私は世界へ、祈りを歌う。
朝の歌を歌い終える。
一人で歌うのは初めてではないのに、いつも胸のどこかに穴が開いたように感じるのは、この場所のせいなのだろうか。
ルアディスとアンディスの民からの言葉や贈り物を麻袋に詰めて、私はそっと上を見上げる。
塔には、橙色に輝くルアディス・ウィションと、紫色に輝くアンディス・ウィションが仲良く並んでいる。
麻袋を神殿の定位置において、私は外に出る。
「女神様ぁ!」
可愛らしい声に振り向けば、一人の女の子が八重歯を見せながら私に駆け寄ってきた。
「あら、ユイ。今日も元気ね」
「えへへー。女神様見つけたから、走ってきちゃった! ユイね、ユイね、今日で四歳になるの!」
「そうなの。おめでとう、ユイ。あなたがこの一年、幸せに過ごせますように」
「ありがとうございます! へへへっ」
ユイは嬉しそうに飛び跳ねると、そのままクルリと回れ右をして走っていった。
その先には、灰色の三白眼が特徴的な男性が立っている。目が合うと、私たちは小さく会釈した。
ユイの唇には、私の左足首にあるのと同じ印があった。
*
静かに階段を降りる。
四年前、私が少しの間過ごした場所だ。
あの日、目隠しをされずにここから連れ出されたから、道は覚えていた。
階段を降りきったところで、目が合った番人が、露骨にため息を吐く。
「女神様、やめてくださいよ、こんなところに来るの」
「あら、どうして? ここには私の友人がたくさんいるのに」
「だからですよ。奴らが変なことをしないか見張るのが俺らの仕事なのに、あなたが奴らを逃がさないかどうかまで見張らないといけないなんて、仕事増やさないで下さいよ」
「安心して、私、鍵持ってないし、人を操れるほどの力はないから」
くすくすと笑うと、番人はまたため息を吐いて、私から視線をそらした。
見なかったことにしてやる、とそういうことらしい。
四年前に私を見張っていた番人は、実は全員アーニストだった。
うまい具合に紛れ込んでいたようで、実は神官の中にもアーニストはいて。
唯一いなかったのは、女神様とそのお姉様の騎士たちだけだった。
だからあんなに暴力を振るってきたようで、今の番人は本職の番人の方だ。
私はシスの前に立つ。
シスはぼうっと宙を見ていた。
「シス……」
「エラ……」
ゆっくりとシスは私を見る。
「エラ……不思議だね。四年前は私たち、逆だったのに」
「……そうだね」
シスは、ホロが代償として死んでしまったことを知って、すぐに後を追おうとした。
なんとか止めても、目を離すとすぐに死のうとする時期があったけど、最近やっとそれも落ち着いてきた。
私たち歌姫と女神は、死ぬとなにも残らない。髪の毛一本、爪一枚残さずに光になってウィションの元へ戻ってしまう。
私たちが目を覚ましたとき。
中心で静かに涙を流すヴィルさんと、塔の中にある、二つのウィションを見て、ホロがいなくなってしまったことを知った。
私が女神になると言うことは、どちらかが命を失うということ。
八重歯を見せて笑っていたホロは、もう、どこにもいない。
「一つ、伝えないといけないことがあるの」
「なに?」
私は、少ししゃがんでシスと目を合わせる。
「トレイさんのことなんだけど、ごめん。エラを殺すつもり、無かったんだ」
「どういうこと?」
シスは、少しだけ隣の檻の方向を見る。
隣は、他の神官内のアーニスト、その隣がヌドクさんとリターナさんだ。
「……アーニストの仲間のうちでは、トレイさんにエラを殺すことを頼むだから、トレイさんはエラの番人になった、というふうに伝えてあったの」
「伝えてあった……?」
シスが頷く。
