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103 氷の指



 シンと空気が渇いた。

 場に溢れた黒い泥汗は、もう名残すら無く消え去っている。魔女と名乗っておきながら、ロゼは魔獣や魔術に理解が疎い。だから(おおの)くより以前に、何が起きたかが分からない。

 ただ強力な手駒を一つ喪った事実だけが、するりと頭に響いていた。


「⋯⋯お高く止まりたがる奴ほど、埒外の事態にメッキが剥げちまうもんだな」


 自惚れを冷ますように、薄緑の目が立ち尽くす女を睨む。

 過程は分からずとも、結果は横たわっているのだ。気圧されて一歩、彼女は後退った。


「ちったァ目が醒めたかよ。ローズ。お前に"魔女"なんて冠は重過ぎんだよ」

「⋯⋯重すぎる?重すぎるですって?」


 だが吐き出される声色の中に、ほんの僅かな哀れみを感じ取ったからか、女は咄嗟に己が魔女である事を取り戻せた。

 消せない怒りを思い出せた。


「言ったはずよ、魔女は人間なんかに討たれないと! ただの人間に討たれる魔女なんて居ないのよ!」


 魔女は人間に"討たれない"。

 人間に討たれた魔女など居ないのだ。

 そう、この街が殺したのは魔女などではない。

 ただの女だった。人が人を殺しただけだ。

 狂った正しさに尽くす者達の曇り目に、それを突き付ける為に、ロゼ・スタラチュアは立っているのだ。


「魔獣はまだ残ってる、私はまだ生きている! まだ何も終わってなんかない!」

 

 だからと、魔女はベルを打ち鳴らす。

 まだ残っている多くの魔獣と、力を持つ一頭にあの男の思い上がりを打ち砕けと叫んだ。


【rehnnnne!!!!】


 魔女の意を汲んだのか、それとも片割れを討たれた恨みか。獰猛にリキンファクシが(いなな)くと、今まで以上に強い光を襟巻に集め出した。

 最大火力で以て、ヒイロを撃つ為に。


「⋯⋯嘗められたものだ」


 しかし魔女の判断は悪手だった。ヒイロという強烈な個に視野狭窄に陥ったのだ。人間として対峙するヒイロの言動はともかく、リキンファクシと対峙していたのはシドウというつわ者の騎士である。

