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たまも池の大蛇

作者: ガブリエル


1.



よく晴れた日のお昼すぎ、となり村に向かって畑のあぜ道を歩いていた弥助は、


「おっ?」


と思わず声を発して立ち止まった。


神社の巫女さんが着るような変わった服を着た色の白い少女が、道ばたにしゃがみこんでいる。

まずこの村の者ではない。

年齢は、弥助と同じくらい、十五、六に見える。


弥助は慎重に距離を保って少女に近づきつつ、遠巻きに観察した。


少女は顔を上げて弥助のほうを見ると、


「あの、」


しゃべった。

弥助は固まった。


「あの、あなた、弥助さんではないですか?」


一気に体中の血流が活発になる。可憐な少女が自分の名を呼んだ。嬉しい。


「ああ、うん、そうだけど」


なぜ、自分を知ってくれているんだろう?こんなに可愛らしい子が。それに、なんと透き通った、美しい声だろう。


「前に、会ったことあるか?」


弥助は頬のゆるみをおさえきれず笑顔を浮かべて、自分の顔を指さした。

少女はスッと立ち上がり、笑顔を返した。


「お話したことはありませんが、わたしは子どもの頃から、あなたを何度も見てますよ。たまも池のほとりで」


たまも池は、この道の先にある大きな池だ。


「はー」


弥助は間の抜けた声で応じた。どういうことなのかよくわからない。


「わたしはずっと昔から、たまも池のほとりにある祠に住んでいました」


これで、わかっていただけないでしょうか?少女の目が、そう訴えている。


「祠に住んでいた・・・」


弥助の頭脳が忙しく回転した。


「池の神さまってことか!」


「ああ!よかった。そうです。神さま、というほどではないかも知れませんが、あなたたちはずっとそう呼んでくださっています」


「たまも池の水神さま・・・」


目の前に少女を見ていなければ、正気の会話ではなかったろう。弥助は少女を包む、生身の人間とは異なる空気、肌や黒髪の透明感、遠くから聞こえる鈴の音のような声、などから、少女がたまも池の水神さまであることを納得した。


「なぜここへ?」


「祠を追い出されてしまったのです」


「何だって!」弥助は義憤にいきり立った。「誰かが、祠に悪さでもしたのか!」


「人のしわざではありません。異界から突然現れた大蛇が、わたしを追い出し、たまも池に住みついてしまったのです」


「大蛇」


義憤がしぼむ。


「でかいのか」


「長さはわかりませんが、頭だけで、弥助さんの背たけの倍はあります」


「倍」


数秒、二人とも沈黙した。


「そうだな、まずは」


弥助は胸の鼓動をおさえつつ、考え、言葉をしぼりだした。


「よく確かめてみよう。水神さま、すこしここで待っていてもらえるか」


「はい」


「おれがたまも池に行って、様子を見てくる。本当に大蛇がいれば、村のみんなと相談して、どうするか考えてみる」


「お一人で?」


少女はちょっと小首をかしげて、心配そうに眉をひそめた。

そう出られると男子はなおさら奮起せざるを得ない。


「一人で十分だ。こう見えて、何代か前の先祖は武士だったんだ。すぐ戻るから、待っててくれ」


十六歳といえば、武士なら、とうに元服し、合戦での初陣も終えて、一人前の男子として活躍していてもおかしくはない。


弥助はたまも池に向かって、どしどし歩き出した。

道はだんだん上り坂になり、林の中に入っていく。


間もなくたまも池というところで、道の向こうから、見覚えのある村人が二人、荷車を引いて足早に近づいてきた。


「久右衛門さんに、五郎の父ちゃん」


弥助は近づいてくる二人に呼びかけた。


二人は懸命に、弥助に向かって手を振った。それはあいさつではなかった。


「弥助、だめだ!ここから先には行けねえ!」


「どうしたんだ?」


「化け物だ!ばかでっかい、蛇が!荷物を全部、食われちまった!」


「なにっ」


弥助はいよいよいきり立って、大股でたまも池に向かって歩き出した。


「おい、バカ!」


久右衛門が弥助の腕をつかんだが、その手を振り払う。


「戻ってこい!食われるぞ!」


「ひとめ見るだけだ!どんなやつか、見たらすぐ戻る!」


本当にいるのなら、なおさら行かなければならない。

弥助は鼻息を荒くして大股で歩き続けた。


しかし、たまも池に近づくごとに、その歩幅は小さくなる。


そよ風にさわさわと音を立てる林の向こうから、確かに、何か恐ろしい気配を感じる。

ふいに、茶色い土が積み上げられているのが見えた。

たまも池まであとわずかというところに、土で作られた壁が出来ている。


いつの間に?誰が?


