歌姫の印。
突然放たれた言葉の意味がわからなくて、ただその声の冷たさに、私は固まってしまう。
すると、エラが私の前にすっと立って、ヴィルさんの姿を隠してくれる。
「急になにを言っているんですか?」
「お前には関係ないだろ」
「ちょっとヴィル。それは聞き捨てなりませんことよ? 歌姫様に、本当に歌姫か、なんて訊くだけでも許せませんのに、さらに歌姫様をお前、などと――」
「ちょっとアイラ、落ち着こうか」
おそらくはアイラさんとヴィルさんの間に入ったのであろうトレイさんの声が聞こえる。
「だ、だって――」
「ヴィル。この間彼女に会ったときもやたらと色々言ってたよね? どうしてそんなこと言うの?」
「……」
黙ってしまうヴィルさん。その返答を待つための沈黙が落ちる。
あまりにも重たいそれに、私は耐えきれなくなって、思わず口を開いてしまう。
「私は、歌姫、です……」
そっとエラの背中から出て、ヴィルさんの前に行き、自分の右手の甲を差し出す。
そこには複雑な模様を描いた痣のようなものがある。歌姫なら生まれつき誰もが持っている、印だ。
ヴィルさんの眉間にしわが寄る。
「で?」
「え?」
「そんな印一つで、自分は歌姫だっていうつもりか?」
「……この印は歌姫しか持たないものです」
「そんなの、描こうと思えば描ける」
「おいヴィル。それは流石に言いがかり――」
「うるさい。ここにいる全員、おかしいとは思わないのか?」
ヴィルさんの問いかけに、私以外の全員が首を傾げる。中には不快だという顔をしている人もいる。
特にアイラさんやエラ、シスの表情には、遠慮の二文字が見えない。騎士らしい顔、というものはよくわからないけれど、エラとシスのそれは明らかに歌姫らしいものからはかけ離れている。
「ちょ、ちょっと――」
「おかしい、とは?」
なだめようとした声は、片眉を上げたシスによって掻き消されてしまう。
「今まで歴代の歌姫は、一度に二人しかいなかった。だけど今は三人。明らかに多いだろ」
「でもそれも、記録に残っている限りです」
「記録にない歌姫もいるかもしれない、と? はっ、今の歌姫はだいぶ脳内がお花畑なんだな」
ひくん、とシスの眉が揺れる。……怖い。
「なんですって? どういう意味?」
「普通に考えりゃわかるだろ。誰か一人は偽物の歌姫で、裏切り者かもしれないってことだ。俺の中でその可能性が高い、と思っているのが、そいつなだけだ」
顎でさされる。なにも悪いことなんてしていないのに、肩が震えて、胸が苦しくなる。
もしかしたら、偽物は私なんじゃないのかって、身体が訴えかけているみたい。
「ホロは絶対に私たちのことを裏切ったりしない!」
「シス、落ち着きなさい」
しっかりとした声が、シスにかかる。振り向くと、すさまじい形相をしたシスと、シスを押さえるように彼女の肩に手を置いているエラがいる。
「でもエラ! ホロは――」
「いいからっ! ……いや、よくはないか。でも、今はそうやって怒鳴らなくてもいいでしょう?」
「……そうだけど、でも、ホロは……」
ふんわりとエラが微笑んだ。その笑顔は温かくて。
「大丈夫。ホロが絶対に私たちのことを裏切るような子じゃないっていうことは、私たちがちゃんと知ってる。だからシス、落ち着いて。ホロも。そんなに震えないで」
「……ありがとう」
少しずつ、震えが治まっていく。ほとんど治まってから、私は視線をヴィルさんに戻す。
「どうして私が裏切り者だと思うんですか?」
「……前も言ったと思うけど。歌がからっぽだし、今回のこの事件は、お前が歌ったから起こった」
「歌がからっぽなことも、今回の件の原因が私の歌にあることも、認めます。でも、だからって私は裏切り者なんかじゃ、ない、です」
「それに、あのとき歌っていたホロには、物理的ななにかでウィションを破壊することはできません。そうすると歌以外での干渉は不可能ですし、歌で干渉した、となれば、それは歌姫以外には不可能です。つまり、ホロはちゃんと歌姫です」
「仲間がいるのかもしれない」
「ということは、ホロが歌姫だと認めてくれるんですね」
「つまり、お前ら二人のどちらかが裏切り者ってことになるけどな」
「あら? それはおかしくないかしら。ホロが歌姫の場合は仲間がいるのかも、なんて言っておきながら、私たち二人の中に歌姫じゃない人がいるってこと?」
「その裏切り者が仲間かもしれないだろ」
シスとヴィルさんの言い合いが頭上で繰り広げられる。
最初のほうはなんとなくついていけていたけれど、途中から頭の中が混乱してしまい、自分が関わっていることなのに、首を傾げてしまう。
「もうその辺にしておけ」
クレハさんの声に顔を上げれば、困ったような表情で私を見ている。
「歌姫様が困っている」
「す、すみません……」
「謝るのはこちらだ。すまないな、ヴィルが変なことを言って」
「い、いえ……」
こんな風に謝られて、そのとおりです、なんて言えるはずがない。
「だけど、一つだけ言わせてください」
ヴィルさんの、冷たい灰色の三白眼をじっと見つめる。少しだけ怖いけど、このままなんて嫌だから。
「シスにも、エラにも、歌姫の印があります。それに、二人がずっと民のことを想って歌い続けていたのを、私は一番近くで見てきています」
深呼吸。そして。
「私なんかよりも、よっぽど二人のほうが歌姫です」
そうだ、こんな、歌を満足に歌えない私なんかより、二人のほうが歌姫なんだ。
私はもしかしたら、偽物なのかもしれない。
ただ、なにかの間違いで歌姫の印のようなものを持っていて。
なんらかの理由で私の歌にウィションが反応したのかもしれない。
それかもしかしたら、偽物の歌姫が本物の歌姫と混じって歌ったことで、拒絶反応を起こしたのかもしれない。だから割れたのかも。だから……私の歌で人が死んだのかもしれない。
胸が苦しい。
どうして、私はここにいるんだろう。
もしも私が偽者じゃなかったとして。
もしも二人のどちらかが偽者だったとしても。
私が歌姫であることの意味はあるんだろうか。
私の歌は、意味があるんだろうか。
どうして私は歌ったんだろう。……二人に、先に死んでほしくなかったからだ。
それって、本当に世界のためだった? ……違う、ただ一人のため、自分のためだ。
自分のために歌を歌った私に、歌姫を名乗る資格はあるのだろうか? ……あるはず、ない。
歌姫は、世界のために歌う。個人の、しかも自分のために歌った私は、歌姫じゃない。
印はあるから、一応は歌姫だけど、ある意味では偽者、なのかもしれない。
本物になるためにはどうしたらいいんだろう。
そもそも私は本物になりたいのかな。
歌姫には、なりたいんだと思う。……それ以外に選択肢が浮かばないだけだけども。
考えていることが暗いせいか、頭がどんどん俯いていって。
「なんか、か……」
ポツリ。
低くて小さな声。
少し悲し気に聞こえた気がして、私は弾かれたように顔を上げる。
するとヴィルさんは、驚いたように目を丸くしていて。
「なにか、言いましたか?」
「……なにも」
静かな声に、拒絶された気がした。




