軍歌と死生観
Our plan is delayed because of Japanese soldier’s fanatical resistance. Throwing down the little boy onto one of the largest cities is effective to make it unconditionally surrender.
われわれの計画を日本兵の狂信的とも言える反抗が妨げている。リトルボーイ(原子爆弾の名前)を主要都市に落とすことが、日本帝国を無条件降伏させるだろう。
第二次世界大戦中に書かれたアメリカの公文書は、日本兵の抵抗をfanatically 精神的に異常で、死を恐れない、盲従狂信的、と表現することが多い。
日本の軍隊はいつから死を恐れなくなったのだろう。今回は日本の死生観を、軍歌という切り口から考察してみたい。
幕末に歌われた軍歌に、宮さん宮さんがある。この軍歌は薩長が天皇をかかげて幕府軍と戦う際に歌われたものだという。
宮さん宮さん、お馬の前にひらひらするのは何じゃいな?とことんやれとんやれな、
あれは朝敵、征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか?とことんやれとんやれな。
とんとん打ち出す薩長土、薩長土肥のおうたる手際じゃないかいな、とことんやれ、とんやれな。
江戸時代の兵士には、藩兵としての意識や、職業軍人としての考えはあったようだが、日本人の概念や、日本の国に尽くそうという気持ちはなさそうである。
では次に、日清日露戦争期の軍歌を見てみよう。タイトルは勇敢な水兵。
戦い今やたけなわに
務め尽くせるますらおの
尊き血もて甲板は
唐紅に飾られつ。
たまの砕けて飛び散りて
数多の傷を身に負へど
その玉の緒を勇気持て
つなぎとめたる水兵は
真近にたてる副長を
痛む眼にみとめけむ
かれは叫びぬ声高に
まだ沈まずや定遠は
※定遠は中国海軍の戦艦
このころの軍歌は、国のために尽くすことが良いこととされている。だか、第二次世界大戦期と明らかに違うことが2つある。それは、最後まで生き抜くことが良いこととされている。勇気を持って繋いだ命、その命は尊いと軍歌は語る。そしてもう一つ。国を守るとはあっても、あまり天皇のためというのを強調していないのだ。
第二次世界大戦中は死ぬことを美とする思想が少なくともあった。そして、国のためは勿論、天皇に尽くすことが強調された。
文献を読み込んでいないので、なんとも言えないが、わたしは不思議に思う。日本人はいつから死を美化するようになったのだろう。
これに対して、英米圏の死生観は反対であると言える。
After the war,
Then let us fill a bumper and drink for health and those who carry caps and pouches and wear a loped cloth. Then they and their commanders live happily, tow row row row, British grenadiers.
戦いに勝ったら祝杯をあげ、勇気ある行動と名誉を称える。そして、幸せな生活を送る。生と死の生を求めている。なんともイギリスらしい。
わたしたちにとって、伝統的なとか、昔ながらの考えといった類のものは、じつはありそうでないように思える。
死生観しかり、時代を経るごとに、変容がはなはだしい。
時代によって変容する価値観の中に、しっかりした自我を持って生きたい。