例え何が待っていても
「………っっ!!」
飛び起きた。全力疾走した後のように心臓が五月蝿い。汗で寝巻きはぐっしょりと濡れていて、酷く不快だ。
嫌な予感がする。
すぐにでもどこかへ走り出してしまいたいような、泣き出してしまいたいような。
何か、嫌だ。
私はいてもたってもいられずに部屋を抜け出した。
裸足でいるのも構わずに駆け出す。
王女にあるまじき姿だ。
それでも走らずにはいられない。
「ティーナ、そんなに走ってどこへ行くの?」
私の前に現れたのはシェリエール。
いつも通りのような様子でいて、何故か妙な違和感を覚える。
まるで何かを隠しているかのような……。
「…何かあったのですか、シェリエール様」
「君が心配することは何もないよ」
返答が早すぎる。それにさっきシェリエールは私に「どこへ行く」のかと聞いた。
最初にどうしたの、と聞くのが普通ではないだろうか。「どこへ行く」と聞くのはどこか行くべき場所がある場合出る言葉ではないのかーー。
「シェリエール様。グレースに何があったのですか」
静かに問うとシェリエールは苦い笑いを零す。
「やっぱり君にはお見通しなんだね…」
「教えて下さいませ」
じっとシェリエールを見つめていると、シェリエールは肩を竦めて深い溜息をついた。
「……詳しいことはわからないけど、リヒトから連絡があったんだ。
作戦は失敗した、と」
瞬間駆け出した私をシェリエールが抱き込んで阻む。
「シェリエール様、離してください」
「離さない。君を行かせはしない」
その言葉で頭に血が上った私は振りほどこうともがく。
「……離してっ!!グレースが、グレースが……っ」
「君は、王女だ!」
シェリエールの言葉に息を呑む。シェリエールは腕に力を込めて続ける。
「……君は王族で彼は騎士だ。
王族は最後まで守られるべき存在なんだ。
彼が帰って来るまでは僕が君を守る」
シェリエールの顔を見ると、こちらが痛々しくなるくらい切ない表情をしていた。
鈍い私は漸く、シェリエールは私のことを本気で想ってくれていたのだと理解した。
黙ってシェリエールを見つめる。
私のことを慈しみ、大事にしてくれる人。
……きっとこの人と歩む穏やかな未来なら100点の幸せは得られるだろう。
それでも。
あの人と髪が、声が、目が、眼差しが、手が、匂いが違う。
「……ごめんなさい。きっとあなたの言うことが正しい。それでも私、ここであの人の元に行かなかったら一生後悔する」
シェリエールの腕が緩んだと同時に駆け出す。
ごめんなさい、シェリエール。
私は欲張りだから、例え0点の未来が待ってるとしても120点の未来を掴みに行かずにはいられないの。
「リヒトから、作戦は失敗したとの連絡があった」
努めて冷静に言ったアルベインだったが、その顔は青白い。
「今の戦況は…」
「詳しいことはまだ分かっていない。
リヒトから再度連絡があり次第俺はヴァレンティンへ向かう。シェリエール、お前はクリスティーナを引き留めてここであいつを守ってくれ」
作戦の失敗。状況の詳細は不明だが、最前線にいるあいつは……。
「殿下っ、クリスティーナ王女のお姿が見当たりません!」
ティーナの部屋から続く廊下。
靴も履かずに走る彼女を見つけた。
「ティーナ、そんなに走ってどこへ行くの?」
声を掛けると彼女は訝しげに僕を見る。
「…何かあったのですか、シェリエール様」
「君が心配することは何もないよ」
答えた後に、少し不自然な程早い返答だったと気付く。聡いティーナはすぐに気付く。
「シェリエール様。グレースに何があったのですか」
有無を言わさない確信めいた口調。
やっぱりこの子は僕のことをよく分かってくれてるけれど、今だけは気付いて欲しくなかったなあ。
「やっぱり君にはお見通しなんだね…」
「教えて下さいませ」
強い意志のこもった目で見つめられる。
この子は初志貫徹なところがあるから、僕が教えるまで諦めないだろう。
「……詳しいことはわからないけど、リヒトから連絡があったんだ。
作戦は失敗した、と」
瞬間駆け出すティーナを抱きしめる。
「シェリエール様、離してください」
「離さない。君を行かせはしない」
力を込めて抱きしめる。
「……離してっ!!グレースが、グレースが……っ」
「君は、王女だ!」
ティーナの身体が一瞬強張るが僕は続ける。
「……君は王族で彼は騎士だ。
王族は最後まで守られるべき存在なんだ。
彼が帰って来るまでは僕が君を守る」
例え君に嫌われたとしても。
憎んでも、恨んでも構わない。
ただ君に無事でいて欲しい。
そんな想いで懇願する。
静かな瞳が僕を見据える。
こんな時でも君の瞳は乱せないんだね。
「……ごめんなさい。きっとあなたの言うことが正しい。それでも私、ここであの人の元に行かなかったら一生後悔する」
ああ、愛とはこういう強さのことをいうのだろうか。王女が敵軍のいる戦地へ乗り込む。
はっきり言って無謀だ。僕には出来ない。
僕はアミュール国の王太子だ。
それはどんな状況であっても変わらないし、それを捨てることは出来ない。
それでも。
手紙が来る度に馬鹿みたいにはしゃいだり、手紙を送った途端に返事を待ちわびてそわそわしたり、贈り物を貰って舞い上がったり。
ねえ、ティーナ。
僕は王太子という立場を投げ捨てることは出来ないけれど。
それでも君との文通を心待ちにするぐらいには。僕の弱さを知ってほしいと思うぐらいには。君との未来を描くぐらいには。
今心が引きちぎれそうな程痛むぐらいには。
僕は君を愛していたよ。
緩く下ろした両手を見つめる。
さよならティーナ、僕の運命。




