道順
そのあと彼はすでにできあがっていた彼の友人に声をかけられ、その友人と一緒に飲み始めたために、話はそこで終わった。私もしばらくしてからその場を離れ、別の一画で飲んでいた集団に誘われるまま加わった。
手に持った本を開きながら、読むこともせず宙に視線をやりそんなことを思い出している自分に気付き、本を床に投げ出してソファに寝転がった。おかしい。最初のうちはそんなことはなかったというのに、本を読んでいてもすぐに集中が切れ、どうでも良いことや昔のことに思いを馳せている自分がいる。かといってただぼうっとしようとすると苛々してくる。眠って気分を落ちつけようにも苛々は増すばかりで収まる気配がなく、当然眠れるはずもない。
人と関わることが苦手だった。
だから用事もないのに休日に外に出たくなどなかった。当然、もらったメモもすぐに捨てるつもりだった。ただでさえメモを渡してくれた相手の意図が読めないのだ。素直に従うわけがない。しかしその日、律儀に二次会まで参加して同窓会から帰った時には私は疲れきっていて、何とかシャワーだけを浴びて布団に入るころには、もらったメモのことは忘れていた。
思い出したのは一カ月ほどたって、同窓会のときに使ったよそ行きの鞄を衣替えのついでに虫干ししようとした時だった。どうやらもらった後鞄に押し込んでそのままになっていたらしい。そして、気付けばメモを片手に街中を歩いていた。……今でもこの時の自分が何を考えていたのか分らない。
メモには注意書きが三つ。一つ目、必ず一人で行くこと。二つ目、絶対に歩いて行くこと。三つ目、どんなに不審なことがあってもメモに従う事。
三つ目の「不審なこと」の意味はすぐに分かった。同じ場所を何度も通る。今私がいるこの商店街は既に四度目だ。道を間違えたかと思い、メモを見直してもメモの内容と周囲の状況は一致する。このメモは図が一切なかったが、代わりに通りの名前、周囲の建物の様子といったものまでが細かく書かれており、よほどの方向音痴でない限り間違うことなどあり得ないものだった。ということはメモ自体が間違っているか、からかわれているかのどちらかだが、メモに書かれた内容の詳しさと彼の性格からすぐにそれは否定された。ここまで詳しく書かれていて間違っていればすぐにわかるはずだし、彼は妙に老獪で喰わせ者ではあったが子供のような悪戯をする性格ではなかった。彼は高校時代には既に“大人”だったから。周りにいたどんな大人よりも。私が彼とまともに話をしたのはあのときだけだったが、私は彼をある意味ではとてもよく見ていた―――――避けるために―――――から、それがよく分かった。
だとすればメモの通りにするしかないのだろう。もしかすればこれは道順なのではなく合図なのかも知れない。そうであるのなら、メモが終わる頃には迎えが来でもするのだろうか。
後から思えばこの時の私はおかしかったと思う。普段の私ならばこのメモの不審点に気付いた時点で帰っている。そもそも、こんなメモのためだけに外出などしない。それに、明らかにばかばかしい行動をしているにもかかわらず―――――“私”が嗤っていなかった。
メモはもうすぐ終わる。この商店街を抜けて右へ曲がるところで終わっている。通ったため知っているが、そこには特に何もない。何の変哲もない大通りがあるだけだ。強いて言うなら、五メートルほど先に郵便局があるくらいか。
商店街を抜けるまであと数歩。妙に周囲の音が遠くなったように感じる。あと一歩。これで合っていることも、この続きがないことも分かっていたが、念のためメモに視線を落とした。商店街を抜けた。右へ方向転換する。メモに落としていた視線を上げた。すると―――――私は商店街の出口の大通りではなく、疎らに樹木の生えた明るい林の中、舗装されていない小道に立っていた。