弥助は慎重に壁に近づき、それに触れようとした。


ゾッと身の毛がよだち、息が止まる。


間近に見てようやく気がついた。これは土の壁ではない。

赤銅色に鈍く光る、大蛇のウロコだ。


「食われに来たか、人間」


頭上から声が響いた。


振り返ると、巨大な蛇の頭部がそこにあった。

もし口を開けば、弥助を一口で丸のみできる大きさだ。


土の壁と思っていたものは、赤銅色のウロコに覆われた、大蛇の胴の一部だった。

大蛇は、近づいてくる弥助にとうに気づいており、あらかじめ長い胴でその行く手を阻み、背後から弥助を見下ろしていたのだ。


ウロコは一枚一枚が鋭く尖り、鉄で出来た鎧のように見える。


「おれは今満腹だ。出直して来い」


地鳴りのような低い声で、大蛇はそれだけ告げた。


丸く小さな目に感情は無く、弥助をただ食料として見ている。


弥助は硬直するばかりで声も出ない。


大蛇はふっと顔をそむけ、たまも池に、頭からその身を沈めていった。

鋭く固いウロコに覆われた体がゾロゾロと地をすべり、池に飲まれていく。


弥助は、恐怖に錯乱し、何やらわめきながら全力で自分の家に向かって走っていった。



2.



会議となった。


村の名主を中心に、村の各地域の代表八名、目撃者を代表して久右衛門と、弥助。

場所は多宝寺の本堂。

車座になって意見を述べ合う。


日が傾いて、庭からだいだい色の光が差し込む中、意見は二つにまとまっていった。


代官の屋敷に届け出た上で、代官伊藤信濃守の号令のもと、侍たちはもちろん、近隣の村々の男たちで力を合わせて、大蛇を退治するという意見。


いや、大蛇とはいえ、言葉など話すところから見ても、神々の類と考えられ、敬うべきだし、祟りなども有り得るので、穏便に交渉すべきであるという意見。


会議の行方とは別に、弥助が気になっていたのは、あの可憐な水神さまのことだ。

あのとき大蛇に恐怖して逃げ帰ったあと、正気に戻った弥助は、水神さまと出会った場所に行って探してみたが、見当たらない。

近くの村人も、見ていないということだった。


大蛇が現れ、池を乗っ取られてしまったことを、ただ訴えに現れただけだったのか。

しかし、弥助が帰るまで待っていると約束したはずが。


会議は、退治派より交渉派が優勢となった。

弥助は、水神さまの悲しげな顔を思い浮かべて、交渉派に異を唱えた。


「村人から食べものを奪って、池を乗っ取るような奴が、神さまであるはずはねえ!大勢で取り囲んで長槍で一斉に突けば、退治できるじゃないか」


「いいや」


名主の庄二郎が首を振った。


「神さまってのは、仏さまとは違う。いい神さまもいれば、悪い神さまもいる。昔から、神さま同士でけんかしたり、盗みや乱暴を働くもんだ。仏さまや菩薩さまたちがけんかする話は聞いたことねえが、神さまってのは、そういうもんじゃないか。それに、まず交渉してみて、どうしてもダメなら実力行使に出る、てことは出来るが、まず攻撃して、蹴散らされて、そのあと交渉するとなると、怪我するだけ損だし、交渉も向こうが有利になってしまう」


「そうだ。反撃に出る力は整えつつ、まずは交渉だ」


久右衛門が庄二郎に和すると、他の代表者たちもうなずいた。


「でも、交渉ったって」


弥助は引き下がらない。


「どういう交渉するんだ?どうやって出て行ってもらう?」


「それを、話し合うんじゃねえか」


そこへ、一人の村人が駆け込んできた。


「おい、みんな!」


顔はこわばり、声はうわずっている。


村の代表者たちは、緊張して次の言葉を待った。


「どこのどいつなのかわからねえが、腰に刀をさした大男が、たまも池に向かった!大蛇を退治すると言ってたぞ!」


「なにい!」


みな立ち上がり、一斉に本堂を出て、走り出した。


これから交渉をしようというのに、下手に刺激されてはたまらない。一撃のもとに打ち倒してくれるのならいいが、怒りを招くだけで終わったらどうしてくれるのか。



3.