「エラを殺すつもりはなかった。ホロが女神になってくれさえすれば、私は、代償になって消える予定だった。でも、アーニストは私を女神にしようとする。邪魔な二人を殺そうとする人だっている。私だけじゃ二人を守れない。それでも、ホロにはヴィルさんがいた。それにあの子自身、強い力があった。でも……ごめん、失礼なことを言うけれど、エラには、ホロにとってのヴィルさんのような人はいないし、力もホロと比べればなかった」
「……」
「だから、ヌドクたちにエラに印を付けさせたの。その上で、エラはアーニストだと言わせた。そうすれば、牢屋に閉じ込められるのは知ってたから。あとは、番人にトレイさんを付けて、できるだけそばにいてもらうようにお願いしたの」
「どうして、トレイさんだったの……?」
「……一番口が硬くて、私を一度も裏切ったことがなくて……」
. シスは考えるような間を置く。
「シス?」
「……怒らないでね?」
なんだろう。内心首をかしげつつも、私は頷く。
「……一番、エラのこと、心配してたから。壊れちゃうんじゃないかって」
ふわりと微笑んだシスは、次の瞬間、表情を曇らせる。
「エラ」
「ん?」
「ごめんね。ホロのことも、印のことも……あなたを、裏切ってしまったことも」
「……謝らないで」
誰かが悪いとか、悪くないとか、そういう次元の話ではないから。
謝った、謝っていない、でどうにか心の整理がつく話でもない。
自分でなんとか折り合いをつけていかなくてはいけない。
シスの頭を優しく撫でる。
だけどシスは、それを拒絶するように、奥のほうへ下がってしまった。
ヌドクさんとリターナさんは、声をかけてもなにも返してくれない。
もう慣れてきてはいるけれど、やっぱり少し悲しい。
人づてに聞いた話だと、リターナさんはあの日、完全に記憶を失くしてしまったらしい。
襲い掛かってくる人々からシスを守るために、武器を使い続けたことが原因。
ヌドクさんは、あの日以来、他の誰とも、一切会話をしていないという。
最後に、トレイさんの檻の前に行く。
トレイさんは私を見て、微笑む。
「おはようございます、女神様」
その笑顔は、どこか疲れている。
私が目線を合わせるためにしゃがもうとすると、立ったままでいい、と拒否された。
「毎日毎日、会いに来てくれて、嬉しいよ」
「それは本心かしら。それとも建て前?」
「さあ、どっちだろう。君の思いたい答えでいいよ」
いつもそうだ。
トレイさんははぐらかす。
彼が疲れている理由は、今までのみんなの様子を見ればなんとなくわかる。
だけど、そこには触れない。
触れてしまえば、私は女神として彼に接することはできなくなる。
彼はそれがわかっているから、触れさせないし、はぐらかす。
「ヴィルは元気?」
「ええ、元気そうよ。ユイが今日、四歳の誕生日になったの。あと一年もすれば、あの子は歌姫になるわ」
「そうか……もう四年なんだね」
「ええ」
頷く。
もう四年だ。
長くて、短い。
目が回るように忙しかった。
そして同時に……急激に、体力が衰えていくのを感じた。
具体的に言えば、長時間立っていることが難しくなった。
だから、朝歌って、こうして皆の顔を見たら、私は神殿に戻って、事務仕事ばかりしている。
とてもじゃないけど、今までの代の女神様たちのように、呼ばれたらどこへでも行く、なんてことはできない。
理由は恐らく、二つのウィションに対して、歌を歌っているのが私一人だからだ。
それでもきっと、シスならもう少し持ちこたえたはずだ。それが少しだけ、悔しい。
「ねえ、女神様。次はいつ会えるかな」
今までになかった質問に、思わず目を丸くする。
その質問は、なんとなく、私の答えを知っているような気がしたから。
「……いつに、なるんでしょうね」
今日が最後です、なんて言えなかった。
たとえ本当のことでも。
でもきっと、今の答えでトレイさんには理解できたと思う。
私はもう、ここへは来ない。
来年歌姫になるユイのためにも、そしてこれから生まれてくる歌姫になる子たちのためにも、まだ死ねないから。
