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101 鏡は縦にひび割れて

 何かが弾けたような感じだった。

 ヘルスコルの効果は消えてたはずなのに、気付けば矢よりも早く駆け出していて。立ち塞がるように振るった凶悪がとても軽かった。

 普段なら覚醒イベントだとか才能開花の予兆だとか騒いでたんだろうけど。

 今はとてもそんな気になれない。


「肩に穴ァぶち開けやがって。男を上げたじゃねえか、クオリオさんよ」

「⋯⋯フン。僕としたことが、どこかの馬鹿がうつったらしいな」

「ハッ。そうかよ」

「そうだとも⋯⋯っ、ぐぁ」

「く、クオリオさん喋っちゃ駄目です!怪我に響きますからっ」

「うっ。す、すまない」


 いかな頭でっかちでも、涙目で詰めるリャムには逆らえないらしい。憎まれ口を閉ざして蹲るクオリオを尻目に、俺は戦場と化した町並みを睨む。

 その景色の中で、安堵したように胸を撫で下ろすシャムと、頬を少しだけ緩めた隊長が見えた。



「おお。おお!ヒイロ殿!我らの剣、英雄騎士殿!」

「あァ?」

「やはり貴方様はそこいらの者とは違う。ジオーサの危機にこうして駆け付けてくださるとは! 聡明たるヒイロ殿ならばお分かりでしょう。あの魔女めが怪しい呪法を用いて魔獣を束ね、この街を滅ぼさんとしておることを!」

「⋯⋯」


 頷きひとつすら差し込む間もない。

 さしずめ藁にも縋る勢いだが、実際町長さんにとっちゃ俺が頼みの綱に見えて仕方ないんだろう。余裕が微塵もない。

 見下ろす俺の目が、どんな温度を帯びてるのかにも気付けないくらいに。


「お願いします!嗚呼、どうか我らを、ジオーサの街を! お救い下さい!」

(⋯⋯お救い下さい、ね)


 それでも助けを求めている。

 それだけは紛れもない事実で。

 そして、救ってくれと手を伸ばされたのなら。

 『俺』がすべき事なんて、とっくに決まっていた。


「⋯⋯いいぜ。その頼み受けてやる。だから大人しくすっ込んでな、町長さんよ」

「は、ははーっ!」


 言葉で遠ざけたまま前を向き直せば、雨の向こうで赤い女と視線がぶつかった。


「よう。ずいぶん派手にやってくれてんじゃねえか」

「⋯⋯しつこい男。一度袖にされたのなら、潔く諦めるのが男の作法ではなくって?」

「俺の無作法ぶりは良く知ってんだろ、期待外れだ馬鹿野郎。テメェこそ、この襲撃を止める気は無ぇんだな?」

「もうお忘れ? こぼれたワインはボトルに戻らないのよ、二度とね」


 口振りほど鬱陶しがるでもなく。淡々と、もう全部が手遅れなんだと、いつぞや聞いた台詞を重ねられて。

 だから今更過ぎる言葉の代わりに、俺は凶悪を一層強く握り締めた。


「──総員拝聴ッ、指令を出す!」


 ざざ鳴りの中を、隊長の鋭い指示が飛ぶ。

 冷えた血が巡る頭には一言一句よく届いた。


「リャム・ネシャーナはベイティガンの回復、及び全体のフォローを! シャム・ネシャーナは小物の魔獣群を蹴散らせ!」

「了解っ!って、それじゃこの黒馬はどーするの!?」

「そちらはメリファーに当たらせる!戦線を交代せよ!」

「⋯⋯ほお、俺が大物担当。分かってるじゃねえか隊長」

「うむ。並びに、リキィムファクシはこのまま私が担当する。案ずるな、二度と隙をつかせる真似はせぬ」

「おう」

「油断しないでねヒイロン、そいつめっちゃめんどいよ」

「いらねえ心配だ」


 よっぽど手を焼いたんだろう。忠告をくれるシャムの顔は珍しく渋い。あの劇団長が寄越した二頭の内の片割れ。他の魔獣とは佇まいからして別格って感じだ。

 けど、ここで引き下がる俺じゃない。靴底の泥ごと蹴散らして、不敵にこちらを伺う黒馬の前へと立ち塞がった。


「大丈夫かな⋯⋯あ!そういえば、シュラ姉は?!」

「あァ?アイツか。アイツなら⋯⋯」


 俺達の為に、残った。

 そんなざっくりとした説明を、シャムに返そうとしたその時だった。

 びしょ濡れた森の向こうで──轟音と共に"巨炎"が立ち昇ったのは。


(⋯⋯は?なんだあれ)

《わはぁ。派手だね、虹でも架けるつもりかな》


 思わず言葉を失ってしまう。なんだよあれ。

 森林水平の更に上、それこそ空に指をかけられそうなほど、大きな炎柱。

 まるで、炎で出来た巨人の腕みたいな。


(いや⋯⋯ああ、そっか)