村の代表者の一団が息を切らしながらたまも池に着くと、そこではあの赤銅色のウロコに覆われた大蛇と、刀を手にした堂々たる体格の一人の男が、対峙していた。


「私を斬り殺すつもりか、人間」


地鳴りのような低い、何の感情も感じとれない声で、大蛇は男に語りかけた。


男の方は、答えない。ただ静かに刀を中段に構え、いつ、どこに斬り込むのかを探っているように見える。


「だ、大蛇・・・さま!」


名主の庄二郎が声を上げた。


「大蛇さま!わ、わたしはこの村の名主で、庄二郎と申します。そ、その者は、この村の人間ではありません。ただの通りすがりです。どうか、そこのところだけはご理解を」


かすれた声でそう叫んで、あとは言葉にならなかった。


大蛇もさることながら、弥助は、剣を持った男のほうをよくよく観察した。


粗末な衣服を見ると、れっきとした武士という感じでもない。

年齢は、弥助より十ほど上であろうか。日に焼けて、精悍な顔立ちをしている。


「どうした、人間。斬ってみよ」


大蛇は頭を高く持ち上げて男を見下ろしている。男からすれば、跳び上がっても到底届かない。


大蛇の首が、刀の届くところまで下りて来るのを待っているのだろうか。しかし大蛇のほうは悠然と見下ろすのみで襲いかかってくる気配がない。


しばらくにらみ合いが続いた後、男は意を決して、大蛇に向かって真っすぐに突進した。

大蛇もピクリと動いたが、男の動きの速さについていけず、戸惑うような様子を見せた。


「いける!」


弥助は興奮して叫んだ。


刀が一閃し、大蛇の胴を切断する・・・かに見えたが、手応えはない。


今度は男が戸惑った。大蛇の太い胴に対して、刀を横に払ったり、縦に振り下ろしたりするものの、大蛇に傷を負わせることができない。


「刀が、体をすり抜けてる?」


弥助にはそう見えた。刀は確かに、大蛇の胴に当たっているのだが、まるで流れる滝を斬っているかのように、大蛇の体をすり抜けてしまう。


大蛇は大きな口を開け、


カアッ!


と、男に向かって紫色の霧を吹きつけた。


「ぐわっ」


霧を吹きつけられた男は、得体の知れない紫色の液体に包まれ、両手で顔を覆って、よろめきながら後退した。


「人間の道具でわたしを傷つけることはできない」


大蛇は悠然とそう告げた。


「村の人間たち。明日の朝、また食べるものを持って来い。もし持って来なければ、わたしの方から食べに行くからな」


大蛇は村人たちに背を向け、たまも池に帰って行った。


男は数歩あるいたかと思うと、ガックリと膝をつき、気を失って倒れた。村人たちは男を担ぎ上げて逃げ帰った。



4.



