無為な時間
ベッドに寝転がって何を考えるまでもなくごろごろとするこんな時間が昔から好きだ。何もせず、何も考えず、一人でただ過ごす。妄想に囚われることも感情の起伏もない。“私”に嘲笑されることもない。本を読むなら内容はつまらないぐらいのものがいい。活字を追うだけのことでいちいち感情を揺らすなど、“私”に嘲笑ってくれと言わんばかりの行為だ。この空間は私にとって天国とでも言うべき最高の環境だった。他人も時間も、なにより“私”を気にせず過ごせる空間。昔からそんな空間がほしくてたまらなかった。そして今理想そのものの場所にいる。……誰がここから出たいなどと思うものか。
気付けば寝ていたらしく、目を覚ますとやはり白い天井が目に入る。この天井は白いせいかどうにも距離感をつかみにくく、こうして横になって真上を見ていると、目安になる本棚も見えないせいで高さがいまいちわからない。
意味もなく腕を伸ばしてみる。もちろん天井に届いたりはしない。そのままゆっくりと手を握ったり開いたりしてみる。ここにいると疲れるということはまずないので、ずっと腕を上げたままでもだるくならない。なのでそのままその行為を長時間続ける。こういった単調な行動というのはかえって飽きない。手を握った回数を数えてみる。一、二、三、四、五、六、七、……。気付けば二千七百五十四まで数えていた。どうせなら、とあと二百四十六回、三千まで数えてから手を下し、おもむろに立ち上がった。とはいっても特に何をするというわけでもない。ただ本棚に本を取りに行っただけだ。気まぐれに手が届かないようなところにある本を、書架用の梯子を使って三冊ほど取り出す。本棚に沿って床に溝があり、溝の中に車輪がついた梯子の脚部がはまっている。天井にも同様の仕組みがあるようで、つまりこの梯子は床と天井を繋ぐように存在している。適当に押すか引くかするだけで、簡単に動かせて楽なのだが、少し変わっていると思う。何も梯子を天井までの高さにしなくても、本棚の最上段から二、三段目くらいまであれば、問題なく一番上まで手が届くのだ。実際これまで何度か書架用の梯子を見たことがあるが、天井に届くまでの高さがあるようなものは見たことがない。もっとも、これは私が見てきた中に、たまたまそういったものがなかっただけなのかも知れないが。
梯子から降りて、ソファに向かわずにベッドに向かい、寝転んで本を読む。そのまま活字を追うことに没頭し、一冊読み終えると次の本へ。三冊とも読み終えて起き上がり、その本を元の場所に戻し、今度は一番下の棚から五冊取り出す。今度はソファに座って読む。三冊読み終えた時点でかなりの時間が経っているはずだが、時間が分からないうえに昼夜まで定かではなく、疲労も空腹も眠気も感じないためにあまり時間が経ったようには感じない。実際、今自分がここにきてから一年たったと言われても、一日しかたっていないと言われても私は納得するだろう。もっとも、それを告げることのできる存在はここに居はしないのだが。