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虚構、街道上の魔物

「久しぶりの旅では、勘が鈍ってしようがない。ついついこんな時間になるまで馬を飛ばしてしまった」


 恥ずかしそうに商人は言い訳をする。アノンはすっと立ち上がった。杖を片手に握りしめている。空いた手でたき火の方を指し示した。


「少し座って話でもしませんか?」

「ああ。後で、でもいいですかな? 馬に水と餌を与えないと」


 少し嬉しそうな顔をした彼は、不思議そうな表情を浮かべた。アノンが全く別の方向を見ている事に気が付いたのだ。茂みの方を見ていた。彼も茂みの方を見るが、なにか居る様子はない。

 なにを見ているのか聞こうとしたのだろうか。口をもごもごさせたが、結局何も言う事は無かった。

 アノンの横をすり抜け池の方へ向かおうとし、立ち止まる。彼女は商人へ杖を向けたのだ。脂汗が一筋、額を流れる。


「どういう事ですか? 金か、商品か。望む物は命以外なら……」


 杖の先と彼女の顔を交互に眺めながら商人は聞いた。


「伏せて。そうしないと死ぬよ」


 アノンはちらりと彼を見て言った。たき火の光で陰影がはっきりした顔からは感情が窺えない。商人の唾をのむ音が響く。彼もそちらを見るが、木々の黒い影しか見えない。


「望む物はなんでも差し上――」

「静かに」


 アノンは自分の唇に人差し指を当てた。子供が良くやる喋るなのジェスチャーだった。望まれたのは沈黙ならば、それに答えるしかないと彼は押し黙る。だが静けさが訪れる事は無かった。獣の走る音が聞こえたのだ。馬が怯えていななく。


「あー……。間違えたごめん。馬は諦めて」


 アノンはまた彼を見た。今度は気の毒そうな顔をしている。商人は絶望した表情だった。今にも泣きそうである。なにが起こるのか察したのだ。


「逃げた方が良いんじゃあないですか?」

「逃げても追いかけてくるよ。街道上の魔物のお話、聞いたことある?」


 街道上の魔物の話というのは、この地域におけるおとぎ話の一種である。

 夜遅く、街道を往く旅人を襲っては喰らう怪物の物語である。 この話の特徴として、魔物の正体が最後まで不明な点があげられる。

 登場人物は旅人、商人、騎士の三人がいる。三人は機転で魔物に追い掛け回される一夜をやり過ごす。だが最後に、三人は同じ魔物を見ていたのにも関わらず、全く別のモノに見えていたことが分かる、という内容だ。

 これは旅人が夜遭遇する障害の暗喩であると唱えられている。

 つまり、旅人は早めに寝床を決めなければ野犬や野党に襲われるなどろくな目に合わない、という教訓を教えるために作られた創作話である。


 当然現実に存在する筈のない魔物。何を言っているのだと笑い飛ばされる筈の発言だが、商人は顔を青ざめさせた。


「虚構、現れたんですか?」

「みたい」


 商人は呻き声を上げた。虚構、十年前から世界的に起こる様になった現象の名前であり、そして出現する生物たちの総称でもある。端的に言えば、創作物の登場人物が現実に出現するようになったのだ。

 一部を除いて人間に対し攻撃的という特徴がある。


 現在二人が居る地方は、数か月前まで虚構が出現しなかった地域である。出現する様になって日が浅い。当然虚構の出現数も少ない。それゆえに商人は油断していた。知っていればさっさと野営地を決めていたのに、と。


 馬が逃げようと暴れる音が響く。だが逃げ出す事はできない。商人がしっかりと木に繋いでいたからだ。

 絶叫と咀嚼音。馬車が壊れる音も響く。ああ畜生と小さく呟く。馬は高い。しばらくは懐が寒くなる。


「商人さん、どんなのが見える?」

 食われつつある馬を見つめるアノンは、小さな声で聴いた。商人は泣き出しそうな顔で、じっと馬車の方を見ながら答える。


「狼の群れが見えますよ。尋常じゃない程多い。明かりもないのにはっきりと。くそ。信じられん。あれは本当に虚構なんですよね? 貴女は?」


 アノンは虚構の魔物に杖を向けた。


「黒い靄に眼玉がたっぷり浮かんでるのが見える」


 少し考え、一言付け足す。


「かなりえぐい見た目」


 爆風、閃光。小石が舞う。商人はたまらず目をつぶり顔を伏せる。風でたなびく髪が頬に揺れ痒い。はためき飛びそうな帽子を手で押さえる。何か動物が焼ける臭い。処理も何もしていない動物が焼けると、これほどの臭気なのだと彼女は顔をゆがめた。