その夜、弥助は興奮してなかなか寝付けなかった。


うっすらと寝入っては目覚め、寝入ってはまた目覚めを繰り返すうち、夜が明けて外が白み始めた。


むくりと起き上がり、さっさと布団を片づけて、家族を起こさぬよう気を付けながら、フラリと外へ出る。


牛小屋の牛の様子でも見ようと牛小屋に向かっていると、


「弥助さん」


声をかけられた。


あの少女だ。水神さまだ。


「おあっ、だっ、」


寝起きの、とっさのことで、弥助は返す言葉をすぐには選べない。


「だ、大丈夫か!もう、消えちまったのかと思った」


「消えません。弥助さん、危ない目にあわせてしまい、ごめんなさい」


「隠れてたのか?」


「人がたくさんいると、ダメで」


「まだ、祠を追い出されたままなんだろう」


「はい、大蛇がいなくなるまでは」


弥助はひと息ついて、背すじを伸ばした。


「ひとつ、聞きたいことがある」


水神さまはパチリとまばたきをして弥助を見た。


「はい」


「水神さま、昨日の、あの刀を持った男、」


「はい」


「水神さまが、頼んだのか?」


水神さまは小首をかしげた。


「何をですか?」


「あの男に、大蛇を退治してほしいって、頼んだのか?」


「いいえ。わたしは何も」


弥助の心から暗い雲が打ち払われ、またたく間に青空が広がった。


「おれだけだよな!」


笑顔で確認する。


水神さまもほほ笑みを返した。力のない笑顔だった。


「でも、わたし、もう助けて欲しいとは言いません。愚かでした。大蛇がわたしの替りにたまも池の主になるなら、それも仕方ありません。どうか、危ないことはしないでください」


「何言ってんだ!」


弥助は地団駄を踏んだ。


「大蛇は必ず退治する。水神さまのことは、ちゃんと助けてやるから」


熱くなっていたところ、弥助は人の気配を感じて振り返った。


大蛇と戦った、あの剣士が、弥助の家の近くの道を歩いているではないか。


「あいつだ。何してんだ?水神さま、ちょっと一緒に来てくれ」


水神さまは困惑して首を振った。


「あー。じゃ、ちょっとここで待ってて!」


弥助は男に駆け寄り、声をかけた。


「おじさん!どうしたんだ、具合はもういいの?」


男は弥助を振り返って苦い顔をし、立ち止まった。


「どこも悪くない」


男はしばらく弥助と話をした。


男はいわゆる浪人で、元は武士だったが、戦に敗れて各地をさまよっている。行きつく先々で土木作業などの手伝いをしたり、もめごとがあれば用心棒のようなことをして、小銭を稼いでいた。


この村で村人から大蛇の話を聞いた時も、退治すれば食料や銭にありつけると見込んで、勝負を挑んだ。

しかし、あえなく敗れてしまい、あまりにも格好が悪いので、村人が目を覚まさないうちに姿を消そうとしていたということだ。


弥助としては、特にとがめたり引き留めるつもりはない。


「でも、おじさん、刀を振り回しているのを見ていたら、すごく強そうだったけど」


男は苦笑した。


「そいつはどうも、おほめの言葉ありがとう。だがまあ、全くケンカにならなかった。あれはもう、人間わざでは倒せないな。ただ、もしかすると」


なにか大蛇の弱点でもつかんだのか。


「あの大蛇、体に触れることができないということは、突進すれば、そのまますり抜けることができたかも知れん。それに、噛みつかれたところで、果たして、あいつは俺たちを噛むことができるかどうか」


「ふーん。こっちが相手にさわれないのなら、相手もこっちにさわれないかもしれないってことだね」


「あいつが俺に吹きかけた毒霧も、吹きかけられた時はえらくたまげたが、ひと眠りしたら何でもなくなっていた。蛇の毒なら、もっとひどいことになってそうなもんだ」


「そうか。本当は怖くもなんともないのかも」


「まあ、ただの想像さ。敗軍の将は兵を語らずだ」


男はとぼとぼと去って行った。


弥助が家の前に戻ると、水神さまはちゃんと待っていてくれた。


男から聞いた情報を水神さまに伝える。


「そうかも知れません。ただ、大蛇は食べものを要求しているではないですか。肉や野菜を食べることができるのなら、人間に噛みつくこともできそうです」


「むう」


弥助はうなった。さすがに水神さまは賢い。


「噛みつくことができなくても、人間に危害を加える方法は持っているかも知れません。ともかく、危ないことはやめてください」


「と、言ったってなあ」


数人の村人が弥助の家に近づいて来た。水神さまは、また会うことを約束して、姿を消した。



5.



