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くだんのけん  作者: 佐倉夕日
序章
1/11

序ノ一 弟の件

 五月晴れの空の下、僕は四階建て校舎の屋上から、デジタル一眼レフカメラを手に、グラウンドを見渡していた。


「で? 今日のご指名はどの子かな? 美人かな? あたしよりも、美人かな?」


 隣に並びかけて、フェンスから身を乗り出して双眼鏡を構えているのは、幼馴染の真弓だ。中肉中背という言葉がよく似合う、ザ・平均な高校一年生。


「うーん、多分あの子」

「あの子じゃわからん」

「相談しましょ?」

「そーしましょー」


 降り注ぐ紫外線の下では、二年生の先輩方が体育の真っ最中で、フットサルを行っている。もちろん女子だ。その様を覗いている変質者的な立場に僕たちはいるわけだけれど、今更そんなこと気にもしない。


「ちょっと佐鳥に電話してみてよ」


 佐鳥というのは、真弓と同じく、腐れ縁の幼馴染の一人だ。こっちは同学年の中でもやたら背が高く、細い、ザ・ひょろ長な男子だ。奴には屋上からではなく、地上の校舎の影からグラウンドの様子を窺ってもらっている。


「はいはい」


 言ったときにはすでに真弓は、スマートフォンを耳に当てていた。以心伝心ってやつかな?


 僕は改めてグラウンドを見渡してみる。


 一部の活発な女子生徒が汗を輝かせているのが目立つのは、ほとんどの生徒が授業そっちのけで好き勝手にお喋りに興じているからだ。体育教師も見て見ぬふりで、一部のサッカー少女たちと戯れている。


 それでいいのか? と言いたいところだけど、僕たちにしたって、授業をさぼってこんなことをしているんだから、言えたもんじゃない。


「オッケー。分かったよ」


 真弓がちょうど通話を終えたところだった。


「佐鳥、なんだって?」

「この真下。ゴールネット裏で砂山作ってる三人組の一番かわいい子だってさ」


 一番かわいいって……個人差があるんじゃ? と、思ったけれど、首を伸ばして、真下を覗きこんで納得がいった。遠目からでもよくわかる。


「ああ、なるほど。一番かわいい子、ね」


 砂山三人組は一人を除いて、なんというか、こう……とても残念な感じだった。一目でターゲットを特定。


「よっし。じゃあ、あたしの出番かな」真弓が大げさに伸びをして見せた。

「ちょ、ちょっと待って。望遠レンズに付け替えるから」


 屋上からの撮影なんて、はじめてのシチュエーションだったから、少し、あたふたとしてしまう。なんとかレンズを付け替え、カメラを構えて慌ててフェンスから身を乗り出した――と、


「うあっ、これ――」


 予想以上に。


「なにやってんの? いくよ」

「ちょ、ちょっと待って!」だってこれ。


 重かった。


 ガイドブックの通り、右手でシャッターが押せるようにカメラを持ち、手袋をした左手で無理にレンズの底を支えるようにする。ファインダーを覗き、額にカメラを押し当て、右手、左手と合わせて三点で固定するように構えるのだけれど、フェンスから身を乗り出して、下向きに構えた瞬間、宇宙の法則に引っ張られた。重さ約500グラムのボディーに、望遠レンズの重さが加わって、三点固定なんてとてもできたもんじゃない。


 それでもなんとか腕力に物をいわせて、強引に額にカメラを押し付け、脇を締めてターゲットにピントを合わせようとするんだけど……。


「ああ、もう! やるからね?」


 無情にも真弓の口からタイムアップの宣告。


 くそう……。


 レンズの向こうでは、ピントのずれたぼやけたターゲットがゆらゆらするばかりだった。


「せーの、オオカミが出たぞおおおお!」


 真弓の突拍子も、脈絡も、一貫性もない、その場の思いつきとしか思えない声が、晴天の空にこだました。グラウンドにいた生徒も、教師も、もちろん、レンズ越しのぼやけた彼女も、一斉に僕たちのいる屋上を見上げる。


「ああっ、くそ」


 半ばやけくそ。


 ひょっとしたら何かの奇跡が起こって、ピントが合ってくれるんじゃないかと淡い期待を抱くことさえ放棄して、僕はカメラのシャッターを切った。


 うん。ダメだ。これはダメだ。

 むしろ清々しさすら覚える。


「ね? 撮れた? 撮れたよね? それじゃ、てっしゅー。逃げろー」


 真弓……残念ながら、期待に答えることはできないみたいだ。


 この後の言い訳のことを考えると、一時感じた清々しさなんて、あっという間に水泡に帰した。いや、むしろ水泡なんて、はじめからなかったのでは?