 馬車が燃える。商人は悲鳴を上げた。

 敵大半が消滅。一塊だった魔物は分離、木々の間、彼女たちを囲むように展開しようとする。彼女から左の集団へ杖を向け、発射。数本の木がへし折れ、燃える。勢い付いていた敵分体は爆炎に突っ込み消滅。同時に高温の炎に遮られ、左方向への展開は不可能となる。

 熱で熱い。彼女は服の下が汗ばむのを感じた。


「貴女死ぬ気ですか!? 火に囲まれますよ!」


 商人の声に、アノンは一瞬だけ目を向けた。目下のところ、彼女の関心事は木々の間に居る虚構をいかに効率よく叩き潰すかだった。


「あとで消せばいい」


 返答は実に簡素だった。商人は更に顔を青ざめさせ、もはや蝋人形にも見える程だった。着火したら溶けるのだろうかと、アノンは思った。

 敵虚構は攻撃してこない。こちらの戦力を分析しているのか、それともまだ純粋に戸惑っているか。逃げる様子はない。間抜けな旅人を襲うのが虚構、街道上の魔物の在り方だった。ならば逃げる訳は無いと彼女は確信していた。

 これは殲滅戦なのだ。どちらかが死ぬか、もしくは夜明けになるまでは終わらない戦闘なのだ。


 可燃物が少なく、開けた小川方面へ敵が回り込もうとするのを察知。上着ポケットからガラス小瓶を三つ取り出し、うち一つの蓋を指でこじ開ける。複数分体が回避運動を取りつつ突進。

 アノンの視線がそちらを向いた瞬間、右及び後方より敵主力の分体が突入。それぞれ数は八。

 小川方面へ向け瓶を勢いよく投げる。内部の液体が周囲に散布。三度発射。可燃性の液体に着火し、炎の壁が形成される。小川方面の陽動は焼失。

 振り向きざまに、やや前方の地面へ小瓶を叩きつけ割る。発射。形成された炎の壁により敵主力大半が消滅。今までとは比較にならない熱風が二人を撫でる。

 炎が彼女の顔を照らす。帽子のつばが作る影など、正面の炎には意味をなさない。



 残存する虚構は群後方に居た少数のみとなる。炎を突き破り炎塊が高速で直進。所定の距離、敵群に達した瞬間あらかじめ指示された、爆発という動作を行う。


 敵虚構、街道上の魔物の気配はすべて消え、残るのは燃え盛る野営地だけである。あのリスは逃げられたのかしらと、アノンは思った。小動物が逃げた小川方面の炎は既に消えている。運が良ければ逃げられただろう。


「倒したんですか? あれ殺ったんですか?」


 商人は恐る恐る顔を上げる。彼が目にしたのは楽しそうに笑うアノンの姿だった。炎に照らされ無邪気に。


「あー……。ごめん寒いかも」


 商人の質問に対しかみ合っていない返答をする。そのまま静かに水辺へ歩く。逃げるのかと商人は慌てて立ち上がり、馬車の方向を見た。黒焦げになった何かが見えた。一滴の液体が彼の頬を流れ落ちる。


 直後大量の冷たい液体、池と川の水だ、が彼の頭上から降り注いだ。バケツをひっくり返した勢いとは、まさにこの事といった情景だった。あまりの勢いに跪く。膝が泥で汚れる。

 流れる水音に混じり少女の笑い声が小さく聞こえる。


「水が近くにあって良かった!」


 川辺ではリスが怯え、彼女の足元を駆けまわっていた。

第35番街道注意勧告

一月前から旅人が野盗に襲撃される被害が増加しています。単独で行動する場合は最大限の警戒を。

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