壁
唐突に思い出したこと。むしろ、これまで忘れていたのが不思議だった。
……そうだ、私はこれまで“私”を無意識に私よりも上位とみなしていなかったか? だから“私”に嗤われることを恐れていた。誰しも何らかの形で自分より上だと認めている者に嘲笑されるのは堪える。だが、“私”が私の上位でないのなら。上下の区別がないのならば。 “私”をそこまで恐れる必要があるだろうか? ない、のだろう。おそらく。ならば。―――――出よう。ここから。
良くも悪くも“私”はこれまで私の中で重要な存在だった。一朝一夕にその認識は変わらないだろうけど、無意識とは言え盲目的に信じてきた、“私”のほうが私よりも上位だということが違うというのならば。私はいつか“私”を恐れなくても済むように―――――少なくとも折り合いをつけられる位には―――――なるだろう。
ここから出る、と決めてしまえば、行動は早かった。ベッドから降り、部屋の出口に向かおうとした。向かおうとして、立ち止まった。あることに気付いたからだ。―――――この部屋の出口は、どこにある? 部屋を見回す。隙間なく壁に据え付けられた本棚。出入り口になるドアなどない。そもそも、ここには窓さえなかった。
本棚となっている壁のどこかに出口が隠されてはいないかと棚の本をすべて抜き出してみたが、どこにもそれらしき箇所はなく、何らの仕掛けも見つからない。見落としたのかもしれないと何度見てまわっても、あちこち触れたり叩いたりしてみても、ドアはおろか本棚の継ぎ目さえ見つからなかった。