 放課後の人のはけた教室。僕と真弓、それから佐鳥の三人は、例の写真を依頼してきた、二年生の先輩が来るのを待っていた。


 奇跡というものは、そう簡単に起こるものじゃない。きっと、人間一人に与えられた奇跡には限りがあって、無情にも本人の意図しない形で消化してしまう、なんてことは、よくあることなのかもしれない。そんな奇跡の浪費を、今、僕は体感している。


「いやあ、よくやった。子供の頃から能無しだとばっかり思ってたけど、やればできるもんじゃない」


 真弓にバシバシと肩を叩かれる。痛い。っていうか、能無しってなんだよ。


 例の写真の話だ。あんなにブレていた写真が、何がどういった不具合が起こったのか、僕の写真部での活動史上のベストショットになってしまっていた。


 改めて、撮った画像を眺めてみる。


 こちらを見上げる彼女の姿が、画面の中心にはっきりと映し出されていた。額に手をかざしたポージングで、真上からの視点が、体操着姿の彼女の突出したスタイルを引き立てている。見上げたその潤んだ瞳が、なんとも言えない庇護欲を感じさせる。


 まさに奇跡の一枚。


 ……なのだけれど、今や時代はデジタル。簡単に複製できてしまう世の中なのだ。この一枚から、噂が噂を呼び、これを欲する男子連中が殺到する様が目に浮かぶ。


「で? いくらで売るんだ?」


 いつもマイペースな佐鳥も興奮気味に聞いてきた。


 依頼者には、画像データを渡す約束をしている。これだけのものが撮れたんだ。きっと相当いい値段で……笑みが漏れる。


 そのとき、教室の引き戸が勢いよくガラッと、開かれた。


 来た。お待ちしてました。どうぞこちらへ……って、あれ?


 何かがおかしい。そこに現れるべきなのは、満面の笑みを浮かべた、依頼主の男子のはずなんだけれど、今、扉を抜けて教室に踏み入って来たのは、どこかで見覚えのある異様に小柄な女子生徒だった。そしてそいつは言い放つ。


「ふふん。皆さんの悪事は、この正義の新聞部員、見取千影がリークさせていただいたっすよ! 全くいつから皆さんはこんな不良になっちゃったんすかねえ」


 教壇の前に立ち、その影から頭だけを覗かせて仁王立ちしているそいつは、不敵な笑みを浮かべてそんなことをのたまった。


「なっ! ちょっと千影! リークっていったい誰に? っていうか、どうしてあんたが――」


 憤る真弓を見取は片手でちょんちょんと制す。


「まあまあ、真弓ちゃん。落ち着くっす。ふふん、実は自分は前から写真部さんの活動が怪しいと思ってたんすよ。そして今日、決定的な証拠を手に入れちゃったんすよねぇ。何でもオオカミが出たとか」


 こいつ……まさか、あのとき屋上にいたのか!?


「ボイスレコーダーで、今さっきの会話もいただいちゃったっすよぉ。準備いいっす? 自分、これでもプロ目指してますんで!」


 くそ。やられた。


「まさか、このことを校内新聞に載せる気?」

「いやいや、そんなことはしないっすよ。自分も皆さんとは古い付き合いっすからね。ただ、このままじゃいけないと、自分は思うんす。だから、ここで特別ゲストに登場してもらうっす」


 特別ゲスト?


「あ、ちなみに、自分がチクッたのは、先生にだけっすから」

「先生!?」


 見取の言葉に入口に目を向けると、驚く僕たちを見据えるようにしながら、涙を目にいっぱい湛えた写真部顧問、美咲先生が教室に入ってくるところだった。

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