がらない。耳障りの良い言葉などくれない。慰めの抱擁で誤魔化してもくれない。

 一方的に救われ、一方的に壊され、一方的に結末を押し付けられた。

 ただそれだけなのに。


「でも『メメントモリ(死を想え)』よりは、好きな言葉ね」


 もう要らないと思った痛みが、また必要になった。夢が叶った瞬間よりも。既に無くなっていた家の跡地で、母に黙祷を捧げた時よりも。

 涙は真っ直ぐ、流れてしまった。


(⋯⋯親不孝者でごめんね、ママ)


 例えば本当の騎士に同じように手を伸ばされても、その手は掴まないだろう。何故なら寄り添えても、本質に触れた訳ではないからだ。

 使命感。正義感。それは確かに美しいものだが、社会的思考から導かれるもの。同じ目線に立とうとしても、無意識の上下がそこにはある。

 だが、ロゼが対峙するヒイロは違った。

 言動では上下に押しやろうとしているのに、目線は同じ高さになってしまう。同族嫌悪を自覚するほどに。それこそが本質を見つめられてしまっている証左だった。

 だから優しくもない言葉が、いちいち届く。

 投げやりに伸びた手を、掴みたくなる。 


(分かったの。私があの夜、貴方を殺そうとした理由も。貴方を殺すのを諦めた本当の理由も)


 殺すべきだと思ったし、殺せないとも思った。この無造作で下賤で野蛮で捻くれた男の指が、自分の心に触れてしまえると。魂が感じ取ってしまったのだ。

 あの夜に殺せなかった事を、今も後悔も出来ていない。

 ロゼ・スタラチュアの揺るぎない敗北であった。



「⋯⋯零したワインはボトルには戻らない」



 胸の内の炎は、今は静かに消えていた。

 穏やかに凪いでいる。雨の止んだ夜空みたいに。

 魔女の願いはもう叶わないだろう。

 復讐を果たすことも、敵の刃に散ることも。


「それでも生きろって、貴方は言うんでしょうけれど」



 しかし例え零れたワインがボトルに戻らずとも、そのまま放っておかれる事がないように。

 どんな物語にも幕引きは必要なのだ。



「はじめたからには、終わらせる必要はあるのよ。死者には墓が必要なようにね」



 そう告げて、魔女は床に放られたままだった騎士の剣を手にとった。

 仄暗い洞窟から外へと歩く。

 いつしか雨が止んでいた。

 暗雲の間に瑠璃色が見え隠れしている。

 夜明けも、もうすぐ来るだろう。

 


「だから魔女は此処で死ぬわ。

 最後の舞台で。生まれた故郷で。

 憎い男に、看取られながら」



 最後に浮かべるのは、柔らかな微笑み。

 磨り潰された中で残った、魔女の矜持の一粒だった。




「っ。待──」



 制する声も間に合わない。


 銀の剣は躊躇いもなく真横に軌跡を作る。


 夜闇を真紅が引き裂いて。


 復讐の魔女に、夜の帳の様な幕が下りた。







◆ ◆ ◆






 夜の宙に浮かんだ光文字は、既に擦り切れていた。


「思考誘導のルーンはとうに切れていたか。ならば此度はこれで幕切れ、という事だろうな」


 これ以上の再演は望めない。ジオーサの罪を洗い流す浄化の火は灯らずに終わった事を意味していた。しかし意図せぬ結末を迎えようとも、ドルド劇団長の顔に憂いは浮かばなかった。 


「大幅に脚本を狂わされたか。所詮は、夢にしがみついていただけの惨めな女。本懐を遂げるだけの器も持てぬとは⋯⋯いや、もはやどうでも良い事か」


 ロゼへの感傷など微塵も浮かばない。そもそも執着する理由もない。糸が切れた操り人形にもはや用などなかった。


「火の成長は確認出来た。だが些か物足りんな。そろそろ、薪を焚べるべき頃合いか」


 男にとっての執着は、己が心血を注いだ火にのみ向けられる。結果に満足はいっていないが、及第点は与えられる。その妥協を強いた存在を思い浮かべながら、ドルドは光文字を手振りで消した。羽虫を払うように。


「⋯⋯ふむ。愉快ではあったが、余興も過ぎれば興醒めを招く。目障りな羽虫にはそろそろご退場願おうか」


 想定外も一興。しかし度重なれば不愉快となる。

 ならば分を超えた愚者には薪になって貰おうかと、ドルドは都合を少し早める事にした。


「となれば、次なる舞台はもう趣向を凝らすべきだろう。本筋の外とはいえ、愉しませて貰った礼は用意してやらねばなるまい」


 だが、ドルドは吊り上がる口角を自覚する。不愉快な羽虫だと蔑んでおきながら、心はその末路にまで彩りを求めていた。取るに足らぬ存在相手に、存外愉しませて貰っていたらしい。


「クク、いかんな。このような形を取っているからか、余計なこだわりまで顔を出す。仮初めの装いだというのに、困ったものだ」


 冷笑を響かせた後に、彼は何言か唱えると複数の闇の帯を身体に覆わせた。刹那が過ぎ去れば、そこにもうドルド劇団長の姿はない。

 在るのは、夜闇よりも尚深き黒套纏った片側仮面。

 此度の復讐劇を糸引いていたのは、ドルド劇団長に扮したこの男だったのである。


「さてさて、寄りかかった先の末路を目にして⋯⋯黄昏の火はどれほど破壊の翼を広げるか。愉しみだ」



 ひとしきり哄笑を響かせて、男はその身を四枚羽根の(からす)へと変えた。もはやこの醜き地に用はない。濁しに濁した跡を振り返る事もなく、夜闇へと飛び去る。

 全ては下らぬ塵芥。蹴散らすべき砂の楼閣。 

 魔女などよりも遥かに深い怨恨の闇を抱いた鴉は、全てを見下していた。



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