ともあれ今朝は大蛇の要求どおり、村の各地域の代表者たちは、村の家々をまわって事情を話し、大蛇のための食糧をかき集めた。


決して、豊かな村ではない。貧しい村人たちに、わずかな蓄えを差し出すよう求めることは辛かった。


大蛇の一件はすでに村のすみずみにまで知れ渡っている。皆しぶしぶ食糧を差し出したが、名主や地域の有力者たちの不甲斐なさを罵る声が、なかったわけではない。


ひとまず、集めた食糧は、たまも池の大蛇に差し出した。


その時、名主の庄二郎をはじめ、村の有力者たちの心は決まった。

この調子で食糧の要求が続けば、村人は飢えてしまう。


所詮は、対決しかない。


ただ、通常の戦い方では大蛇には通用しないこともわかっている。

代官に訴えても、近隣の男たちをかき集めても、大蛇の怒りを買う結果にしかならないだろう。

魔物は、やはり法力によって調伏しなければならない。

村人たちは再び話し合い、多宝寺の住職、道西和尚に出陣を要請することと決まった。


道西和尚と、弥助を含む村人たちの会談は、多宝持の本堂の多宝如来像の前で行われた。


名主の庄二郎が大蛇の一件を説明した。


「ですので、和尚さま、ここは、和尚さまの法力によって、魔ものを討ち払っていただきたいのです」


長く白いひげをたくわえた道西は、齢八十を超え、鶴に乗った仙人にように見える。


「ふむ」


「そうでなければ、村の食糧は底をつき、われわれも和尚さまも餓死してしまいます。いや、その前に、大蛇に食われてしまうかも知れない」


「ふむ」


「大蛇を退治していただけますか」


「そうじゃのう」


「おお、本当ですか!」


「ふむ?」


「大蛇を退治していただけるのですね」


「ふーむ」


弥助が弾かれたように立ち上がった。


「どっちなんですか!退治するのか、しねえのか!」


大人たちが一斉に弥助を制止する。

道西は弥助の怒声を浴びても、眉ひとつ動かさず、ふにゃふにゃと述べた。


「そういうわけでもない」


「は?」


「そういうわけでもない」


「そういうわけ、って、なんです?」


「そういうわけではないのじゃ」


「だからどっちなんだー!」


大人たちの制止を振り切って、弥助は道西に詰め寄った。


「あんたには、大蛇を退治する法力ってのが、あるのか、無いのか?無いなら素直にそう言え!てめえなんか、仏さまの教えも知らなきゃ、知恵も度胸もない、て、うちのばあちゃんも言ってたぞ!」


「ぶれいもの!」


道西も大声をあげて立ち上がった。


「そういうわけではないと言っておるだろう!そういうわけではないだけじゃ!」


弥助は口をふさがれて床に押さえつけられた。


「和尚さま」


あらためて庄二郎が語りかける。


「われわれも、無理を申し上げるつもりはありません。大蛇を退治する法力など、もともと誰にも無いのかも知れません。いずれにしても、お返事をいただきたいのです」


道西は、ふうと息をついた。


「そういうわけではない。ただ、一日待て。多宝如来様の前で祈り、法力をたくわえてから大蛇のもとへ行こう。明日の朝、迎えに来るがよい」


村人たちはどよめいた。


ともあれ明日の朝、と、この日は解散した。



6.



翌朝、弥助は普段どおり畑に出、父母を手伝って働いた。多宝寺を経て道西和尚と共にたまも池に向かう一行に加えてはもらえなかった。


昼すぎ、家に戻ってひと息ついた弥助は、祖母に道西和尚のことを話した。


「あの坊主が、法力で魔物を退治する?そんなことできゃしまい」


祖母はあっさりと結論づけた。


「じゃあ、どうすりゃいい?」


祖母はくるりと弥助に背を向け、手をうしろに組んで、しばらく黙った。


「むかし、」


弥助はごくりとつばを飲んだ。祖母の言葉に神経を集中させる。


「わしらのご先祖さまは、都で朝廷のお公家さまたちを守る武士であった。都には、羅生門という門があってな。ある時、そこにおそろしい鬼が出て悪さを働いた。それを聞いたご先祖さまは、破魔の名刀、小次郎丸をひっさげて鬼と対決し、その片腕を斬り落としてこらしめたという」