 そんな彼を前に、みすみす無防備を晒したのだ。

 ヒイロの変容に気を取られはしたものの、独眼の武人は為すべき事を誤らない。


「ハァッ!」


 鳴らされたベルの音に白馬は抗わなかった。ならばするりと奔る神速の剣撃に抗うこともまた、出来ない。

 散々に苦しめられた光線。その集光装置たる襟巻傘を斬り上げ飛ばし、剣先をそのまま胴体へとすべらせた。


【reh!?──re,rehnnnn!!!】

「眼前で、二度(ふたど)と部下をやらせるものかよ」


 神速の二撃。魔術の伴わない純粋な剣術を浴びせられ、リキンファクシは絶叫しながら後退した。

 綺麗な円形だった傘は、半分も欠けて見る影も無い。光線も微弱に点滅するだけに留まり、もはや武器としての役目は果たせないだろう。

 胴体にも深い裂傷を刻まれ、白い身体に赤い華。咲いた先から、黒い灰へと変わっている。

 白馬の死期は近かった。


「さっすがたいちょー⋯⋯よっし、ウチもやったるぞー!うにゃっしゃああああああ!!!!」

【gieeee!?】

【kyiiiii!!】


 煩っていた強敵をついに下したシドウの背に、勇気付けられたのだろう。嫌な夢から醒めたように、シャムの動きにも鋭敏さが戻った。


「そんな⋯⋯」


 勝敗は既に決した。要であった二馬を喪い、残すは雑兵のみ。どこからか無尽蔵に湧いているとはいえ限界があるはず。

 雪崩の様に悪くなる旗色は、魔女に敗北を悟らせた。


「⋯⋯テメェの負けだ、ローズ」

「⋯⋯、⋯⋯⋯⋯まだよ」


 それでも彼女は終幕を認めようとはしない。


「私は魔女。魔女のロゼ・スタラチュア。魔女は⋯⋯"人間なんか"に殺せないっ!」

「ッ、待ちやがれ!」


 雨は止まずとも、怒りの火はまだ消えていなかった。

 静止の声に貸す耳などない。

 魔操のベルを鳴らし、残る魔獣の群れをけしかけながらローズは踵を返す。光の届かないような、深い森の奥へと逃げた。


「あの野郎、まだ⋯⋯!」

「メリファー、何をしておる!」

「隊長?」

「追え!手が空いてるのは貴様だけだろう!」

「⋯⋯良いのか?」

「フン。貴様が『箔足らずの三行野郎』と振る舞おうが、私の部下に変わらぬ。命は下したぞ、さっさと行け」

「おう!」


 慣れないせいか少し捻くれたようにも聞こえる後押しを受け、ヒイロもまた後を追うべく駆け出した。

 この錆びた舞台の銀幕を降ろす為に。




◆ ◆ ◆





「はっ、はぁっ⋯⋯」


 ずぶ濡れになった森の中を駆ける。息もドレスも整いを忘れ、視界の隅で流れる風景と同じく乱れていた。


「⋯⋯くっ、はぁっ、はぁっ⋯⋯!」


 十八年。そばかすがまだくっきりと浮かんでいた頃、何度も遊んだジオーサの森。とうに終わった過去が、場に合わない懐かしさを香らせる。こんな時に追いすがろうとする思い出を振り払おうと、ロゼは足元だけを見て走った。

 水溜まりに自分の顔は映らない。映る前に水面を踏み抜いた。だから頬伝うものが雨か涙かも分からない。分からなくていいことだった。



「っ⋯⋯」



 ロゼの脳裏にふとよぎる。

 ここから逃げて、そこからどうすればいい?

 もう復讐を遂げる手段は無い。全部壊されたのだから。

 神の毒も。恐ろしい魔獣も。与えられたものはもう何も残っていない。"魔"を取り上げられた自分に、出来ることなんてあるのだろうか。


「はぁ、はぁっ⋯⋯!⋯⋯⋯⋯ここは、葬送の儀の⋯⋯」


 遮二無二に走り抜け、開けた視界に飛び込んだ景色はジオーサの渓谷だった。

 死者の灰を流す崖先。過去には確かにあったメメントモリの風習。今は欺瞞に溢れた場所とはいえ、その一望は美しかった。


「⋯⋯⋯⋯不思議ね。思い出したくもない過去しか残っていないのに。ここからの景色はあの頃と同じだわ」


 尊ぶ思い出も、感傷を呼び込む余白も。

 全部が燃えたあの日に灰になったはずなのに。


「不愉快なのよ。慰められてるみたいで」

「⋯⋯だから纏めて燃やしてしまえってか?」

「──ええ。全て。燃やされたから、燃やすのよ」


 背後から独白を拾い上げたヒイロに、ロゼは驚かなかった。二度も惨劇を阻んだ者だ。三度目がないとは思わない。

 二、三歩。崖の先へと進んで、ロゼは振り返る。

 案の定ふてぶてしく此方を睨む男を、ロゼは魔女の顔で見下ろした。


「まだ、諦めねえか」

「⋯⋯諦める?私が?」

「そうだ。それともまだテメェには隠し玉でもあんのか?あの街に復讐する為の力が、まだ残ってんのかよ?」

「⋯⋯無ければ作れば良いだけよ。何度も言ったはず。私は魔女。あの街を壊すまで、止まりはしない」


 何を馬鹿なと口角を上げる。

 自分は復讐の魔女である。遂げなければ終わらない。もう何度も言ったはずだ。だからこれ以上重ねる言葉もないはずだった。


「⋯⋯復讐ね。良く言うぜ」


 けれど。

 白く染まるほどに冷たい響きで編まれた言葉が、届いた瞬間。

 みしりと、鏡が割れるような音が聞こえた。


「さもその為だけに生きて来た様に語っちゃいたがよ⋯⋯どうにもストンと腑に落ちねえな」

「っ。な、なにがよ」

「魔獣も、神の毒とやらも、別にテメェが用意したもんでもねえ。全部お(あつら)え向きに用意されたもんを使ってるだけだろうが」


 薄緑の瞳が、弓形に細くなる。

 それこそ矢尻を引いた強弓の先に立っているかの様に。

 芯を噛んだ視線が、女優の仮面に氷の指を這わせた。


「そこで一つ、復讐の魔女サマとやらに聞きてえんだがな。

 テメェ自身が『復讐の為にしてきたこと』はなんだ?」

「⋯⋯え」


 背筋が凍る。

 手がかじかむ。

 喉の奥が引き攣り。

 足場が薄氷にすり替わる。


「その細腕で剣を触れるか。魔術の一つでも使えんのか。殺してやりてえ連中を殺す為に、お前は何を磨いてきたってんだ」

「⋯⋯やめて」

「十八年越しの復讐。だが舞台も凶器も保険も借り物。憎しみ以外に自前のモンがどれだけあったって言うんだ?」

「⋯⋯やめてよ」


 隠そうともしない嫌悪感を武器にして、言葉が(えぐ)る。

 魔女の化粧に隠した素顔が淡々と暴かれようとしている。


 その度に心が叫んだ。

 どうして。どうして分かるのよ。

 貴方なんかが、どうして分かってしまえるのよ。


「なァおい、ローズ。

 この復讐劇は⋯⋯本当にお前が始めたもんなのか?」


 今度こそ、悲鳴は形となった。






 


