妥協策
人と関わることが苦手だった。
だから独りでいたかった。独りだけで何もせず、無為に時間を過ごすだけならば、私は“私”からの嘲笑と憐れみに責めさいなまれることはない。いっそのこと自分の部屋から出ず、引き籠っていたかった。しかしそれが許されないことも分かっていた。いや、単に許される環境ではなかっただけかもしれない。私の両親は、理由もなしに部屋に引き籠るなどということを許すような人たちではなかった。子供時代、風邪をひいても微熱程度であれば、どうしても気分が悪いようだったら早退しろ、と言うだけで私を送り出していたほどだ。当然私の理由は彼らにとっては言い訳にさえならなかった。一度だけ、人と関わるのが苦手だと言ってみたところ、それなら慣れろと言われて、やたらと地域の交流会だの何日も泊りがけの子供向けツアー旅行だの、よくわからない名目の合宿だのにやたらと参加させられるようになった。
仕方なく私は引き籠ることを諦めた。その代わり、必要以上人に関わらずに済むようにしようとした。だからといっても、友人の一人も作らず孤立したわけではない。私が最も恐れていたのは“私”の嘲笑だったが、周囲の視線もまた恐れていた。……私をより追い込んだ妄想のために。私は誰とも関わらないことが、かえって周囲の関心と注目を集めることを知っていた。
“私”を恐れるが故に一人になりたい。周囲を恐れるが故に誰とも関わらないことで、周囲の関心を必要以上に買いたくもない。……そんな私が導き出した、できうる限りの譲歩策は普通に見せかけること、だった。
孤立することなく適度に友人を作り、しかし常にさりげなく距離を置く。そして距離を置いていることを悟られぬよう細心の注意を払う。どんな形であれ、目立つことを避けるため、勉強は無難なところをキープし、運動にしても可もなく不可もなく。流行は必ずチェックし、周囲と話を合わせる。それはおおむね成功し、傍から見た私は平々凡々な人間で、そんな私に必要以上に興味や関心を抱き注意を払う人間はいなかった。
主人公が演じている普通は、あくまでも主人公が思う普通です。作中の様な人物像でなければ普通ではないという事ではありません。