私はあなたを信じてる。
静かな足音。
檻の奥の隅のほうでじっとしていた私は、トレイさんとは違う足音に、そっと顔を上げる。
見れば、トレイさんも同じようにそちらを見ている。
その後ろ姿に胸が痛くなるのを、気付かないふりをしてやり過ごす。
現われたのは、白い髪に紫水晶の瞳の少女。
普段着ていた服の上に、フードのついた黒いマントを羽織っているけれど、その少女は私のよく知る少女だった。
「久しぶり、エラ」
「シス……」
トレイさんはチラリと私とシスを見たあと、そのまま階段のほうへ移動してしまう。
「ねえ、エラ。こっちに来てよ、そばで話したいな」
「……私もよ、シス。今行くわ」
立ち上がって、私は柵のすぐ近くまで行く。
凶器を持っている可能性を、考えなかったわけじゃない。
ただ、それでもいいと思った。
それが、シスの目的なら、しょうがない。
「エラは、この格好を見て、驚かないの?」
「……女神様から、聞いたの。シスがアンディスの女神だって」
「そう……。私ね、これから皆の希望になりかけているホロを殺して、あなたを贄にして、アンディス・ウィションを元に戻して……本当の、女神になるの」
「……」
笑顔で話すシス。
でも、どこか無理しているように見えるのは、私の願望なのだろうか。
「そして、ルアディスの民を皆殺しにするの。アルフォと同じように」
「……シス」
「なに?」
「あなたには、ホロを殺せない。それが、私の知っているあなたよ」
「……私はやめないよ?」
「わかってる。あなたは、常に有言実行だったから。殺すと言えば、殺すんでしょうね。あなたのために殺人者になったホロのことも、あなたを傷つけ続けた民たちも、なにもできなかった私のことも」
じっとシスを見つめる。
なんとなく、シスは止めてほしそうに見えたから。
どこかで、引き返したがっているのが見えたから。
それが、本当に私の願望かもしれないし、もしかしたら事実なのかもしれない。
「シス。これは別に説得でも、なんでもなくて、完全に私の独り言なんだけど……。私は、あなたがアンディスで生まれたことをつい最近知ったの。ルアディスの勝手な判断でアンディスに落とされた人がいる。その中で、歌姫として生まれたあなたは、きっと、すごく大変な思いをしたんだと思う。殺されそうになったこともあるんじゃないかしら。だけど今は、きっと、あなたへ賭ける希望が、ものすごく重いものになっていそう」
「なんで……」
「あなたが、歌姫だから。唯一、自分たちの願いを叶えてくれる存在だから。背負えないぐらい、重くのしかかられてるんじゃない? 私は実際にその現場を見たわけではないから、想像でしかないけれど。あなたにとって、ルアディスは、極悪人の住む世界だった。だから、ホロが自分を助けてくれたときから、ホロに対してだけ、あなたは少し執着するようになった。ホロのことを、女神にする、というくらい」
「……」
「ホロが大好きで、でも、アンディスの未来を無理矢理に背負わされている。ねえ、シス。私はホロもシスも、同じくらい大切よ。できることなら、ホロが傷つく姿も、あなたが罪を重ねていく姿も見たくない。変われるものなら変わってあげたい。すべての矢から、あなたたちを、かすり傷一つつけずに守り抜きたい。あなたたちが笑って生きていける未来のためなら、命だって、惜しくない」
俯いてしまったシスの頭を撫でる。
そういえば、シスが小さい頃、よく撫でていた。
そしたらホロまで寄ってきてお姉ちゃん面してシスの頭を撫でるものだからおかしくて、私もシスも笑ってホロがむくれていたな、なんて思い出す。
懐かしい。
でも、きっともう、あの頃には戻れない。
私がここでどんな言葉をかけても、きっとシスは、行動を起こすだろう。
ホロを殺すのか、私を殺すのか、それとも……自分を代償として差し出すのか。
わからないけれど、この子はきっと、変えようとしている。
アンディスと、ルアディスの在り方を。
「ただ一つ、言うのなら……」
シスが、顔を上げる。紫水晶が私を見る。
「私、女神になるつもりだから、ちょっとまだ死ねないの」
誰かさんの真似をして、ぱちんとウィンクする。
両眼を閉じてしまった……。ウィンクって、意外と難しい……。
シスが、小さく笑う。
そしてまた、俯いてしまう。
「エラのところに来るんじゃなかった……」
ポツリと呟いた声が、少し揺れている。
「エラ。ごめんね、ごめん、ごめんなさい。……」
シスの手が上がって、彼女の頭の上にある私の手をどかす。
私はおとなしく手を下げる。
シスはマントの裏側をあさる。
そして出してきたのは、清々しいほどに蒼い球。
「私は、今から……。ううん。……エラ・スタン。あなたを、贄として連れていきます。ついてきなさい」
シスはその球を隠すと、トレイさんに目で合図を送る。
トレイさんは檻に近づいてくると、鍵を開ける。
そして入ってくると、どこに隠していたのか、長い縄で私を拘束し始める。
それが終わると、少し乱暴に引っ張られながら、私は階段を上った。
*
久しぶりの外は眩しくて。
思わず目を細めていると、縄の引っ張り方は少し乱暴なくせに、トレイさんは太陽の光から私を庇うように歩いてくれていた。
おかげで影ができて少し歩きやすい。
それが、なんだか余計にさみしかった。
ある程度歩くと、シスが止まった。
同時に私は、その場に跪かされる。
「私は、シス・クォルテ。アンディスの女神です」
よく透る声。
シスが語り始める。
ルアディスへの憎悪を。侮蔑を。
上を見上げれば、ホロが、塔の上でヴィルさんに支えられるようにして立ちながら、私たちを見ていた。
悲鳴が聞こえる。
視線を戻せば、シスに襲い掛かろうとする人や、逃げようとする人々を、黒いマントを着たアーニストたちが襲っている。
泣き叫ぶ人。
放心状態の人。
気を失って倒れてしまっている人。
親とはぐれてしまって泣いている子供。
守らないといけない。
だけど、私には武器がない。
なにもない。
歌、以外は。
私は目を閉じて静かに息を吸う。
橙色の布を広げるイメージで。
この場にいる全員を、できる限りきっちりとイメージして。
私は聞こえてくる旋律を頼りに、声を音に乗せて、編み込んでいく。
編み込んでできた布で、皆を包み込むように。
必死で。
だから、気が付かなかった。
胸に痛みが走るまで。
「――っ」
流石に、声が続かなくて。
なんとかうっすらと開いた瞳に見えたのは。
球から形を変えたばかりなのか、胸に刺さったうっすらと紫色に光る刃物の柄と、ごめんなさい、と囁く妹の儚い笑顔だった。