 けどあの方角。あの炎。

 直感が囁いた。

 きっとあれは、シュラの仕業だ。


「アイツなら⋯⋯それこそいらねえ心配だ、ってよ」

「あは。うん。さすがシュラ姉っ」


 あいつめ。この場にも居ないってのに。

 俺を差し置いて滅茶苦茶に目立ってくれるじゃん。

 お陰でこっちにも火が付いて、重っ苦しい湿度が少し晴れる。


「さて、それじゃあこっから⋯⋯反撃開始と行こうかァ!」



 上がった狼煙が掻き消える前に、俺は黒馬へと挑みかかった。








 心の痛みには慣れているのに、身体の痛みにはとんと弱い。

 どこかの馬鹿のように、どちらも強くとはなれないらしい。遠ざかる意識を繋ぎ止めながらも、クオリオはそんな自覚に苦笑した。


「モクモンっ。ストローと包帯、お願い!あ、ストローは銀で出来たものだから、間違えないでね?」

〘モクモッ!〙

「ありがとう。クオリオさんもう少し我慢してくださいね。すぐに治療しますから」

「⋯⋯ああ」


 視界の端で、小さな背中がわたわたと動いている。

 雨露とはまた違った雫を滴らせるリャムの横顔を、重傷者はどこか他人事のように眺めていた。


「『届け、届け、銀のうたかた。叶わぬ想いを、せめて塞いで』──『マーメイドの告白』」


 銀色に輝くシャボン玉が、肩の傷口にピタリと貼り付き膜を作る。青の特色の一つである『治癒』の魔術だ。

 この雨天で魔素のバランスが青に偏っているからか、下級でありながら効果は大きい。現に痛みに喘ぐクオリオの声色は、緩やかに落ち着きを取り戻していた。


 しかし。


「なあ、リャム」

「あ、はい。なんでしょう」

「アイツになにか、あったのか」

「⋯⋯え?」


 当のクオリオの脳裏を占めていたのは、自身のことなどではなく。

 視界の奥で黒馬に挑む、あの"腐れ縁"への違和感だった。


「なんだか少し、ヒイロの様子がおかしいんだ。もちろん、僕の見当違いかもしれないんだが」

「⋯⋯えっと。そう、見えますか?」

「ああ。心当たりは?」

「⋯⋯⋯⋯」


 違和感を辿ろうと頼った先は、あっさりと答えを持っていた。


「⋯⋯実は、クオリオさんが攻撃されるよりも前に、私達は此処に駆け付けてたんです」

「⋯⋯なんだって?」

「ごめんなさい、ほんとはすぐにでも加勢するべきだったんですけど⋯⋯あの人の話が、聞こえてしまって」


 渇いてもいないのに、喉が鳴った。

 つまりリャムとヒイロもまた、魔女の過去語りに間に合ってしまっただろう。

 最初からか。はたまた途中からか。

 どこまで聞いたのかと、過った問いをクオリオは喉奥に仕舞い込んだ。


「⋯⋯⋯⋯そうか」


 心の痛みには慣れているのに、身体の痛みにはとんと弱い。

 どこかの馬鹿のように、どちらも強くとはなれないらしいと。

 だが果たして。

 心まで強い。それは本当なんだろうか。

 痛みに鈍いだけを、強いと思い込んでるだけなんじゃないか。


──あるいは、痛みを殺す術を知っているだけなのだとしたら。

 どうやってそれを知ったのか。

 どういう生き方で、それを知るのか。


(⋯⋯ヒイロ)


 湧き出た自問に答えるだけの根拠が、クオリオにはまだ足らなかった。



 



 以前は、業火に包まれた孤児院の中で歌う魔獣。

 現在は、冷たく降り注ぐ雨の中で嘶く黒馬。

 温度計の赤液で見れば、大きく上下で触れるほどに違う環境ではあるけれども。

 どちらも相当な修羅場だって事だ。


《やいやいマスター!マスターってば!》


 でもって。

 そんな退っ引きならない状況に構わず、脳内で元気に騒ぎ立てる凶悪もあの時をなぞるようだった。


《聞いてんの?さっきからボクの振るい方が雑だよ、ざーつー!なにそんなに荒れちゃってんのさ!》

(⋯⋯そう言われてもな)


 こうやって揉めてる間にも迫り来る黒水。それを振り払う手に、余分に力が入っているのも事実だったし自覚もある。

 とにかく余裕がなかった。


《あ、さては。あの魔女さんに同情しちゃったから?それで気を取られて、お仲間の肩に風穴空いちゃったからー?》

(⋯⋯)

《あは、どっちもマスターが責任感じることじゃないのに、おっかしいんだぁ》

(⋯⋯いい性格してるよ、ほんと)