体力を、できる限り残しておかなくてはいけない。
「あのさ、女神様。左手、出してもらっていい?」
「いいけども……」
いったいなにをするつもりなんだろう。
首をかしげつつも、私は左手を差し出す。
するとトレイさんは跪いて、私の左手をとる。
そして、その上に唇を落とした。
「な――っ」
「その代の女神様が決まったら、そのときの騎士は、正式にその女神様の騎士として、こういう風に忠誠を誓うんでしょ?」
確かに、そうだ。
私たちが女神様とお姉様の騎士たち、と呼んでいる人たちも、正式には女神様の騎士たちなわけで。
四年前、唯一騎士として残っていたヴィルさんが、今トレイさんがしたようなことを私にもしたのだ。
本来ならそれと同時に先代の騎士は解任になるのだけど、今の代がヴィルさんだけだから、ということで、特別に先代の騎士から数名、残ってくれている。
本当はヴィルさんは、ホロに忠誠を誓うつもりだったんだろうな、と思うと、胸が痛かった。
「どうして今それを、トレイがやるの」
するとトレイさんは、どこか嬉しそうに笑う。
「うーん……ヤキモチ?」
「はい?」
「俺も、女神様の騎士になりたかったな」
胸が音を立てる。
その音は、胸の中を温めて、そして一緒に痛みを与える。
「私だって……」
私だって、トレイさんに騎士になってもらいたかった。
そうしたら、ずっと傍にいれるのに。
歌姫は、誰かと連れ添う、なんてことはない。
女神になれても、なれなくても、それは変わらない。
役目を全うして、終わりだ。
騎士として、傍にいてもらうことは、はたしてお互いの幸せのためになるかわからない。
ただ一つはっきりしているのは、きっと、よほど運が良くない限り、私たちが会うのは今日が最後だろうということ。
それなら、わがままは言いたくない。
言いかけた言葉は、飲み込む。
代わりに、別の言葉を。
「たくさん、感謝をしたいことがあるの。それに、謝りたいこともある」
私の家族は、トレイさんが交渉してくれたおかげで、タウファさんがかくまってくれていた。
だから、私が裏切り者として捕らえられていた間も、危害を加えられることなく、無事に生きることができた。
トレイさんがいたから、ホロは命を救われたし、私も何度も救われた。
感謝してもしきれない。
そして、謝りたいこと。
それは、疑ってしまったことに他ならない。
「本当に、ありがとう。ごめんなさい」
トレイさんが、立ち上がる。
スッと手が伸びてくる。
その手は、私の頭に触れる。
「また、弱音を吐きたくなったらおいでよ。いつまででも待ってるから」
思わず私は小さく笑ってしまう。
「それは、私の言葉」
二人で顔を見合わせて笑う。
どちらからともなく一歩後ろに下がり、小さくお辞儀をする。
そして私たちは背を向ける。
そのまま一度も振り向くことなく、私はこの場を後にした。
階段を上る途中、ふっと頭の中で流れたのは、昔何処かで聞いた、幸せを願う歌だった。
どこで聞いたんだろう。
そう思ってふ、と浮かんだのは、しっかりとした背中に背負われて見た、家への帰り道。
背負ってくれていたのはきっと母親だけど、小さい頃だから、きっとそんな風に見えたんだろう。
でも、どうして帰り道にそんな歌を歌っていたんだろう。
そこまで考えて、思い出した。
この歌を聞いた翌日、私は五歳になったんだ。
歌姫になってから、ついこの間無事を確かめるまで、私は母親に会わなかった。
あの歌は、もしかしたら、わかれる人を思う歌だったのかもしれない。
気が付けば私は小さく口ずさんでいた。
家族の、ルアディスとアンディスの民の、ヴィルさんとユイの、ヌドクさんとリターナの、そして、シスと、トレイさんの幸せを祈って。
外に出ると、太陽が明るく照らしてくれていて。
きっと、大丈夫だよ、と言ってくれた。
そんな気がした。