その話は子どもの頃から千回以上聞いている。名刀の名前は小次郎丸になったり小源太丸になったりする。しかし弥助は辛抱強く待った。


「弥助。ついて来るがよい」


祖母は、弥助を牛小屋に連れて行った。


牛小屋の奥の突き当りに、飼葉を集めたり積み上げたりするための熊手が立てかけてある。

祖母は熊手を手に、牛小屋の奥の壁の天井に近い部分を、トントンと叩いた。

壁板の一枚がカタンと外れた。

その奥には空洞があり、白い箱が保管してある。


「いよっ、よっ」


背の小さい祖母は、巧みに熊手を操って、中の白い箱を取ろうとするがなかなか取れない。

弥助は歩み寄って手を伸ばし、祖母の頭越しに、ひょいと白い箱を手に取った。


「ほほう」


祖母は、自分の背より遥かに高い位置にある弥助の顔をほれぼれとした目で見上げ、うんうんとうなずいた。


「大きくなったのう!」


弥助は照れた。


「もう十六歳だよ」


箱は、長さ1メートルほど、幅は20センチほどの、細長い形。


弥助は箱を大事に抱え、祖母と共に家に戻った。


床に箱をそっと置き、祖母は箱のふたを開けた。


元は鮮やかな朱色だったであろう、古びた布製の細長い袋に包まれて、一振りの刀が収められている。


弥助は緊張と興奮に、思わず大きく息をついた。


祖母は荘重な手つきで袋から鞘に収まった刀を取り出し、弥助に手渡した。


「抜いてみよ」


両手で受け取り、ゆっくりと刀を鞘から引き抜く。

古びているが、心地よいほどスラリと抜けた。

ごくりと息を飲む。


冷たい銀色の刃は、ひとりでに光を放っているかのように見えた。


「あまり長く見つめてはならぬ」


祖母は首をふりつつたしなめた。

ハッと我にかえって、弥助は刀身を鞘に収めた。


「羅生門の鬼をも斬った名刀、」


祖母はひときわ力強く言い放った。


「これならば、いかなる魔物も切り伏せるであろう。ゆけい!弥助!」


弥助は名刀小次郎丸あるいは小源太丸、小五郎丸をひっさげ、満々たる闘志を身にまとって家を出た。


たまも池に向かう途中、久右衛門に出会う。

結局道西和尚は、豪快にバックレたそうだ。

村人たちが多宝寺を訪れたところ、高熱を発してふせっているといい、弟子の坊主たちが寺の門前に立ちはだかって一歩も中に入れてくれず、呼べども叫べども答えは無い。村人たちもあきらめて引き上げたとのことだった。



7.