 


 ジオーサから逃げて、それから。

 ロゼが生きた日々は苦痛だった。物乞いに身を落とし、残飯を探り、盗みを働いた。そうでもしなくては、五歳の娘が生き残ることなど出来なかった。

 けれどいつも目蓋の裏によぎるのは、奪われた怒りよりも、恐怖と喪失感が大きかった。

 なにもかもを忘れたい。苦しいばかりの過去を捨てたい。そんな願望がいつも胸に合ったと思う。

 幼さが少しずつ抜けて来る年頃から夜の街の住人となったのは、労働だけじゃなく、そんな過去の疼きを快熱で誤魔化す為でもあったのかも知れない。


 だから、皮肉だと思った。


 自分を一晩買った男に「演者」の才を見出され、夜の宿から、朝日の銀幕へと移り変わる切符を差し出された時には。

 幼き日に抱いた夢への入口が、擦り切れた今になって開かれる。もし運命の神様が居たのなら、なんて意地が悪くて、なんて残酷。

 なんて今更だと。

 そう毒づきながらも、彼女は迷いはしなかった。

 ロゼ・スタラチュアからローズ・カーマインとして。

 銀幕の舞台に臨み、やがて大成した頃。

 


『過去の全ては、今は夢。栄光を手にすれば、過ぎた傷痕は膿むことなどない⋯⋯全くもって、人間らしい台詞だ。傷口を嘘で塞げば、事も無し。欺瞞極まる。目を逸らしてるだけに過ぎないだろうに。


 君もそろそろ、そう思っていた頃だろう?

 なあ──魔女の娘、ロゼ・スタラチュア。

 歓びたまえ。君に、母の仇を取らせてあげよう』



 女優の道へと誘った他でもない当人(ドルド劇団長)の、見たこともない目の色に。

 ローズは怯えながらも、抗えなかった。

 なんて、今更。再びそう毒づけたとしても、抗えるはずがない。


 運命とは残酷なものなのだから。



「⋯⋯どうしてよ」


 復讐に狂うならナイフだけあればいい。

 けれどロゼは舞台を望んだ。演ずるための化粧を必要とした。

 復讐の魔女と嘘を吹く為に、求めたものが多かった。


「⋯⋯どうして今更」


 ロゼは、ヒイロの指摘を否定出来なかった。

 隠した所で暴かれると思ったのかもしれない。だからこそ恨み言を重ねた。

 降りしきる雨の中、子供のようにその場に(うずくま)って、泣いていた。


「どうして今更、貴方みたいな人が現れるのよ」


 隠していた奥の奥に指をかけられるような人が、どうして今になって現れるのか。

 舞台も凶器も魔獣も全て叩き壊した上で、真実にまで辿り着けた。どこまでも自分をロゼではなくローズと呼ぶこの憎き男が、残酷な運命の使者に思えて仕方ない。 


「恨みたきゃ恨めよ」

「⋯⋯貴方なんか嫌いだわ」

「そうかよ。そりゃお互い様って奴だ」

「⋯⋯酷い男」


 あの夜に見た酔いどれとはまるで真逆な冷たさ。

 でもロゼには何故だか、これもまたこの男の素顔なのだと感じてしまえた。

 今も注がれる鋭い嫌悪感。あちらもこちらを嫌っているのは事実なのだろう。けれど、どこか⋯⋯『鏡』に向けているようなものに思えて。


 直感が囁いた。

 そこにヒイロが自分の真実に触れられた理由があるんじゃないかと。

 だからもう一度。その目の冷たさを確かめる為に──立ち上がった時だった。


「え」


 視界がぐるりと灰色に染まり、目の前を雨粒が刺した。

 ゆっくりと世界がひっくり返っていく。凍り付くような浮遊感が身を苛んだ。 


「ローズッ!!」


 スローモーションの世界。

 叫び声に視線を向ければ、焦った顔でヒイロが走り出している。

 そして気付いた。

 ああ。立とうとしたら、踵のヒールが折れたのだ。それでバランスを崩した。崖の先で。

 だとしたら、あとは落ちるだけ。豪雨で荒れ狂った川に。

 末路はいわずとも悟れた。


「ぁ」


 運命に嫌われている。

 母を奪われたあの日からずっと。

 夢を現実にしていた日々に、終止符を打たれた日も。

 そして今。

 私はどこまでも運命に嫌われている。

 諦めがつくくらい、徹底的に。



「ひいろ」



 だから手を伸ばした。

 いいの。来ないで。これで幕は降りるから。


 もう終わりでいいの。

 そう言いたかったのに。




「────たすけて」





 雨の中。

 落ちていく身体を。

 暖かいものが、ギュッと包んで。


 魔女は眠るように目を閉じた。



.



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