 とにかく余裕がないってのに。

 ほんとに、凶悪は容赦がない。


 シュラから後を託されて、ジオーサに辿り着いて。

 雨中を掻き分けて届く女の過去に、俺は足と思考を完全に絡めとられた。

 この街の暗い過去。魔女狩りの真実。審問会の悪行。

 絡め取られた俺の思考を再び動かしたのは、クオリオの悲鳴だったのだから。

 湧き上がる後悔に掴まれ過ぎないように、俺はまた目一杯、凶悪を振るった。


(荒っぽくなったのは謝るけど、今は余裕ないんだって。どうせなら皮肉なんかよりこいつの弱点とか攻略法とか、為になる話にしてくれよっ)

《わ。クレーム? マスターったらおっとなげない》

(どっちが!)


 むくれる様に抗議する凶悪だったが、こっちも形振り構ってられないんだ。

 眼の前の魔獣はこっちの心情なんか考慮しちゃくれない。

 距離が開けば絶えず水弾が飛んでくるし、かといって詰めれば泥水の盾で防がれる。

 防戦一方。このままじゃジリ貧だ。

 そんな状況で心のささくれを突かれれば、怒鳴り声にもなる。


《ふふん。ま、ボクは怒りん坊のマスターと違って心が広いから、レクチャーくらいはしたげよっかな。えーっとね、確かあの汗っかきの名前は【ヒキィムファクシ】とかそんな感じだよ》

(一言余計なんだよ⋯⋯って、汗? 泥じゃなくてか?)

《そそ。なんかドロっとしてるけど、あれ汗でもあって、魔素がたっぷり含まれた血でもあるんだよね。だからああやって器用に操る事が出来るみたいだけど⋯⋯うーん、どっちにしろばっちいね》

(⋯⋯そう、なのか)


 やたら粘り気があるから泥かと思ってたら、汗。そういえば以前クオリオにレクチャーされたっけな。万物に宿るとされている魔素は、物質状態の中でも液体と相性が良いって。 

 汗=魔素=血⋯⋯ってことは。


(じゃあ汗を、つまり血を常時流しっぱなしってことか? だったら長期戦に持ち込めば!)

《ばっかだなぁマスターは。ヒキィムのアレは、異常なくらい血を生成する身体構造の弊害ってだけ。だから血が足りなくなるなんて事はないよ。むしろスタミナは無造尽。長期戦なんて仕掛けても、先に音を上げるのがオチだねえ。以上、凶悪ちゃんによるわっかりやすい解説でしたっ。タメになったかなー?》

(まじかよ⋯⋯もっとこう、実は赤魔術に弱いとかそういう弱点は?)

《さあー?仮にそうだったとしても、白魔術しか使えないマスターには関係ないね、あはは》

(ぐっ⋯⋯)


 凶悪め、痛いとこ突きやがって。

 けどこれじゃ魔獣が泥水を操るメカニズムは分かっても、打開には繋がらない。むしろこのままズルズル行っても敗北濃厚って事が分かったぐらいか。


 まずいな、どうする。

 正直ヒキィムファクシの攻撃は大したことない。でも防御面はかなり厄介だ。凶悪とのやり取りの間にも何度か仕掛けているものの⋯⋯変幻自在の泥盾に上手く受け流されてばかりだった。

 近接主体じゃ相性が悪過ぎる。シャムが苦戦する訳だ。四元素の魔術でも扱えたならまた違ったんだろうけど。

 ああ、こんなやつに手間取ってる場合じゃないのに⋯⋯と、悪態の一つでもつきたくなる。

 沸々とした焦りが喉に迫っていた。


 それに。


「⋯⋯チッ」



 それに⋯⋯"本当に"、今の俺には余裕がなかった。

 さっきから──正確にはアイツ(ローズ)の話を聞いてから、俺の気分はどんどん落ちていってる。

 まるで心の皮に爪を突き立てられているような。

 まるで(ひび)割れた鏡の前に縛られているような。

 平常心がじわじわと蝕まれていく感覚があった。



《⋯⋯マスター?》



 耳鳴りに似た苛立ちが募る。ぐわんぐわんと、うるさくって仕方なかった。

 凶悪にも指摘された焦燥が、もういい加減、舌打ちでも誤魔化せなくなる頃合いに。


「意気揚々と舞台に上がった割に、浮かない顔じゃない。なにか気に入らない事でもあったのかしら⋯⋯"英雄騎士様"?」


 鏡にひびを入れた元凶が、視界の奥。

 ルージュを引いた唇を吊り上げて、俺を嘲笑っている。


「⋯⋯テメェ」


 なのにそれが、まるで俺ではない誰かを。

 それこそ、鏡越しに"自ら"を嗤ってるように見えてしまって。


『⋯⋯だからこそ⋯⋯どうして今更、としか思えないわ』



 耳の奥でまた一つ。

 鏡のひびが深く、割れた音がした。






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