弥助はただ一人、急ぐでもなく、たまも池を目指して静かに林の中を歩いた。


池の近く、一本の杉の木のかげに、水神さまが立っていた。


「弥助さん、いけません」


「水神さま。また会えてうれしいよ」


「そのようなもの、」


水神さまは弥助の腰の刀を指さした。


「大蛇には通じません。昨日、わかったでしょう」


「これは特別な刀なんだ」


「大蛇のことは、まわりの精霊たちとも話し合って、なんとかします。村人から犠牲者を出すわけには」

「わかったよ。でも、とにかく一度やらせてくれ。水神さまのためだけじゃなくて、村のためでもあるから」


弥助は立ち止まることなく進む。水神さまもついて来た。


たまも池が近づくと、以前と同じように、赤銅色のうろこに覆われた大蛇の胴が道を塞いでいる。


「水神さま。離れていてくれ」


弥助はスラリと刀を抜いた。


陽がかげって陰になった。と思ったら、ヌッと頭上に大蛇の頭が現れた。


「また来たか。刀など通じぬことが、なぜわからぬ」


低く腹に響くその声には、嘲笑がこめられていた。

ここで、祖母から聞いた羅生門の鬼の話を繰り返すつもりはない。

弥助は無言で突進した。


縦に、横に、大蛇の太い胴をなぎ払う。


しかし、手ごたえはなかった。

やはり、刀は大蛇の体をすり抜けてしまう。


「弥助さん!」


水神さまの叫びに振り返ると、大蛇は巨大な口をカッと開き、弥助に迫っている。


「たりゃあっ!」


弥助は叫んで、固く目を閉じ、大蛇の胴に体当たりするかのごとく、さらに突進した。

刀と同じように、弥助の体も、大蛇の体をすり抜けた。


「あっ」


間の抜けた声をあげたのは、弥助ではない。


小さな緑色の生き物。


人に似た姿の小さな生き物が、池のほとりにうずくまっている。


思考より直感が弥助の体を弾いた。こいつが大蛇の正体だ。


「覚悟!」


猛然と突進し、破魔の名刀を一閃する。


「ひゃあっ!」


小さな生き物は、悲鳴を上げて、危うく身をかわした。


大蛇の巨大な姿はかき消えていた。


小さな生き物は、刀をかわした勢いでころころと転がり、起き上がって態勢を立て直そうとしているところへ、弥助の第二撃が迫っていることに気づき、たまらず、


ちゃぽん


と、池に飛び込んだ。


水神さまが駆けつけてきた。


「弥助さん、おけがは?」


「何ともない、あのちび助、あれは」


「・・・はい」


「河童」


二人の声が重なった。間違いなく、池に飛び込んだ緑色の小さな生き物は、河童だった。


「河童のいたずらだったのですね」


弥助はどきりとした。水神さまの声には、激しい怒りが含まれている。


水神さまは、たまも池の水面をにらんだ。


さわさわと水面が波立ち、水中からゆっくりと、さきほどの河童が姿を現した。

河童はまるで縄でしばられているように、手足を動かすことができずもがいている。

水神さまの通力なのだろう。


水面から出ると、そのまますーっと持ち上がり、空中で止まった。


まるで親猫に首のうしろを噛まれて持ち上げられている子猫のようだ。


「たまも様、ごめんなさい」


河童はもがきながら、声をしぼり出して詫びた。



8.



この小さな河童は、この村から二十キロほど離れたところに流れる、野上川と呼ばれる川に暮らしていた。名は菜参叉さいさんさという。両親、祖父母のほか、兄弟が十六人おり、野上川のあちこちに分散して生活している。


ある時、菜参叉が畑から大きなスイカを盗んで来た。このような時、河童たちは獲物を母親に献上し、母親が取り分けて家族に分配するきまりとなっている。


しかし、スイカを手に入れたのは菜参叉であるのに、兄弟の誰かが母に偽の情報を吹き込み、スイカを手に入れたのは菜参叉の兄の鯉昆胡こいこんこだということになって、菜参叉の取り分が鯉昆胡より少なかった。


これによって兄弟げんかが勃発、すぐには決着がつかず、さまざまにもつれた挙句、菜参叉は家を飛び出した。つまり野上川を離れて放浪の旅に出た。


たまも池に来たとき、最初はほんの冗談のつもりで、得意の幻術を使い、大蛇の姿になって水神さまに挨拶をしようとしたところ、水神さまは驚いて逃げて行ってしまった。


あとで詫びようと思ったが、水神さまが住んでいた祠に収まってみると、さすがに長い間水神さまが住んでいた祠だけに、何とも言えず心地よい。


村人たちも恐れおののいて食糧を持って来てくれる。


「すっかり調子に乗っちまったってわけか」


弥助は、怒るというより、むしろ呆れてしまった。また、自分たちの臆病さに心の中で失笑した。


菜参叉は、水神さまの通力による金縛りを解かれ、地面にうずくまっている。


「へい、なーんちゃって、と種あかしをするつもりだったんですが、その機会も逸してしまって」

「弥助さん」


水神さまは目に涙を浮かべ、弥助を見つめたかと思うと、


「申し訳ありませんでした!」


ひれ伏して詫びた。


「いやいや、そんな。謝られても、困るよ。ともかく、大蛇は退治できたってことだから、よかった。祠を取り戻してあげられて、よかったよ」


ふと、不安がよぎる。


「水神さま、祠に戻ったら、もう会えなくなるのか?」


水神さまは、弥助の追い詰められた表情に、思わず吹きだした。


「どうしてですか?いつでも会えますよ。会いに来てください」


弥助は完全に満足した。


「ただ、今日は、これから野上川まで行かなければなりません。この者の父、鈍床曇と話をしなければ」


「ひいー」


菜参叉は震え上がった。


弥助たちはたまも池を離れ、水神さまと菜参叉は野上川に向かい、弥助は自分の村に戻ることとした。


「それじゃあ水神さま、気をつけて。河童さんも、元気でな」


互いに手を振る。


弥助は今一度、水神さまの笑顔を胸に焼き付けた。




おわり


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